雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ナポリのカンツォーネ『レジネッラ(Reginella)』(1917)を訳してみた

 アンナ・マニャーニの評伝を読んでいる。冒頭に引用されるのがこの『レジネッラ』の一節。マニャーニの祖母が好きだった曲。母に捨てられ、祖母に育てられたマニャーニは、しばしば祖母から請われてこの曲を歌ったという。

 


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 マニャーニが生まれたのは1908年。この曲はその9年後の1917年に発表された。その翌年にはジルダ・ミンニョネッテがレコードに吹き込む。まだラジオはなかった。音楽家が通りで演奏し、楽譜を売り歩く時代だ。その曲を覚えたのだろう。10歳のアンナ・マニャーニの歌を祖母はたいそう喜んだという。

 『レジネッラ』歌詞はナポリ語で、イタリア語ヴァージョンも付記されている。作詞はリーベロ・ボーヴィオ(1883 – 1942)。ボーヴィオの姓に見覚えがあるとおもったら哲学者のジョヴァンニ・ボーヴィオ(1837 – 1903 )の息子だ。なるほどこの父は旧態然とした王政に反対し、自由な共和主義者の理想を掲げた哲学者、からこそ息子に「リーベロ」(自由)という名前をつけたのだろう。母親はピアニスト。ふたりの息子のリーベロは、ナポリカンツォーネの黄金時代をつくる作詞家となる。

  この曲のタイトルの「レジネッラ(Reginella)」は「regina」(王妃あるいは女王)に愛称の接尾辞「-ella」が続いたもので、「小さな王女」であり「大切な愛しい人」という意味。おそらくは、恋する男が大切な女性をこう呼んだのだ。

 この歌を祖母に歌っていたころのアンナ・マニャーニは10歳ぐらい。母親は18歳で彼女を産むが父親は不明 。後にアンナが調査したところ、彼女の父はカラブリアの裕福な貴族でデル・ドゥーチェ Del Duce という姓で、「Figlia Del Duce 」(ドゥーチェの娘)では様にならないと、調査をやめてしまったらしい。結局、母はひとりで育てられず、アンナを祖母に預けると、裕福なオーストリア人とエジプトのアレッサンドリアに渡ったという。

 こうして小さなアンナは祖母の家で、叔母4人と叔父ひとりに囲まれて、大切な孫娘としてまさに「レジネッラ(小さな王女)」のように育てられたというわけだ。

 以下に拙訳と原文を挙げておく。

1

あなたは襟ぐりの深い服を着て
リボンとバラで飾られた帽子をかぶり
3、4人のシャントーサ *1 に囲まれて
フランス語を話してた、そうだよね

あなたにあったのはおとといのこと
おとといのトレド通りだった、そのとおりさ

あなたのことを愛したんだ
あなたも愛してくれたのさ
今はもう愛し合っちゃいない
でも時にあなたは
なにげなくふと
ぼくを思うのさ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Te si’ fatta na vesta scullata,


nu cappiello cu ‘e nastre e cu ‘e rrose,


stive ‘mmiez’a tre o quatto sciantose
e parlave francese, è accussí?

Fuje ll’autriere ca t’aggio ‘ncuntrata


fuje ll’autriere a Tuleto, ‘gnorsí!

 

T’aggio vuluto bene a te!


Tu mm’hê vuluto bene a me!


Mo nun ce amammo cchiù,


ma ê vvote tu,


distrattamente,


pienze a me!
*2

 

2

レジネッラ(小さな王妃さま)、ぼくといたとき
パンとサクランボのほかは何も食べなかったよね
ぼくらの糧は接吻だった、なんて接吻だったんだろう
ぼくのために歌って泣いてくれたよね

ゴシキヒワ *3 がいっしょにこう歌っていたね
「王妃さま、この王様を愛しているの?」

あなたのことを愛したんだ
あなたも愛してくれたのさ
今はもう愛し合っちゃいない
でも時にあなたは
なにげなくふと
ぼくに話しかけるのさ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Reginè’, quanno stive cu mico,


nun magnave ca pane e cerase.


