雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

2020-01-01から1年間の記事一覧

朝カル新宿「ヴィスコンティとは誰だったのか」(1)と(2)

2020/9/12 朝カル新宿、「ヴィスコンティとは誰だったのか(1)」 ひさしぶりの対面式でしたが、フェイスカバーはどうにも嫌なので、結局はマスクをつけて喋ることに。ときどき息が苦しくなりましたが、それでもリモートとは違う高揚感に後押しされて言葉が…

ルイージ・ザンパの『Anni difficili (困難な時代)』を観た

ルイージ・ザンパの『Anni difficili(困難な時代)』(1948)年をイタリア版DVDで鑑賞。これは名作。でも日本では未公開で日本版のソフトもない。 どうしてこんな名作が日本未公開名作なのだろう。おそらくはネオレアリズモ的な潮流から外れていることが…

「フェリーニとは誰だったのか?」...

今年はフェデリコ・フェリーニ(ほんとうならフェデリーコ・フェッリーニが正しいのかな)の生誕100年の年で、ほんとうならゴールデンウイークのイタリア映画祭でも回顧上映が予定されていたのだけれど、コロナ禍でご破算。ところが年度の後半に入って頼まれ…

Quaquaraquà って誰のことだ:シャーシャの『真昼のふくろう』をめぐって

レオナルド・シャーシャの『真昼のふくろう』(竹山博英訳)を借りてきて読んだ。 実は、この小説を原作にした同名の映画を見て(日本未公開でテレビ放映されたときの邦題は「マフィア」)、おもわず原作の "Il giorno della civetta" にざっと目を通したの…

習合、コンタミネーション、そして臨場性の回復へ

久方ぶりに内田樹の新刊を買う。あいかわらずさっさと読めた。 いくつかポイントがあるのだけど、ひとつは最近の「理解と共感にもとづく共同体」への拒否感の表明。そいうものは、映画で言えば『エクスペンダブル』的な近ごろの傾向で、やたらべたべたと仲良…

ぼくらの時代のホメオパシー:『日本沈没2020』

『日本沈没2020』予告編 - Netflix ネトフリにて『日本沈没2020』を観た。 このところさすがに忙しい。一息にというわけにゆかなかったけれど、ちょうどふた晩にわたって楽しめた。 湯浅さん、『DEVILMAN crybaby』で永井豪に挑戦したあとは小松左京ときた。…

パトスとエートスのあわいに:テッド・チャン『息吹』

通算3日ほどで読了。おもしろかった。以下、読書メモ。 「商人と錬金術の門」 あっと言う間に引き込まれる。タイムトラベルもの。 テッド・チャンの新しいところは、運命が、たとえ「錬金術の門」によってその因果の法則が破られるかもしれないと思われると…

亡き人を傍にして読む『一人称単数』

新しい村上春樹の短編集を買った。 「石のまくらに」 電車の中で最初の短編を読んだ。やっぱり「僕」は簡単に出会った女の子と寝ちゃうんだ。でも、その曖昧さのあわいに、なにか深みが記されてゆく。そして鋭さと、何か不吉なものがある。 たとえば、こんな…

ダリダの『バン、バン!』(1966)訳してみた

youtu.be きっかけはカナダのグザヴィエ・ドランの『胸騒ぎの恋人』(2010)を見たから。 filmarks.com このなかで使われているイタリア語版の『バン、バン!』が実に見事に使われていたので、どうせなら歌詞を訳してみようと思ったしだい。 歌詞のプロット…

堀江敏幸「熊の敷石」

村上春樹の文体に似ていると娘がいう。冒頭の「熊の絨毯」のくだりに、昔読んだ、いしいしんじ、の『四とそれ以上の国』を思い出した。いしいしんじの場合は「俺」、そして堀江敏幸ならば「私」が、あっという間に動き出す文体となる。 ところが次の瞬間、堀…

映画でヴェネツィアを旅してきた

朝日カルチャー立川の「映画で旅するヴェネツィア」、昨日、無事終了しました。COVID19 騒動のなか、マスクを付けておられる方がほとんどで、しかも遠方から来るはずだった友人が、社命により移動できなくなったとの連絡もあったりもしましたが、比較的多く…

ゾンビと免疫と来るべき共同体

ちまたでは、まだまだウイルスの話でもちきり。ローマの音楽院ではアジア人のレッスンがキャンセルされたとか、どこかの国の生物兵器ではないかとか、アメリカの対応に比べて我が国ときたらという嘆きとか。そんなおり、娘とウイルスの話をしていて、興味深…

コロナウイルス雑感

東京でもマスクが売り切れているといいます。311のときミネラルウォーターが店頭から消えたことを思い出しますね。あのときは放射能汚染でしたが、今回はコロナウイルスがひき起こしたちょっとしたパニックというわけです。 放射能とかウイルスとか、ぼく…

加藤典洋『完本・太宰と井伏』、短評

年末から年頭にかけて、加藤典洋の『太宰と井伏、ふたつの戦後』を読んだ。読み進めながら、これが『9条入門』と平仄をあわせるものだと気がついた瞬間、鳥肌が立った。9条には「ねじれ」があった。そこには平和主義の崇高な理念が輝く一方、敗戦の結果と…