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朝カル横浜「ナンニ・モレッティの世界」... 話してきました!

 朝日カルチャーセンター横浜では、このところ「イタリア映画の今」と題してお話しさせていただいています。今回(朝カル横浜 2022/10/22)は「ナンニ・モレッティの世界」。幸いにも無事終了。おいでになっていただいた方、ありがとうございます。

 ちょうど『3つの鍵』の公開と『親愛なる日記』のリヴァイヴァル上映中。もうすぐ終わるというところにギリギリ間に合いました。参加者の方も、観た方とこれから観る方という方がおられました。いやあ、どちらもいい映画ですよね。『親愛なる日記』にも捨てがたい魅力がありますが、映画としてよくできていて、しかも成熟しているのはだんぜん『3つの鍵』のほうだと思います。

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 さて今回は、モレッティの初期の作品を振り返り、最近の『3つの鍵』直前の作品を紹介するという構成になりました。いつものように年表を作成しながら、どんな語りになるかさぐるのですが、自分としてはいろいろ発見がありました。

 これがモレッティの年譜です。イタリアの現代史、とくに後半は国政選挙との関係を見るといろいろなことが見えてきます。

 モレッティの初期の短編などを年表に書き込んでいると、ああ、彼はこう言う時代を生きたんだなというのが見えてきますね。あの「セッサントット(1968年)」には15歳。モレッティは、まさにポスト・セッサントットの世代として、二十歳のころに映画を撮り始めます。そんな1973年、チリのサンチャゴではクーデターが起こりますね。それが、のちのドキュメンタリー『Santiago, Italia(サンチャゴ、イタリア)』(2018)と呼応することになるのです。

 パゾリーニ殺害(1975)の翌年には、8ミリで撮った長編『Io sono un autarchico』(1976)が話題となります。そして、ミケーレ・プラチドなどの俳優がプロデュースに入り、16ミリをブローアップした35ミリ劇場長編『青春のくずや〜おはらい(Ecce bombo)』(1978)から、『監督ミケーレの黄金の夢(Sogni d'oro)』(1981)が公開されます。その間、改革派の教皇ヨハネ・パオロ1世が不穏な死を遂げ(1879)、モーロ元首相の誘拐殺害事件(1979)、ボローニャ駅の無差別爆弾テロ事件(1980)が起こります。モレッティの映画が若者から圧倒的な支持を得た背景には、こういう時代があったのかもしれません。

 親たちの世代が押し付ける条理に反発すると、学生運動や労働運動を先導するマルクス主義的なイデオロギーが待っている。古い条理と新しいイデオロギーの対立、そしてテロリズム、そのなかでポスト・セッサントットの世代は疲弊し、だからこそ、モレッティの映画の主人公となるミケーレ・アピチェッラに激しく共鳴したのではないか。ぼくには、そんなふうに思えてきたのです。 

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 モレッティの主人公ミケーレ・アピチェッラは、大人からしても、マルクス主義からしても、うまく理解できない存在です。まさに「不条理 assurdità 」を体現した人物だからこそ、同世代の圧倒的な共感を得たのかも知れません。

 そのあたりのことは、この記事がうまく伝えてくれます。

corrieredelmezzogiorno.corriere.it

 記事を書いたジョヴァンナ・モッツィッロは、ナポリの人でヴィエトリでモレッティの一家と知り合います。アガタ・アピチェッラ・モレッティ夫人は高校の文学教師、夫のルイージは大学教授で古代ギリシャ語の碑文の研究科、長男のフランコ比較文学の教授。そんな紹介を受けた記者は、こんなふうに答えたというのです。

「文学一家なんですね!」と私は叫んだ。
「いいえ、私たちには奇妙な息子がいて、あらゆる基準を爆破した息子がいるものですから…」
「どういう意味ですか?」
「つまり、その息子はオルタナ(alternativo)なのです、既成概念に反対するオルタナなのですが、ちょっと度が過ぎるのです」。そうアガタは答えた。「息子はね、友人がくると、みんなを父親の書斎の前に連れてゆき、換気窓を開け、机に座っているのを指さし、《ほら、あれがリベラルってやつだ》なんていうのですよ。それにね、なんの仕事をしているかご存知ですか。《映画》なのです!」
「ああ、俳優ですか?」
するとアガタの夫が答えた。
「いいえ。監督というやつですね。それも全くの自己流で映画を撮っているのです。もちろん、同時代的、政治的、刺激的なのですが、ちょっと困惑させれるところがあるのです」。
ここで友人エヴァが口をはさんだ。
「あら、あなたナンニ・モレッティの映画を見てないの。『Io sono un autarchico』とか『青春のくずや〜おはらい』というタイトルよ」… 

 私は映画好きでしたが、その作品は観逃しており、とても残念に思ったのです。というのも、息子さんが家族の伝統を壊したことに(おそらく本当に)落胆しているにもかかわらず、このご夫妻は監督をしている息子さんのことを、とても誇りに思っていることがわかったからです。
 それから数年後、ふたりの息子モレッティ監督の最初の2作品を見る機会をもつことができました。それは、私が教えていた学校で、学生と近隣の方のために企画した上映会(一種のシネフォーラム)のプログラムになったのです。
 するとどうでしょうか。わたしの生徒たちは、ヴィスコンティフェリーニもアントニオーニも面白がらないのに、興奮してこう言うではありませんか。「すごいよ、この人ってちゃんと分かってるじゃないか。先生、すごいよ、この人って神じゃないのかい!」( Ma questo qua ha capito tutto, proprio tutto, questo qua, professorè, è un padreterno!)