Nuje campávamo ‘e vase… e che vase!


Tu cantave e chiagnive pe’ me!

E ‘o cardillo cantava cu tico:


“Reginella ‘o vò’ bene a stu rre!”

 

T’aggio vuluto bene a te!


Tu mm’hê vuluto bene a me!


Mo nun ce amammo cchiù,


ma ê vvote tu,


distrattamente,
parle a me!
*4

 

3

ああ、ゴシキヒワよ、今宵は誰を待っているの?
ほらごらん 籠を開けてあげたよ
レジネッラは飛んでいっただろ?だからお前も飛んでゆけ!
飛んでいって歌うんだ… ここでは泣かないでくれ

誠実な女主人に飼ってもらうんだぞ
言うことを聞きてくれて、歌を歌うのにずっとふさわしい人を

今はもう愛し合っちゃいない
でも時にあなたは
なにげなくふと
ぼくを呼ぶのさ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Oje cardillo, a chi aspiette stasera?


nun ‘o vvide? aggio aperta ‘a cajóla!


Reginella è vulata? e tu vola!


vola e canta…nun chiagnere ccá:

T’hê ‘a truvá na padrona sincera


ch’è cchiù degna ‘e sentirte ‘e cantá.

 

Mo nun ce amammo cchiù,


ma ê vvote tu,


distrattamente,


chame a me!
*5 

 

 

 

これがジルダ・ミンニョネッテの録音。『レジネッラ』を最初に吹き込んだ歌手の、マニャーニが聞いたかもしれない歌声だ。

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代表的なナポリの歌手ロベルト・ムーロロ(1912-2003)やセルジョ・ブルーニ(1921-2003)の録音。言葉もはっきりしているし

 

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リーナ・サストリ(1953-)のヴァージョン。人前で歌った最初のナポリカンツォーネ、それも偉大な女優アンナ・マニャーニに捧げたものだという。ただし、マニャーニが祖母に歌ってもらったと語っているけれど、時代からしても、マニャーニが祖母に歌ったというのが正しい。

Reginella

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ミーナ(1940 - )のヴァージョンはさすが。ジャズのアレンジが素敵だ。

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小野リサも歌っている。この軽さはたまらない。クセになる。

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アマゾンにはこんなタイトルが並んでいる。ご関心のある方はどうぞ。

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*1: sciantosa: レビューの歌手のこと。フランス語の chanteurse がイタリア語化されたもの

*2:翻訳にはこのサイトのイタリア語への訳詩を参考にした:

http://parliamoitaliano.altervista.org/reginella-murolo/

1.

Ti sei fatta un vestito scollato,
un cappello con i nastri e con le rose,
eri in mezzo a tre o quattro sciantose
e parlavi francese, è così?

 

E’ stato l’altro ieri che ti ho incontrata,
è stato l’altro ieri a Toledo, signorsì!

 

Ti ho voluto bene, a te!
Tu m’hai voluto bene, a me!
Ora non ci amiamo più,
ma a volte tu,
distrattamente,
pensi a me.

*3: cardillo はイタリア語では cardellino 。このゴシキヒワは、頭が赤いことからキリストの受難を連想させるものとして、絵画においては聖母子像に頻出し、幼子イエス聖母マリアの迎える運命を暗示する。例えば、ラファエロ『ヒワの聖母』など。

*4: Ibid.

2.
Reginalle, quando stavi con me,
non mangiavi che pane e ciliegie.
Noi vivevamo di baci… che baci!
Tu cantavi e piangevi per me.

 

E il cardellino cantava con te:
“Reginella, vuoi bene a questo re?”

 

Ti ho voluto bene, a te!
Tu m’hai voluto bene, a me!
Ora non ci amiamo più,
ma a volte tu,
distrattamente,
parli a me.

