雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

2014-01-01から1年間の記事一覧

Vasco Rossi "Come vorrei" 訳してみた

月曜日から沈んだ気分なのだけど、そういうときに飛び込んでくる投稿には、きまってぼくを元気づけてくれるものがある。イタリアン・ロックの大御所ヴァスコ・ロッシの新曲 Come vorrei もそうだ。 今年の10月に発表されたばかりのアルバム『Sono innocent…

Robert Frost "The Road Not Taken” 訳してみた

米国の詩人 Robert Frost の有名な詩だそうだが、ぼくは今日、例によってFacebookで初めて教えてもらった。読んでいると、なんどかとても、今の自分、そして今の時代と響き合うところがあるではないか。 そう、昨日の選挙のことを考えているのだ。秋が終わっ…

R.Stones, "Sympathy for the devil" 訳してみた

Sympathy For The Devil (Fatboy Slim Remix) 思うところあってストーンズの『Sympathy for the devil 』(1968)を訳してみた。 日本では『悪魔を憐れむ歌』として知られる曲だけど、それを今日たまたま YouTube でみかけて、おもわずミックの歌声に引き込…

ぼくらの《まつりごと》のために

政治には関心がなかった。投票に行くのはどうも気が進まなかった。どうせ何も変わらないとも思っていた。でも、なにより嫌だったのは、市民たるもの投票に行くべきだという、そんな空気ではなかったかと思う。 投票所に行けば、投票用紙を受け取り、候補者の…

John C Jay の言う《Be authentic》とは?

あのユニクロで知られるファーストリテイリングは、自社のグローバルクリエイティブ特活として、世界的なクリエイターのジョン・C・ジェイ(John C Jay)氏を迎えるという記事を読んだ。 ぼくの目を引いたのが、ジェイ氏が若いデザイナーのために提言したと…

iPad を探しながら僕らのエソロジーを考える

今朝、iPad mini がなくなってるのに気づいて、あわてて iCloud の「iPhone を探す」という機能を使ってみたら、見事に見つかった。昨日、大学の喫煙所に置き忘れていたのだ。 喫煙所はもちろん屋外。4限が終わってから、知り合いの先生といつものタバコト…

Totò 『女性』あるいは美しすぎる存在に捧げる詩

Antonio De Curtis, in arte Totò (1898-1967) 昨日11月25日は、「女性に対する暴力撤廃の国際デー」だった。例によってFBにはいくつかの投稿があったのだけど、なかでもぼくの目を引いたのはイタリアを代表する喜劇役者トト(アントニオ・デ・クルティ…

Erri De Luca 『世俗の祈り』

またFBで素晴らしい詩にめぐりあった。地中海の難民たちのことを詠った詩なのだけれど、神ではなく海にむかっての祈りとして書かれたものだ。だからそのタイトルは「世俗の詩」。ランペドゥーサ沖の悲劇のことや、その悲劇を先取りした映画「海と大陸」のこ…

99 posse 『コミュニストのツイスト』訳してみた

FBに投稿されていた 99 Posse の "Comuntwist" という曲のPVを見る。2000年のアルバム Vida Que Vendra からの曲だけど、その歌詞を聞きながら、なんだか今のぼくたちの姿が歌われているようで、思わず日本語に訳してみた。 とりあえず、これがPVね。 99 Pos…

Led Zeppelin "Rock and Roll" のドラムイントロ!

www.youtube.com ツェッペリンの名曲、今度スタジオで挑戦してみようということになった。一聴して簡単なロックンロールに思えるのだけど、これが実に難物。とてもデッドコピーは無理そうなんだけど、せめて雰囲気ぐらい再現してみたいじゃない。そこで、こ…

パオロ・ヴィルツィー『見わたすかぎり人生』(2008)

雑誌 Musicavita Italia のためのコラムの草稿ができた。塩漬けして明日には送付の予定。で、前回の記事で、そこに挙げたおいたヴィスコンティの論文は、このコラムのための準備だと書いていたのだけど、マッテオ・ガッローネの『リアリティー』に絡めて考え…

人間の姿をした映画(ルキノ・ヴィスコンティ)1943

ヴィスコンティは、そのデビュー作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1942)を発表したのち、映画雑誌チネマに Cinema antropomorfico と題する小論を発表する。まだネオレアリズモという言葉がなかったころ、後にその先駆とされる作品を発表したばかりのヴィ…