 なるほど、モレッティが母親の姓を借りて想像したミケーレ・アピチェッラは、モレッティ世代の若者たちにとっては、まさに親の世代と新しいイデオロギーのはざまで押し潰されそうになる自分の心情を、そのままそっくり正直に隠すことなく表明してくれるものだったのかもしれません。「カミが降りてる」(Questo qua è un padreterno! )でも訳せばよいのかもしれませんね。

 今回は、そんなミケーレ・アピチェッラのダイアローグを伝えようと、YTのクリップに字幕をつけて紹介したり(機会があればどこかで紹介しますね)、「家族がみんな人文学者 una famiglia integralemente umanistica !」と驚かされたその家族、映画へのカメオ出演シーン、そしてその意味などをお話ししました。

 たとえばこれ。エイプリルに登場したモレッティのお母さんですが、これがどんなシーンだったかというと、そのセリフがすべてを語ってくれます。「1994年3月28日の夜、右派が勝利したとき
ぼくは人生で初めてハッパを吸った。マリファナだよ。どうしろってんだい?」。肩をすくめる母。テレビではあのシルヴィオ・ベルルスコーニが勝利宣言をしている。そんなシーンです。

 それしても、モレッティのダイアローグは、「いかにも芝居がかった感じ」(istrionismo)で、常に「不条理」(assurdità)なものを抱え込んでいます。それはどこかバスター・キートンに似ているのかもしれません。チャップリンのような筋の通ったセンチメンタリズムではなく、ドタバタ活劇。まさに不条理な(assurdo)喜劇、それがモレッティのスタイルです。

 ところで、この『エイプリル』の背景には、90年代のイタリアのふたつの選挙があります。ひとつは右派のベルルスコーニが勝利した1994年選挙。もうひとつは、そのベルルスコーニに左派のプロディが勝利した1996年の選挙。そして息子ルイージの誕生。その名は'91年に亡くなった父からとったものですね。

 そんな『エイプリル』(1998)とその前身ともいえる『親愛なる日記』(1993) の2作には、あのミケーレ・アピチェッラは登場しません。ミケーレが最後に登場するのは『赤いシュート』(1989)ですが、ベルリンの壁の崩壊の直前に公開されたこの予言的作品は、父ルイージが登場する最後の作品でもあります。父が亡くなり、自身も悪性リンパ腫を患ったモレッティが、新しいスタイルの映画に挑戦したのが『親愛なる日記』であり、そこでのモレッティモレッティ自身としてカメラの前にみずからの人生を、いわば赤裸々に、晒すというわけです。

 もちろん、そこには演出も入っています。あくまでもフィクションなのだけれど、そのフィクションはかぎりなく実人生に近く、そこから生まれたもの。それが自分の映画なのだという覚触を、モレッティはつかんだのだと思うのです。

 そして2000年に入ると、この覚触から生まれる映画が続きます。『息子の部屋』(2001)は息子が生まれたことから、逆説的に発想されたものだといえますし、『ローマ法皇の休日』(2011)の撮影中に亡くなった母との思いは、『母よ、』(2015)という映画に結びついてゆくというわけなのです。

 そんな『母よ、』のあとで、モレッティはなぜかドキュメンタリー『Santigago, Italia』(2018)を発表しています。ぼくの今回の収穫はこの映画です。イタリアからDVDを取り寄せて観てみたのですが、なぜサンチャゴなんだろうという疑問がみごとに氷塊。セミナーのために年表を作成していたのがよかったのですね。1973年のチリ・クーデターと当時のイタリアの関係だけではなく、そのころに映画を撮り始めたモレッィとの関係までがはっきりと見えてきたのです。

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 そんな話やこんな話をして、最後に、2023年公開予定の『Il sol dell'avvenire(未来の太陽)』の予告編を、勝手に作成してご紹介できたのも楽しかったです。この作品、すでにクランクアップしてポスプロに入っているとこのこと。公開が楽しみです。

 おまけとして、モレッティ映画のダンスシーンのマッシュアップビデオを作ったりと、最近慣れてきた iMovie を活用することもできました。いやね、モレッティ映画ってダンスシーンが大事なんですよん。それがきっとバスター・キートン的なドタバタ活劇の代わりになっているのじゃないかと思うくらい見ていて楽しい。

 とまあ、今回はそんなところ。次回の横浜での「イタリア映画の今」セミナーは、2023年3月4日(土曜日)を予定しています。タイトルは『マッテオ・ガッローネの世界』。さてはてどんな話になりますやら。乞うご期待 (^^)/

 

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