*5: Ibid. 

Oh cardellino, chi aspetti stasera?
Non lo vedi? Ho aperto la gabbia!
Reginella è volata? E tu vola!
Vola e canta… non piangere qui!

 

Tu devi trovare una padrona sincera
che sia più degna di sentire e cantare.

 

Ora non ci amiamo più,
ma a volte tu,
distrattamente,
chiama me.

『Tempo massimo』(1934)短評:デ・シーカ&ミリー、そしてマニャーニ

Tempo Massimo [Italian Edition]

 イタリア版DVD。イタリア語字幕付き。24-39。マニャーニ祭り。これは面白かった。マニャーニの2作目。デビュー作『La cieca di Sorrento(ソレントの盲女)』と同じ時期だけど、マニャーニらしさが出ているのはこちら。

 タイトルの「Tempo massimo」はスポーツ用語で「試合や競技が行われる最大時間」、つまり「試合時間」や「競技時間」のこと。じっさいボクシングや、スキーの滑降、そして自転車競技が登場する。ところが主人公のインテリ青年ジャコモ・バンティ(ヴィットリオ・デ・シーカ)には、どれもがとんでもなく危険なこと。なにしろこの青年、アガタ叔母さんから健康に悪いことはすべて厳禁されている。だから酒もダメ、タバコもダメ、あげく大人になっても肝油を飲まされる始末で、スポーツなんてとんでもない。

 そんなもやし青年のジャーコモ・バンティが、次々と危険なスポーツに挑戦する羽目になる。そこが笑いどころ。だから映画の定番の「駅での別れのシーン」もなければ「ナイトクラブ」登場せず、「電話のシーン」もほんのわずか。それでも国産映画として、トップクラスの俳優たちが見事な芝居をしてくれますよというのが、映画の宣伝文句なのだ。

 ではこのインテリもやしの文学青年バンティくん、いかにして、それこそ「時間の限り tempo massimo 」で、いくつものスポーツに挑戦することになるのか。理由はもちろん恋だ。その恋はある日空から降ってくる。若くて美しいその女性の名はドーラ・サンドリ(ミリー)。なんと、スペイン人の求婚者ウェルタ公(N.ベルナルディ)と賭けをしてパラシュートでの降下に挑戦し、バンティくんが釣りをしていたところに落ちてくる。彼女が空から降ってきたのを見て、驚いたバンティも湖におちて、ふたりともずぶ濡れ。着替えがほしいの。お宅に連れて行って、と彼女。もちろんと彼。執事のアントニオは大丈夫かと不安げ。邸宅に帰ると待っていたのは、厳しい叔母のアガタ。まずは甥の心配をして、おてんばながら礼儀正しいドーラには、しぶしぶながら礼儀正しく接し、着替えを準備。すると彼女が選んだのは、おそらく亡くなったバンティの母の衣装。そのあたりが、運命的。実際、二人は惹かれ合うわけだ。

 それにしても、リアリズムでもなければ、白い電話でもない。貴族と貴族の出会いなのだけれど、ミリーの演じるドーラの弾けっぷりと、デ・シーカの口髭を話したバンティのモヤシぶりが達者な演技が実に楽しい。もちろん、執事のアントニオも、叔母のアガタもなさそうな人物なのだけど、俳優たちの演技がありそうに見せてくれる。

 それもそのはず。この映画はマーリオ・マットーリの新しい演劇集団ザ・ブン(Za-Bum)のヒット・レパートリーの映画化。1927年にマットーリと仲間が立ち上げたこの劇団は、レビューの喜劇役者と舞台の俳優たちを混ぜ合わせたもので、筋書きのなかった喜劇と、笑いのなかった舞台から、双方の良いところをうまくミックスしたもの。おかげで、それまで鳴かず飛ばずだったデ・シーカたちは一気に有名になる。そのザ・ブン劇団のレパートリーの映画化の話があったとき、最初に頼まれたカルロ・ルドヴィーコ・ブラガッリャが監督を降りたので、しかたなくマットーリが監督したのがこの『Tempo massimo』だというのだ。

