雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ブラゼッティ『Io, io, io... e gli altri』(1966)短評

2021年の夏、イタリア版DVDを見てFBに短評を書いたのだけど、そのままになっていた。ちょうど今「マンガノ祭り」の最中なので、こちらに転載。

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 1966年の作品、日本語にするのは難しいけど「自分、自分、自分…そして他人たち」みたいな意味かな。イタリア語の io は日本語にするのが難しい。日本語の1人称単数系は役割語になっているから「おれ」「わたし」「ぼく」「わし」... などいろんな可能性があって、そのどれを取るかでニュアンスが変わる。ようするに、「自分」とは関係のなかでしか指示できないのだけど、ヨーロッパの諸語では「じぶん」=「ego」はどこまでも不変で普遍的であり、その ego を中心に考える態度を egocentrico というのだけど、これって日本語だと「自分中心主義」としか言えないよね。これを「ぼく中心主義」とか「わし中心主義」とやると、なんだか笑ってしまう。
 ともかくも奇妙なタイトルの映画はブラゼッティの最後の作品、あるいは「ブラゼッティのオット・エ・メッツォ」であり、1900年生まれの彼が65歳にして撮ったセルフポートレイートであり、常にジャンルのパイオニアとしての面目躍如の作品だとか、集大成だとか言われているから、おもわずDVDを取り寄せてみてしまった。
  結論から言うと大変面白かった。まとまりがなく、ラプソディー的にスケッチを積み重ねてゆくのだけど、ひとつひとつのエピソードがテンポよく展開してゆき、退屈することがない。基本的にコメディなんだけど、風刺的で、冷笑的で、皮肉たっぷり。
 なんといってもマストロヤンニとマンガノのエピソードがよい。ウォルター・キアーリの演じるジャーナリストの主人公サンドロがエゴイスト(egoista)だとすれば、その友人のペッピーノ/マストロヤンニは根っからの愛他主義者(altruista)という設定。そのマストロヤンニがぜひ君に見せたいものがあるというのが、森の中を散歩する仲の良さそうな高齢夫婦の姿。うっとり見惚れるペッピーノを演じるのがマストロヤンニだからこその説得力。
 シルヴァーナ・マンガノの役どころはトップスター。実際のマンガノそのまま。けれど実のところスターの座なんて望んでおらず、平凡な生き方がしたかっただけ、というのが次第にわかってくる。しかも、じつはサンドロ/キアーリとも訳ありだったようだ。そのときの過去の回想シーンがよい。群衆に取り囲まれた、文字通り引きされるスター。残酷な描写のなかで、疲れ切ったマンガノをカメラが、つまりサンドロの眼差しが、遠くから捉えるショットは鳥肌もの。
 いやはや、さすがブラゼッティ、じつに見事。でも日本未公開。残念。
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