雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ブラゼッティ『Peccato che sia una canaglia』短評

1954年の作品。日本語にすれば「悪い女で残念だ」ぐらいの意味だろうか。2001年のイタリア映画大回顧祭では『女泥棒とは残念』のタイトルで公開されているけれど、日本語のソフトが出ていないなんて残念。

 監督のアレッサンドロ・ブラゼッティ(1900-1987)は、サイレント時代の最後をかすめて1930年代から活躍する職人監督。最初は実験的で野心的な作品を撮っていた。だからガリバルディによるシチリア統一を描いた『1860』(1934)では、ラストで赤シャツと黒シャツをクロスさせ、ファシズムのイタリアをリソルジメントの歴史に接続しようとしたし、同年の『Vecchia guardia』(1934)では10年前のローマ進軍(1922年)にいたるイタリアの状態を描き出す。

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 この2作を撮ったことのブラゼッティは、おそらくファシストよりもファシストだったのだろう。だからこそ、ストライキにより麻痺に陥ったイタリアを救うべく立ち上がるスクァドリスタ(ファシストの行動隊)の姿を思い出してみせると、政権を安定させてきたファシズムに対して、おまえらイタリアを正してみせると立ち上がったスクァドリズモの最初の理念を忘れるなと言ってみせたわけだ。そんな『Vecchia guardia』はヒトラーに絶賛されたというけれど、ファシストの幹部たちには少しバツのわるところもあったのではないだろうか。

 そんなブラゼッティは1940年代になるとファシズムから距離を取る。『La corona di ferro(鉄の王冠)』(1941)は、戦争中にもかかわらず、戦争反対の寓話にして大史劇スペクタクル。かとおもえば女性たちが大いなるいくつもの夢に向かって歩み出す『Nessuna torna indietro(どの娘も後ろに戻らない)』は イタリアにおける女性映画の先駆け。戦後に撮った『懐かしの日々(Altri tempi - Zibaldone n. 1)』(1952)はオムニバス映画の最初の試みであり、ジーナ・ロッロブリージダの出世作にして、「Maggiorata fisica」*1 という言葉を流行させた。

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 そしてこの『Peccato che sia una canaglia 』では、ローレンとマストロヤンニのゴールデンカップルを誕生させたというわけだ。しかも、デ・シーカも出演している。ここでは俳優だけど、のちには監督として、同じローレン/マストロヤンニのカップルで、『昨日・今日・明日』(1963)、『ああ結婚』(1964)そして『ひまわり』(1970)などの名作を撮ることになる。

 原作はアルベルト・モラヴィアの短編「Fanatico」。日本語訳は未見だけど、河島英昭訳で集英社から『ローマ物語』として出ているみたい。この短編集は、1948年から1959年にかかて主に日刊紙「コッリーレ・デッラ・セーラ」に掲載された短編で、戦後すぐのローマのさまざまな社会階層の人々を主人公に、一人称で物語が語られるもので、戦争の悲劇を背負いながら、すぐにせまった「ブーム」と呼ばれる経済成長を目前にして生きる、いわば変化の時代に生きた人々の日常。

 そのなかでブラゼッティが選んだのはローマのタクシー運転手パオロ/マストロヤンニの物語。戦争で家族を亡くしてひとりきりになったけれど、なんとかお金を稼いで、ようやく手に入れた自分のタクシー。その新品のタクシーに目をつけたのが、ローレンの演じるリーナと2人の若者。ボスはローレン。色仕掛けでパオロをタクシーから引き離すと、その間に車を奪い去ろうとするのだけど、なんとタクシーには泥棒避けのアラームが付いていた。鳴り出す警報音に、逃げ出すふたりの若者。ところがリーナは平然と、あら、あの二人って、泥棒だったのね。さすがのパオロも彼女の嘘を見破るのだけど、ここからのリーナが実にみごと。ああだこうだと言いながら、パオロの怒りをいなしながら、彼の中に純粋な魂を見出せば、ただ騙してポイするわけにもゆかなくなるという、そういうお話。

 そんなリーナの父親のインテリ泥棒のプロフェッソーレを演じるのがヴィットリオ・デ・シーカで、またこれが味がある。ことが巧みに、人間の弱さ、情に流されるものさ、相手の立場を理解し、敬意を示し、巧みに取りってゆくその様は、まさにナポリ風のラルテ・ダランジャルシ(l'arte d'arrangiarsi)、つまりは人生とりあえずうまく切り抜けちゃうしかないよね、という人生哲学。それが娘のリーナに引き継がれると、素朴なパオロへの愛をきっちりと、危うい局面を乗り切って、ものにしてしまうという、まあ、お決まりのパターン。

 でもそれでいいんだよ。戦後、ともかく生き延びることが最優先だった時代に、それでも愛を求めるなんて、贅沢なことを、ソフィアとマストロヤンニがおずおずと、そして最後には大胆に、掴み取る物語。いいじゃないですか。これが深作欣二になるれば『仁義なき戦い』になっちゃうんだろうけれど、もっとそれ以前の、良きヨーロッパと古きアメリカン・コメディの伝統にのっかって、ホイホイと軽やかに、それでいて全てのショットが完璧なアングルから決めながら、流麗な編集でリズムを作るブラゼッティ。お見事。

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 そうそう余談だけど、最後のバスでのスリのシーンで、スられる熟年のカップルの夫を演じたのは、ヴィットリオ・デ・シーカの30年代の寄席の相方であるウンベルト・メルナーティ(Umberto Melnati)。ドゥーラ・ミンガ(それ続かないわ)というミラノ弁のラジオ喜劇で一世を風靡したデ・シーカとメルナーティのコンビを甦らせるのは、その時代のことをよく知っているブラゼッティ。

 ああ、そういう平和な時代もあったんだよなというノスタルジーととともに、戦後復興への道すじを、笑いの中に軽やかに描いてみせるのだから、まだテレビ放送が始まっていないイタリアでにあって、映画が大衆の夢を主役する役割を担っていた頃の、そんな映画なんだよな、これは。

 ローレン&マルチェッロのコンビはここから火がついて、翌年にはマリオ・カメリーニが『バストで勝負』なんて撮っているし、ブラゼッティも1956年には『Fortuna di essere donna』なんていう作品で、往年のアメリカン・コメディを彷彿とさせながら、フェリーニの『甘い生活』(1960)を先取ってみせるのだから、おもしろい。 

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 映画がまだ映画だった時代の映画のお話。拍手喝采。やんややんや。

 

 

*1:「肉体的に成長しすぎた」の意だが、思わず道義を踏み外させるほど魅力的な肉体の意で、「minoranza psichica」(精神薄弱)と同じように扱うべきだと、映画のなかでデ・シーカの演じる弁護士が主張する