 そんな作品でアンナ・マニャーニが演じたのは、主人公の裕福なお転婆娘のドーラ/ミリーに言い寄るスペインの公爵ボブ・ウエルタ(B.ベルナンディ)に使える家政婦エミリア。彼女には自転車競技のチャンピオンのアルフレード(エンリコ・ヴィアリーシオ)という恋人がいるのだけど、デ・シーカの演じる青年が自分に恋していると誤解してその気になるという鵜役所。『ソレントの盲女』で与えられた殺人犯の恋人アンナにくらべると、こちらのほうがコミカルで生き生きとしている。なるほど、レビュー演劇の改革者たるマットーリの見る目は確かだというところ。

 さて物語は運動音痴のデシーカがスキーをしたり、ちょっとした誤解から自転車競技に出場したりと、怪我をしたり、喧嘩をしたり、執事の助けを借りて、相手を出し抜いたりと、じつの楽しいドタバタコメディー。そうそう、デ・シーカは歌も歌うんだよね。最初はしっとりと、やがて覚醒してくると、嫌いだったはずのジャズのアレンジで歌い出す。それが彼女ために作曲したという『Dicevo al cuore(心に言ってたのさ)』。


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訳しておこう。

ぼくは知らなかった、わからなかった
愛とは何かなんてことを
ぼくの人生には太陽なんてなく
その最初の輝きもなかったのさ

きみは分かるかい、きみは感じるかい
ぼくのなかで何かが変わったてことを
この心臓の鼓動がなんなのか
きみは理解できるかい

心に言っていたんだよ 愛しちゃダメだって
心に言っていたんだよ 夢見ちゃダメだって
だって愛なんていうものは
虚栄にすぎないと思っていたから

でも君を見たあの日から
本当の愛がどういうものか分かった
それは本当に魅力的だよね、君がとても愛している
だから心の言うのさ、愛さなきゃだめだって

空を見ても、海を見ても
夢見ているようなのさ
そしてぼくは甘い夢の中で
そばにいてくれる君をずっと見ている

この魔法はいったいなんなのか知っているか
僕を離してくれないんだよ
ぼくの心の中は詩であふれている
あなたが詩なんだ

心に言っていたんだよ 愛しちゃダメだって
心に言っていたんだよ 夢見ちゃダメだって
だって愛なんていうものは
虚栄にすぎないと思っていたから

でも君を見たあの日から
本当の愛がどういうものか分かった
それは本当に魅力的だよね、君がとても愛している
だから心の言うのさ、愛さなきゃだめだって

イタリア語はこちら。

Io non sapevo, non conoscevo
che cosa fosse amor
nella mia vita senza sole,
né il primo raggio di splendor.

Puoi tu capire, puoi tu sentire
cos'è cambiato in me,
e questo palpito del cuore,
comprendi tu cos'è?

Dicevo al cuore "non amar",
dicevo al cuore "non sognar",
perchè credevo che l'amore
fosse solo vanità.

Ma da quel dì ch'io vidi te,
il vero amore so cos'è,
è un puro incanto, io t'amo tanto
e dico al cuore "devi amare".

Se guardo il cielo, se guardo il mare,
mi sembra di sognar
e nel mio sogno delizioso
ti vedo sempre accanto a me.

Sai tu che sia questa malia
che non mi lascia più?
Nel cuore ho tanta poesia,
la poesia sei tu!

Dicevo al cuore "non amar",
dicevo al cuore "non sognar",
perchè credevo che l'amore
fosse solo vanità.

Ma da quel dì ch'io vidi te,
il vero amore so cos'è,
è un puro incanto, io t'amo tanto
e dico al cuore "devi amare".

