雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ブラゼッティ『Contessa di Parma 』短評

Contessa Di Parma [Italian Edition]

 

 イタリア版DVD(RHV)。1937年4月公開。日本未公開。「Contessa di Parma」の意味は「パルマ公爵夫人」。

 

 舞台はトリノ。イタリアが国際連盟から脱退し、経済制裁を課せられているころの話。そんな時代のファッション業界で、「パルマ侯爵夫人」と呼ばれるモデルのマルチェッラ(エリーサ・チェガーニ)が、サッカー選手のジーノ・ヴァンニ(アントニオ・チェンタ)と出会い、惹かれあい、すれちがいながらこうを成就させる。典型的なボーイ・ミーツ・ガールもの。

 

 マルチェッラはどうして「公爵夫人」と呼ばれるのか。彼女がモデルとして雇われたのが、アトリエ・プランタンという名前のファッション会社。その社長がフランスかぶれのカッラーニ。モデルたちに自社の衣装を着せて、紳士たちに接待をさせるのがその販売方法なのだけれど、そのときに使わせる源氏名のひとつが「パルマ公爵夫人」。

 

 この社長を演じているのがウンベルト・メルナーティが、じつに達者。。デ・シーカと組んでラジオでコントなどをやっていた喜劇役者が、嬉々としてフランスかぶれの社長を演じている。

 

 この社長には、ただひとり頭の上がらない人物がいる。会社のオーナーのマルタ・ロッシ夫人(ピーナ・ガッリーニ)だ。彼女は社長から「マヌカン」と聞くと「インドッサトリーチェ(服の着る女性)」と言い直し、「プランタン」という会社の名前に「なぜ、プリマヴェーラ(春)にしないのかしら」と腹を立てる。

 

 実はこの辺りが当時の風俗をずばり表している。やたらめったら外国語を使うことを慎もうという風潮。じっさい翌年(1938年)の初めには「言語改良事業」なるものが始まり、敬称の「Lei」がブルジョワ的だと非難され、代わって「Voi」が推奨される。もちろん外来語はイタリア語化すべきとされ、ジャズの名曲「スター・ダスト」は「ポルヴェレ・ディ・ステッレ」とイタリア語化されるわけだ。

 

 それにしても、なぜブラゼッティがファッション業界のボーイ・ミーツ・ガールものを撮ったのか。じつはこの企画、本人が持ち込んだものらしい。ほんとうは「スキピオ」のような歴史巨編を撮りたかったらしいのだが、なかなかお声がかからない。いつまでも映画を撮れないのではたまらないと、みずからファシスト政府に歩み寄りを見せて、体制が許容していた「白い電話」と呼ばれる軽喜劇に歩み寄ろうとしたわけだ。

 

 そういう意味では、ブラゼッティらしくない作品と言われている。しかし、よく見てみればこれは実によくできたエンタメ映画。しかも、期せずしてファシズム時代の風俗を描いてくれている。ファッションもそうだし、サッカーの試合でイタリア対スイスの試合が登場するのも面白い。「パルマ公爵夫人」のお相手をサッカーの人気選手という設定にしたのは、そのためでもある。イタリア・ファッションとイタリア・サッカーを題材にすれば、企画を煙たたがられることはない。

 

 実際、ブラゼッティはフランク・キャプラの『或る夜の出来事』(1934)や『オペラハット』(1936)を参考にしたという。たしかにメッセージ性はない。軽やかなセリフでリズム良く展開する娯楽映画だ。だからといって簡単に撮れるわけではない。

 

 軽やかなセリフまわしで、リズムよくカットをきざみ、恋のすれ違いの物語にひきこんでゆくには、どうしたって職人技が必要。ブラゼッティにはそれがある。はっきり確認できる。だってこの映画、さいごまでしっかり楽しませてくれる。

 

 誰かが言っていたけど、成功しなかった隠れた作品にこそ、作家の特質があらわれるらしい。だとすればここにあるのは、映画をなによりも娯楽とみなす映画の父の生身の姿なのかもしれない。