雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

カルロ・ルドヴィーコ・ブラガッリャ『人生は素晴らしい』(1943)短評

日本語版DVD。24-41。マニャーニ祭り。これは楽しい。堪能した。

 実はタイトルだけは知っていた。ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』と同名があるという記事を読んだからだ。今回はアンナ・マニャーニを追いかけながらのキャッチアップ。マンガノは主役ではない。けれど実に印象的なコメディエンヌとして登場する。天性の魅力なのだろうか、少し天然の夢想家のヴィルジーニャの依代となる。

 このころのマニャーニは、レビューの舞台でも人気がでていたころ。前年の1942年に息子ルーカが生まれたばかり。母子家庭だからがむしゃらに働いていたころ。しかも、映画が公開されたのはイタリアがドイツの占領下に入ってから冬。その寒い冬の時期に、この映画はとりわけローマで、異常なほどの熱気で迎えられたという。かくも厳しい状況にあって、いったいどうやったら「人生は素晴らしい」と言うことができるのか。観客たちはそれを確かめようとしたのだという*1

 ヒロインはヴィルジーニャの妹ナーディア。当時としては珍しく、女性なのに大学で農学を学び農園を経営しているという設定。演じるのはヴィットリオ・デ・シーカの妻となるマリア・メルカデル。その相手役はアルベルト・ラバッリャーティ 。だから映画はミュージカル仕立てのコメディで。当時のラジオのスター歌手ラバッリャーティが歌いまくる。

 ラバッリャーティは、ムッソリーニの愛人クララ・ペタッチも魅了したらしいのだけで、ムッソリーニの方は彼が大嫌いで「イタリアにはラバッリャーティやトスカニーニ*2は必要ない」と怒鳴っていたという。

 

以下、映画のあらすじを記す。


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 アルベルト伯爵(アルベルト・ラバッリャーティ)はカジノで財産を失って暗い顔をしている。それを見つめる眼光の鋭い男がいる。伯爵が薬を飲もうとするのを見て、男が止めに入る。自殺してはいけないと諭すのだが、じつは胃薬だった。しかし、自殺という言葉を聞いて、アルベルトはそれもいいかもしれないと言い出す。そこで男が自己紹介する。男の名前はルチェディウス博士(グアルティエーロ・トゥミアーティ)。新薬の血清を開発しており、人間の治験を探しているのだという。大変危険な治験なのだが、命を捨てるくらいなら、新しい血清の治験に協力してくれないか。どうせ死ぬのなら科学の進歩のために役立ってほしい。治験までの10日間を過ごすために、十分なお金も用意するという。
 アルベルトは、博士の申し出を受けることにする。お金をもらい、一度は帰ろうとするのだが、ふたたびカジノに戻りすべてをすってしまう。失意の夜。雨が降る。雨宿りのために飛び込んだトラックの荷台で、アルベルトは放浪者のマッテーオ(ヴィルジーリョ・リエント)と出会い意気投合。ふたりは、突然に出発したトラックに乗せられて郊外に連れてこられてしまうが、「La vita è bella」を歌いながら、とある農場にゆきつくことになる。


 

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 ひとりの男が屋敷の塀を乗り越えてゆく。あやしいと思った2人がおいかけると、部屋に入って誕生部のケーキを取り出し、蝋燭をさしてテーブルにセットして出てゆくのではないか。腹が減ったふたりは、残されたケーキを一口もらおうと忍び込んだところに、屋敷の住人で声楽家のヴィルジーニャ(アンナ・マニャーニ)が現れる。名前からして笑わせる。ヴィルジーニャはバージンの意味。マニャーニはこのころ35歳。私生活では前年の 1942年にルーカを産んだばかり。そのマニャーニが演じるのが、恋に恋するヴィルジーニァ。ここはニヤリとするところなのだろう。

ヴィルジーニャ(アンナ・マニャーニ

 ヴィルジーニャは、ケーキを手にするマッテーオを見て誤解する。私の誕生日ケーキなの。誰の使いなのか。マッテーオは外で待っていたアルベルトを指差す。ああ、あなただったのね。ずっとお待ちしておりました、とヴィルジーニャ。いつもお手紙を届けてくれるのに姿を見せない。それが今日はついにおいでになってくださったのね。実は、ずっと手紙を書き続け、今日のケーキを持ってきたのは近所に住む音楽家のレオーネ(カルロ・カンパニーニ)だったのだが、ヴィルジーニャはその気持ちに気づいていないという設定。
 そこにヴィルジーニァの妹ナディーナ(マリーア・メルカデル)が登場。大学で農業を学び、一人で農場を経営する優秀な女性。アルベルトはそんな彼女と偶然ふたりきりになる。姉と違って、わたしはロマンチックなセレナータなんてわからないと言うナディーナに、アントニオはそんなことはないよと、セレナータを歌い出す。心動かされるナディーナ。

アントニオ(ラバッリャーティ)とナディーナ(マリア・メルカデル)

 その後アントニオは、じつはケーキを持ってきたのは自分ではないとの告白し、それまでの事情を説明することになる。ナディーナはそれなら、マッテーオとふたりうちで働けばよいではないかと提案。こうして、アントニオは彼女の農場で新しい人生に感謝することを学ぶのだが、彼にはルチェディウス博士との約束があった。

レオーネ(カルロ・カンパニーニ)とヴィルジーニャ(マニャーニ)

 その間、騙されたことに怒ったヴィルジーニャは、自分にゾッコンのレオーネを巻き込んで、アントニオを逮捕させたりするのだが、ナディーナの尽力もあって釈放。これで約束を果たせると、アントニオはルチェディウス博士のもとに向かうのだが、そこにはマッテーオから事情を聞いたナディーナが先回りしており、博士に危険な治験を取りやめるように頼んでいた。約束通りアントニオが現れる。絶望するナディーナ。血清を射ってくれと頼むアントニオ。このとき博士が思いがけないことを言う。いやもう血清は射ってある。君は生き延びたんだよというのだ。
 実のところ、血清の治験話は方便で、博士は死にたいと思っている若者に生きるすばらしさを教えようとしただけだったというのだ。その名前ルチェディウスのとおり、「光」(ルーチェ)を名前に持つ博士が説明する。

人生の価値がわかるのは、それが失われるのが確実になったときだからね。そのとき初めて人生の価値のすべて、その美しさのすべてが理解されるのさ。
Perché la vita si apprezza soltanto quando si ha la certezza di perderla! Solo allora se ne comprendono tutti i valori, tutta la bellezza!

 

*イタリア語版の映像はここで全編見ることができます。

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ここでは日本語付きで鑑賞可能。ただ画質が少しあらい。

イタリア版はこちら。僕は持っていないのですが、経験からすると上の「CRISTALDIFILM」の方を買いますね。版も新しいので。「Bibax」はどうなんだろう。YouTube の映像はこちらからみたいですが、日本版よりも断然よいですね。

 

*1:Vedi. "Qunado nacque mi figlio fu un gran giorno" in Matilde Hochkofler, Anna Magnani, Bompiani, 2018.

*2:トスカニーニは反ファシズムの象徴的存在。1931年にボローニャファシスト党歌の演奏を拒否、暴徒に襲われたという。ムッソリーニはこの音楽家を警戒して監視。トスカニーニがイタリアの指揮台に立つのは戦後になってからだという。