 ほとんど映画の内容を歌っているのだけれど、同じ歌をミリーも歌う。そこが面白い。主人公がふたりとも、演技だけじゃなくて歌えてしまう。そこがマットーリのザ・ブン劇団のすごいところ。そんな場所だからマニャーニも生き生きとしている。歌うことこそないものの、彼女のよさが発揮されている。だからデ・シーカも自分が監督をするとき彼女を思い出して、『金曜日のテレーサ』(1941)にレビュー歌手の役で起用するわけだ。

 ところで、この映画の最後がはちゃめちゃで楽しい。いとしのミリーが、金目当てで言い寄ったスペインの貴族と結婚しようとするその瞬間、デ・シーカ演じるバンティ青年が奪った観光バスを大暴走させたすえに教会にかけつけると、結婚式の出席者を残して、ミリーと逃げ出すことになる。あれ、これってどっかで見たよな。そう思ったら、みんなもそうだと思ったみたい。そうそう、マイク・ニコルズの『卒業』(1967)のラストでダスティン・ホフマンキャサリン・ロスを奪い去るシーンそのものではないか。

 本人に聞いてみないとわからないけれど、オマージュというよりは偶然の一致なのだろう。それでも、映画史に残る名シーンが、べつの作品の名シーンの反復だというは面白い。人は、同じことを映画的な面白さと感じるってことなのかもしれないよね。

 


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Dicevo Al Cuore

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『La cieca di Sorrento(ソレントの盲女)』(1934)短評

マニャーニ祭り。イタリア版DVDの到着を待ちながら、デビュー作ということで辛抱たまらず、このサイトにて視聴。24-38。Filmaks のリストになし。

1)原作者 F.マストリアーニ

 1934年の作品でタイトルは「ソレントの盲女」。原作はフランチェスコ・マストリアーニ(1819 - 1891)の同名小説(1852刊)。ナポリ生まれの作家。19世紀に普及した新聞の連載小説で人気で博す。その関心はナポリの下層階級に向けられ、叙述スタイルは絵のように美しく、心和ませるものだが、決して迎合的ではないという。ベネデット・クローチェによれば、「このジャンルのもっとも注目すべき作家」(il più notabile romanziere del genere)であり、文学に馴染みのない人々にまで広く読まれたという。イタリア大衆小説の走りだけれど、同時に、イタリアの南部文学の誕生に貢献し、ヴェリズム誕生の基礎を築いたという。

 ナポリのサン・フェルディナンド劇場にはでフランチェスコ・マストリアーニに捧げられたプレートが飾られている。

FRANCESCO MASTRIANI
FU L'INDIVIDUAZIONE DI QUESTO POPOLO NAPOLETANO
LAVORARE E SOGNARE SOFFRIRE PAZIENTEMENTE E MORIRE
S’INTENDEVANO L'UN L' ALTRO
EGLI AVEVA VISITATO L'ULTIMO TUGURIO E IL POPOLO
SI RICONOSCEVA IN LUI
IN ALTRO PAESE SAREBBE DIVENUTO RICCO
MA L'ITALIA POVERA COME LUI NON MERITA RIMPROVERO
G. BovIo

 訳しておこう。

フランチェスコ・マストリアーニは
ここにいるナポリの人民を体現する人だった
働き夢を見ること 辛抱強く耐えて死ぬこと
それぞれに折り合いをつけていた
最も貧しい家までを訪ねてゆく姿は
人民そのものに見えたのだ
他の国だったなら裕福になれただろう
しかし彼のように貧しいイタリアを責めることはできない

G.ボーヴィオ *1

 マストリアーニは貧しい中で執筆を続け、最後には半ば目も見えなくなり、借金を抱えて亡くなっていったという。イタリアにおけるジャッロあるいはノワールというジャンルの創始者でもあったが、そんなナポリの大衆作家が生前に見返りを得ることはなかった。それでもこの『ソレントの盲女』など広く読まれ、映画化も繰り返された。サイレントの時代から数えると1916年版、ここで取り上げるトーキーの初期の作品である1934年版、さらに戦後になって大衆的ネオレアリズモ(neorealismo d'appendice )時代における1953版、そしてカラー作品の1963年版と続く。

