雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

「フェリーニとは誰だったのか?」...

 

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今年はフェデリコ・フェリーニ(ほんとうならフェデリーコ・フェッリーニが正しいのかな)の生誕100年の年で、ほんとうならゴールデンウイークのイタリア映画祭でも回顧上映が予定されていたのだけれど、コロナ禍でご破算。ところが年度の後半に入って頼まれた仕事が昨日完了。Zoom で「フェリーニとは誰だったのか?」と題してお話しさせてもらった。

ところが以前作ってあったキーノートのスライドが見当たらない。Fellini part 3. しかなくて、Part 2 と Part 3 が消えていたのだ。何が起こったかと言うと、マックの「タイムマシーン」にバックアップしていたはずが、新たなバックアップを作成したとき以前のデーターはひとまとまりに消されてしまったというわけ。まあマックからすると、ちゃんと注意してあるだろ、気がつかないのはあんたのせいだぞ、ということなのだろうけれど、いやはや、このアプリ、便利なようでかなりやばい。お仕入れに入れておいた段ボール箱なのに、いっぱいになったからと、奥の方の箱が一括して捨てられてしまったというわけ。

しかたがないのでフェリー二のジェネレーショングラムをこんな感じで作り直した。手間はかかったけど、作業しながら頭の整理ができた。おすすめですよ。

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それから、全作品のポスターの画像を集め直して、まえに使った映像をチェック。Keynote のアップデート版は、YouTube のリンクをそのまま読み取ってくれるので、ものすごく便利なのだけどひとつ問題がある。開始位置の指定ができないのだ。

次のリンクを見て欲しい。これは『カビリアの夜』がアカデミー外国語映画賞を受賞したときのクリップだけど、受賞作のタイトルが読み上げられるところを「開始位置」として指定している。

youtu.be

これをやるには、指定したい時間にスライドバーを合わせてから「共有」をクリックし、ローグボックスのなかの「開始位置」にチェックを入れるだけで良い。

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ところがキーノートではこの機能が使えない。「開始位置」を指定してクリップを引用しても、映像が最初からになってしまうのだ。しかも、ビデオとちがって、引用箇所のエディティングやポスターフレームの指定ができない。うーん、アップルさんがんばって。

そんなわけでフェリーニフィルモグラフィーを振り返り、それからジェネレーショングラムを眺めてとか思ってたのだけど、ポスター見ながら全作品を振り返ってたら、あっというまに1時間ぐらい話してしまう。対面式だったら画像とイタリア語のタイトルから邦題を当ててもらえばさっと終わるのだけど、Zoom だと参加者とのやり取りがもたついて時間がかかってしまう。いきおい少し説明をはじめると、もう止まらない。計算がすっかり狂っちゃった。

ともかくも、実は彼、アルド・ファブリーツィの脚本家として映画界に入ったのだという話をして、そのころは痩せていたのだけど、ジュリエッタと結婚してぶくぶく太ってきたんだよなんて言ってると、もう時間がなくなってきちゃった。

それでもなんとかYTで見つけたジュリエッタのインタビュー映像から、「嘘つきですか」「ええ」みたいなやりとりをイタリア語でひっぱってきて、説明できたのはよかったかも。

youtu.be

- È bugiardo?
- Sì.
- È timido?
- È bugiardo e timido. È la stessa cosa.
- Ha mai dei dubbi?
- È il dubbio in persona. Però mi permette, scusi. Lei mi ha detto “è bugiardo?” e ho detto “sì”. Però è bugiardo perché la bugia per lui non è bugia, è fantasia. Per lui è vedere quello che gli altri non riescono a vedere. 

フェリーニは)嘘つきですか?

 ええ。

内気?

 嘘つきで内気です。同じことですから。

疑ったことは?

 疑いが歩いているような人ですわ。けれどもすいません、いいですか。さきほど「嘘つきか?」と言われて「そうです」と答えました。でも嘘つきなのは、彼にとっての嘘は嘘ではなくて、ファンタジーだからです。彼にとってそれは、他の人がうまく見えないものを見ることなのです。

 これは『8½』の直後のインタビューだけど、マジーナはじつに的確にフェデリーコのことを見抜いている。嘘とはファンタジーなのだ。そしてもうひとつ感動的なのは、この少し前のシーンで、映画のなかでアヌーク・エーメが演じたグイードの妻はご自身のことなのではという質問に、最初は気づかなかったけど、まわりに言われて気がついたと答えるところ。しかも、その自分の分身にフェデリーコの分身であるグイードが、愛の告白をしてくれたことを喜んでいるところ。グイードは、作品のなかでサンドラ・ミーロと浮気し、カルディナーレを理想化しているのだけれど、そんなことはアーティストにとって当たり前と言わんばかり。少なくとも自分のことを気にかけてくれていること、そして結婚して何年もしてから、気持ちを打ち明けられたようで嬉しかったと言っているところ。いやあ、実に良い話ではないか。

 

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ちょうど同じ頃のフェリーニは、この「嘘/ファンタジー」を通して普通の人が見えないものを見ようとしているというマジーナの話を、こんなふうに説明している。引用しておこう。

- Qual è il sentimento, lo stato d’animo che t’ispira di più, dal quale ti senti più nutrito?

