ネトフリにて『日本沈没2020』を観た。
このところさすがに忙しい。一息にというわけにゆかなかったけれど、ちょうどふた晩にわたって楽しめた。
湯浅さん、『DEVILMAN crybaby』で永井豪に挑戦したあとは小松左京ときた。悪くない。娘が横目でみながら、「それ重いんだって」と言っていたけど、いやいや、今時このぐらいじゃないとダメでしょ。ぼくは堪能しました。
それにしても、この監督さん、陸上競技になにかこだわりをお持ちなのだろうか。トラックで走らせ、壊れ掛けた道を走らせ、波にさらわれそうになる不気味な一本道を走らせる。その走りがアニメ。どれもかっこよい。生きている。
そういえば、誰かが「なんだ最後は国家賛歌で終わるのかよ」なんて言ってたけど、あれはディアスポラを経てなお「国家」のようなものが成立するのかという問いかけ。むしろこれ、良い意味でジャパニーズ・ポリコレ・アニメだった。
たしかにリアルポリティーク的には、水に沈んだ国の領海はただちに、ロシアと中国が領有権を主張するだろうし、ただちにアメリカとそのお仲間たちの介入があるはずだとか、いろいろ考えられる。だけどそこは端折って、みんなが仲良く日本の再隆起を見守ってくれましたとさというオチは、落とし所としては悪くない。
悲劇の後の混乱から始まった物語は、束の間の休息にたどり着かなければ終われない。ダンテだって、ベアトリーチェに再会することなくコンメーディアを終わらせられなかったのだ。いずれにせよ薔薇色のハッピーエンドは、単なる次の悲劇の始まりにすぎないと考えればよいのかもしれない。
同時にこの物語は、歩(あゆむ)と剛(ゴー)のビルドゥングスロマン。なんか既視感あるとおもったら矢口史靖の『サバイバルファミリー』(2016)とかこんな感じだったっけ。ファミリーストーリにして、ロードムーヴィでもあり、それよりはむしろ漂泊の物語といえばよいだろうか。少し誇張していえば「2020年、沈む列島の旅、ジャパニーズ・オデッセイヤ」という感じ。
漂泊の物語だから、ときどき停泊する港が必要になる。その意味で、スピリチュアルなコミュニティとして登場するシャンシティが面白かった。なぜシャンなのかよくわからない。シャンとしているからなのか、ぼくは太陽のサンかと思ったけど、そうでもないらしい。
でもこのコミュニティは、ゲイテッドコミュニティだから柵で囲まれている。『ウォーキングデッド』にしょっちゅう出てくるやつ。格差の象徴だわな。だからこそ、何あるだろうなと思わせる描写が続く。とうぜん『1Q84』とか思い出す。背後にあるヤマギシカイのぶっとんだようなコミュニティが登場する。どこかあのオーム教団に通じるものもある。今でこそ誰もが知っているあの聖性と邪悪さの顕現だ。
しかし、ここに見える聖と邪のダイナミズムは、その根元にヒューマンな情動が働いているものとして描写されてゆく。人間のその情動にしっかり目を向けているところが、湯浅アニメのいいところ。『Cryababy』でもそうだけど、邪悪にみえるものはまだ、ほんとに邪悪なのかわからないし、聖なるものも、もしかすると本当に聖なるものなのかもしれない。そこに立ち止まって物語を語ることは、じつに知的なことだと思う。
それにしてもこのアニメ誰がみるのかな。多くの子供にはトラウマになりそうだけど、もしかすると、今の現実のほうがトラウマになりそうではある。だとしたら、トラウマでもってトラウマを制することもできるかもしない。毒をもって毒を制するあのホメオパシーと同じだ。
なるほど、この映画はもしかすると、現代のホメオパシーなのかもしれないな。