3)物語とその時代

 映画の始まりは1834年。それはナポリがまだ両シチリア王国だったころ、ある居酒屋の地下室で秘密めいた集会が開かれている。冒頭のカメラが捉えるのは炭(カルボーネ)がおこされている映像。なるほど集まったのはカルボナーリ党員たちというわけか。

 カルボナーリはナポリに起源をもつ。フランス革命の影響を受けて、自由を称揚し憲法の制定を訴えたのが始まりだ。ナポリは革命の街でもある。1799年にはパルテノペア共和国が3ヶ月だけの自由を謳歌*2。そしてウィーン体制(1814-1848)の反動。ナポリではブルボン王朝による復古的な治世への反発が強まり、農村ブルジョアジー、下層聖職者、開明的な官僚、そして士官クラスの軍人などが政治的な秘密結社カルボナーリを組織、自由主義的な改革をめざし、1820年に蜂起(ナポリ革命)するも、オーストリアの介入などで鎮圧される。

 それから14年たったカルボナーリたちを描き出すのが映画の冒頭。その集会を摘発しようとブルボンの憲兵隊が突入してくる。かろうじて逃げ出したカルボナーリたちだが、ちょうどそのころ近くのリオネーリ侯爵の屋敷に賊が入り夫人が殺される。現場を目撃した娘ベアトリーチェは恐怖のあまりに熱を出し、そのせいで失明してしまう。

 ところが憲兵たちが逮捕したのはカルボナーリを指揮者フェルディナンド・バルディエーリだった。彼は公爵の屋敷近くに署名入りのマフラーを落としてしまったのだ。殺しは否定してもアリバイはない。秘密の集会に参加していたとは言えない。仲間を売るよりも革命のための犠牲を選び、絞首刑となる。父を信じた息子カルロ・バルディエーレ、不正のはびこるナポリを離れ、自由の地イギリスで医学を学ぶ。

 リオネーリ侯爵婦人を殺したのは誰か。犯人は会計士のエルネスト・バジリオだった。犯行から帰った彼を待っていたのが愛人のアンナ。演じるのはアンナ・マニャーニ。映画初出演。オープニングで主演のドリア・パオラ(盲女ベアトリーチェ)に次いで2番目にクレジットされる。演じるのは裕福なドン・ジャコモの妻にして、その会計士エルネストと密通する女。登場した瞬間から眼を奪われるのは、大きく胸のはだけた衣装、大きく開いた瞳、その影のある眼差しだ。

 もしかすると浮気を疑ったのか、彼女は愛人エルネストを問い詰める。どこに行っていたの、また負けたのと畳み掛ける。なるほどギャンブルにも手をだす男だったのか。だとすれば、侯爵の邸宅に窃盗に入った理由は借金の埋め合わせなのだろう。アンナ/マニャーニの眼差しはすべてを見透かす。その人間の業と、その業から来る苦悩は、彼女の目から逃れることはできない。そんなふうに思わせるのは、それこそマニャーニの生い立ちも関係しているのではないか。

4)アンナ・マニャーニ、そのデビューまで

 アンナ・マニャーニは1908年3月7日、ローマのサラリア126通り、ポルタ・ピア(現在のノメンターノ地区)近くに生まれる。母親マリーナ・マニャーニは18歳でアンナを出産すると、その世話を母親に委ねる。こうしてアンナは、祖母と5人の叔母とひとりの叔父の済むローマのサン・テオドーロ通り(カンピドリオとパラティーノの丘に挟まれた通り)で育つことになる。