- Non lo so, forse il tentativo di riprendere, di riuscire a riascoltare un discorso che si è interrotto, che un po’ per volta è stato fatto con voce sempre più debole fino al punto che non ho saputo più udire. Ecco, questa sensazione qui, di riagganciare un filo che mi è sfuggito di mano. Anzi, mi accorgo così che sto diventando un pochino lirico ma se dovessi tentare proprio di darti una definizione esatta di quello che è lo stimolo più nutriente del mio modo di esprimermi e di vivere, mi sembra che sia proprio questo: tendere l’orecchio e il cuore a qualche cosa che è quasi dimenticato e che non vorrei avere dimenticato.
(Le favole di Fellini: diario ai microfoni della Rai. Raccolta di interviste scelte e riproposte da Paquito Del Bosco. Con CD Audio, Roma, Rai-Eri, 2000, p.51.)

 あなたはどういう感情、どういう精神状態のときにインスピレートされるのですか?着想はどんな?ことから来るのでしょうか?

 わからないですけれど、たぶん、なんとかして途切れてしまった話を捕まえ直し、もう一度聞き直してみようとすることからくるのではないでしょうか。それも、少しずつ声に出されながら、ますます小さくなってゆき、最後には聞こえなくなってしまう、そんな話です。そうなのです、そんな話を聞き取りたいという感覚なのです。つまり、この手からするりと抜けちた一本の糸を掴み直そうとするときの感覚。いや、そういってしまうと少しリリカルになってしまいますね。でも、もっとも触発的で、表現することと生きることを後押ししてくれる何かをできるだけ正確に言葉にするなら、こういうことです。ほとんど忘られていながら、できれば忘れたくなかったものに、耳と心を傾けることなのです。

 

この「ほとんど忘られたもので、できれば忘れたくはなかったものに、心澄まして耳を傾けること(tendere l’orecchio e il cuore a qualche cosa che è quasi dimenticato e che non vorrei avere dimenticato)」というのは、ほんとうにフェリーニ作品の全般に貫かれていること。それこそザンパノが、もはやこの世にないジェルソミーナのトランペットのモチーフに触発され、夜の浜辺で耳にする「虚無」。アウグストが最後の最後に聞いた村人の子どもたちの素朴な歌声。マルチェッロがトレヴィの泉でシルビアに「ほら、聞いて」と告げられて聞くことになる滝の音の沈黙などなど。そして最後には『ボイス・オブ・ムーン』のイーヴォが、月の声に向かって静かにしてくれないかと懇願して、その耳を傾けようとしたあの井戸の中からの「ますます小さくなってゆく声」。

 

それは、消えゆく声に耳を傾けようとするフェリーニのその残響。その消えゆくなにかに耳を傾けてることの喜びを伝える使者。たぶんそれがフェリーニという人だったのだろう。

 

P.S. 質疑応答のときに、フェリーニに感じるノスタルジーはどこから来るのでしょうかと聞かれた。 これはすごく興味深い質問。実は、この質問に答えられるように、『マストルナの旅 (Il viaggio di G. Mastorna)』の話を準備しておいたのだけど、それについてはまた別の機会にちゃんと書いておきたい。

ただ概略だけ記せば、「マストルナの旅」における失敗と病気による入院が、フェリーニフィルモグラフィーの大きな転機となっている。だから『悪魔の首飾り』から『サテリコン』への流れが重要になる。ここでフェリーニはおそらく、自分の知らない世界への映画的なアプローチが可能であることを学ぶのだ。そのアプローチにより『フェリーニの道化師』や『フェリーニのローマ』が撮影され、あの名作『アマルコルド』がうまれることになる。

『アマルコルド』が描くのはフェリーニのリミニではない。あくまでも知らない世界への映画的接近アプローチで描きだされた「小さな町」(borgo)なのであり、その名も Borgo という町なのである。そこにノスタルジーを感じるとすれば、その源はフェリーニの故郷リミニではなく、あくまでもファンタージーが生み出した町「ボルゴ」へのノスタルジーにほかならない。

8 1/2 (字幕版)

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