スワッグとアッロスティチーノ:あるいはバロテッリの開くイタリア

FBで紹介されたのだけど、なかなか興味深い記事だったので、ちょっと紹介してみたい。記事はこれ: 生贄の黒人が経験していることメディアから袋だたきにされるバロテッリだが、彼の国であるイタリアは「Swag」や「羊の串焼き」という言葉をとうてい理解でき…

バラとジャスミン:フェリーニ『道』(1954)

最近ちょっとした出会いがあって、忘れかけていた映画を語る歓びを思い出すことができました。せっかくだからここに、少し自分の書いて来たものをふりかえってみようと思います。あちらこちらに書き散らしたコラムを、少しずつアップしてゆくことにします。 …

99 posse『撃て』 (1996)

Spara 99 Posse - YouTube 機会があって99ポッセの「Spara」を聴き直した… なんというアクチュアリティ! もちろん音楽も悪くないのだけれど、やはり圧倒的なのはその歌詞。 いかに世界が今、W杯の話題で麻痺しているかが痛感させられる。 クリミア情勢は…

原初的逸脱…

Twitterで寺山修司のこんな言葉に目にする。 人間の条件は、つねに本質よりもさきに「生」そのものがあるのであって「はじめにことばありき」ではなく「はじめに声ありき」だったのである。 「はじめにことばありき」とは聖書の言葉だが、そこに寺山は「本質…

おお、アメリカ!『ゾンビランド』にゾワっとする。

なるほどね。 引きこもりのダメ男(ジェシー・アイゼンバーグ)がヒーローになるという話型に、できのあまりよくない主人公を怪力男マチステ顔負けのゾンビキラー(ウディ・ハレルソン)が助けるという古典活劇を組み合わせ、そこに男を食い物にする悪女だけ…

蜷川幸雄『わたしを離さないで』

『わたしを離さないで』 PV - YouTube この連休に、蜷川幸雄の舞台『わたしを離さないで』を観てきた。 原作はカズオ・イシグロの同名小説。原作は読んでいた。映画化された作品も観た。それでも舞台は新鮮だった。ひさしぶりの舞台ということもあったのかも…

レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『デスソング』

Red Hot Chili Peppers - Brendan's Death Song ...今日はよく晴れた心地よい日和なのだけど、なぜか朝からレッド・ホット・チリ・ペッパーズのビデオクリップを見続けている。『ブレンダンのデスソング』と題されたこの曲は、文字通り「死者の歌」であ…

ピーター・ガブリエル『洪水がやって来る』

新学期がはじまりドタバタと2週間がすぎた。 やはり忙しさにかまけているとよくないな。なんだか少し喉が痛い。鼻水が出る。どうやら軽い風邪をひいたみたいだ。 そんなとき目についたのが、FBに投稿されていた懐かしい曲。ピーター・ガブリエルとロバート…

男と女をめぐるイタリア語の悩み…

英語しか学んだことがない学生が、イタリア語に接して最初に驚くのが、名詞に男性名詞と女性名詞があることだ。形容詞や冠詞にもこの性の違いに応じて形を変えることになる、そんなふうに説明すると、「どうして?」と質問されるから、そのあたりをなんとか…

パゾリーニ「わがネーションよ」

パゾリーニの詩はどれもそうなのですが、この詩も強烈です。Facebook に投稿されているのを見かけて、おもわず日本語に訳してみることにしました。 わがネーションよ アラビアの民でもなく、バルカンの民でもなく、古の民でもない 生きているネーションにし…

あえて最悪の場合を考えてみる

『ごちそうさん』の悠太郎の堅物ぶりには、けっこう好感をもっているのですが、今日の放送もなかなかおもしろかったですね。 西門家の末っ子の活男が、海軍の主計課に志願し、船のうえでコックの修行をすると言いだして、母のめ以子は大反対。それでも活男は…

フクイチ・科学技術・「あわい」への思考

フェイスブックにこんな投稿をしたところ、友人たちいくつかのコメントが寄せられました。返事を書こうと思ったのですが、長くなったのでこのブログに記してみることにします。 // 投稿 by 押場 靖志. ぼくは、フクイチ(福島第一発電所)のことが報道されな…

「日本的なもの」の誘惑

長谷川三千子は、その『日本語の哲学へ』において、ぼくたちの話す日本語によって、日本語のなかで、固有の哲学的思考を展開する可能性を開こうとした。それはひとつの冒険だったと思う。しかしその冒険がかくも危険なものへの接近でもあったことを、その「…