 アンアは父親を知らない。大人になって父の身元を探り、カラブリアに出自を持つデル・ドゥーチェが彼女の姓になるはずだったと知る。父親の名前はピエトロ・デル・ドゥーチェ、法学者で貴族の生まれだったおいう。しかし、アンナはそこで身元を探るのをやめたという。「ドゥーチェの娘」と呼ばれたくなかったからだと、笑いながら回想したというのだ。

 アンナの母のマリーナ・マニャーニは、娘を残してエジプトのアレクサンドリアに移住すると、そこで裕福なオーストリア人と出会って結婚する。おそらくはそれが理由で、アンナ・マニャーニはエジプト生まれで、ジプシーの血を引く女優だと信じられていた。なにしろジプシーの語源はエジプトなのだから。

 アンナの祖母は、孫娘を懸命に育てる。勉強させようと寄宿舎に入れるが、数ヶ月しか続かない。結局は家で勉強し、ピアノを練習し、ローマの名門サンタ・チェチリア音楽院に入学するまでになる。1923年、15歳のときアンナは母親を訪問するためにエジプトのアレクサンドリアに行く。しかし望んでいた愛情を知ることができず、親子の関係を作ることができない。関係を作ることができず、非常に痛みを伴う経験となってしまう。ローマに戻ったアンナは、パオロ・ストッパと出会い、音楽院に併設されていたエレノーラ・ドゥーゼ演劇学校に飛び込むことになる。

 1925年には劇団との契約にこぎつけるが、学校ではトップだったアンナも、プロの世界ではセリフをひとつだけもらえればよいのだった。やがて1930年代にはいると、映画がトーキーとなり、セリフをきちんと言える人材が求められるようになる。アンナも吹き替えの仕事などから、映画の世界に近づき、ついに映画デビューするのが、1934年のこの『ソレントの盲女』での殺人犯の愛人の役だったというわけだ。

5)物語の続き

 1834年に始まった物語は、その10年後の1844年となる。無実の罪で絞首刑となったカルボナーリの指導者の息子カルロが、イギリスで医学を修めた名医サイモンとして故郷に帰ると、あの悲劇の夜に盲目となったベアトリーチェの治療をすることになる。手術をすればまた見えるようになるという。

 しかしそのとき、あろうことかあの強盗にしてベアトリーチェの母を殺した会計士のエルネストが、リオネーロ公爵家の盲女ベアトリーチェと婚約していたのだ。ベアトリーチェは、目が見なくても次第にサイモンことカルロに惹かれてゆく。それはカルロも同じ。しかし、その父は娘の母を殺したという濡れ衣で絞首刑となっている。だから自分の正体を明かすわけにもゆかない。しかもベアトリーチェは婚約してもいる。

 手術は成功し、ベアトリーチェは目が見えるようになる。その目で探し求めるのはイギリス帰りの医者サイモン/カルロなのだが、彼は身を引こうとしている。そこに登場するのが、アンナ・マニャーニの演じる愛人アンナ。彼女はまだエルネストに未練があるのだが、その彼が自分が殺めた侯爵夫人の娘と結婚することが耐えられない。

 こうしてアンナ/マニャーニは、リオネーロ(Rionero)侯爵夫人殺しの証拠の品であるRの文字の刻まれた指輪を、エルネストとベアトリーチェの婚約の指輪にすり替える。そして婚約披露の舞踏会。このシーンが見事なのだけれど、そこで指輪が目にふれたとき、ベアトリーチェは自分の婚約者の眼差しが、母親殺しの犯人のそれであることに気が付く。そこにアンアがやってきてすべてを告白することになる。

 こうして、あの悲劇の夜の真実が明らかになったとき、もはや盲ではないベアトリーチェは、彼女に瞳に光を取り戻した医者の本名を知るが、ふたりの恋路を妨げるものはない。

 

 

 

 

 

*1: G. ボーヴィオGiovanni Bovio, 1837 –1903 )はナポリの哲学者。

*2:タヴィアーニ兄弟の『サンフェリーチェ/運命の愛』(2004) がこの共和国を描いている。