
DM。 25-42。イタリア語版。字幕なし。エットレ・スコラ祭り。
スコラの長編第2作目。デビュー作の『もしお許し願えれば女について話しましょう』(1964年)がヒットしたからだろう。気心の知れたガズマンを主役に、相手役にはアメリカからショーン・コリンズを呼び、舞台もローマ、フィレンツェ、リグーリア、スイスと国際的。テンポも軽やかでベンツやベントレーなどの高級車を乗り回し、ド派手なアクションと立ち回りもなかなか。とはいっても全体の調子はコメディという作品。映画の黄金時代だったのだろう。
タイトルの「La congiuntura」は「景気」のこと。1960年代のはじめイタリアは景気後退にみまわれていた。インフレが進み、リラ危機が取り沙汰されていた。そんなとき、しきりに取り沙汰されたのが「資本逃避」(fuga dei capitali)だったという。イタリアにあるドルは簡単には海外に持ち出せない。税関で課税されるからだ。けれどもなんとか資本をイタリア国外に逃がしたい金持ちがいる。そういう経済状況がこの映画の時代的な背景だ。
その資本逃避の企てに巻き込まれるのが主人公のジュリアーノ(ガズマン)。冒頭で見せてくれるのだけれど、ジュリアーノは教皇貴族の一家の末裔。聖職者にこそならなかったものの、宗教的な教育はきちんとうけているから礼儀正しく、みなりもきちんとしており、まわりからはプリンチペ(一家のプリンス)と呼ばれているが、夜な夜なナイトクラブに出入りして女遊びが大好きでわがままな放蕩息子なのだけれど、これをガズマンがやるから実に笑える。好き勝手やるのだけれど、一家の当主たるおじいちゃんにはまったく頭があがらないのも笑える。

で、そのジュリアーノがその晩のナイトクラブで出会うのがジェーン(ショーン・コリンズ)。見つめられてその気になって口説こうとする。ところがジェーン、その気があるようで、ジュリアーノの口説きをうまくかわし、かわしながらも引き止める。要するにすっかり手玉に取られたあげく、車でスイスのまで送ることになる。そのセリフのやりとりの絶妙さはさすがエットレ・スコラ、喜劇の脚本をおおく書いてきただけあるわけだ。
なんだかジェーンがあやしいのはセリフやりとりからわかるのだが、世間知らずのお坊ちゃんのジュリアーノにはわからない。このジェーン、実はこのお坊ちゃんを利用して、大金を国外に運び出そうとする一味。黒幕はどうやらジュリアーノの家の婿養子で実業家のカルローネ(ディーノ・クルチョ, Dino Curcio)のようだが、ジェーンは彼の仲間のサンドロ(ジャック・ベルジュラク, Jacques Bergerac)の恋人なのだ。
ジュリアーノの一家のテーブルでひとり金の話をしていたのがこの婿養子サレルノなのだけど、この男はどうやら大金をスイスに持ち出そうとしているらしい。だから仲間に頼んで、その恋人のジェーンにジュリアーノをたぶらかさせ、彼のベンツを利用しようというのだ。というのも、ジュリアーノはヴァチカンの貴族だからその車にはCD 「Corpo diplomatico(外交機関)」で始まる外交官のプレートがついている。その車のなかに「100万ドル」の現金を隠せば、外交官特権で、国境でも調べられることはないというわけなのだ。

さあてここからはロードムービー。フィレンツェでベンツが故障すると、修理屋においてフェラーリに乗り換えて現れるジュリアーノ。驚くのはジェーン。なにしろ百万ドルはベンツに隠してあるのだ。おいてゆくわけにはゆかない。早い車は怖いとか、せっかくフィレンツェにきたのだから車が修理できるまで泊まりましょうとか、でも同じ部屋は嫌だとか、言いたい放題。そんなわがままを言われたことがないプリンチのジュリアーノ、なんだかむしろ嬉しそうなのが笑えちゃう。
途中でブドウ売りの少年からブドウではなくて、彼のお弁当だというサンドウィッチを大枚だして買い取れば、それがこの少年の狡猾な商売。リグーリアの海岸に立ち寄って日光浴をして、観光地のぼったくりに近いレストランで食事をしている間にベンツが盗まれてしまう。そりゃそうだ。コンバーチブルをオープンのままでその辺に駐車したら盗んでくれと言っているようなもの。ジュリアーノは貴族だから慌てることがないけれど、ジェーンは失神してしまう。駆け寄る人々に、なんだお前らは、人が失神するのをみたことがないのかとジュリアーノが言えば、こんな美人が失神するのはみたことがないねと返される。
まあ、彼女にしてみれば100万ドルが盗まれたようなもの。けれどジュリアーノは保険がかかっているから問題なしと慌てるでもなく、電車で目的地のスイスのおじさんのところまで送ろうと言い出す始末。困っているところに、ひょろりとしたメガネの怪しい男(Ugo Fangareggi)があらわれて助け舟を出す。ぼくが車を見つけてあげますよというものだから、ジェーンはすっかり乗り気。ジュリアーノを連れて、ポリポ(タコ)と名乗るいかがわしい男(Paolo Bonacelli )を尋ね、大枚叩いて車を取り戻してもらう。

このタコ男ことポリポを演じたパオロ・ボナチェッリは舞台俳優としても活躍する名優。パゾリーニの『ソドムの市』(1975)では「公爵」の依代となり、アラン・パーカーの『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)のトルコ人囚人リフキーに抜擢されている。
ともかくも、ポリポたちのおかげでベンツを取り戻したジェーンとジュリアーノは、スイスとの国境をヒヤヒヤしながらも難なく通過。それからガソリンを補給する。スイスのほうが安いからねというのもまた経済危機のイタリアへの当て擦り。
ガソリンを入れているすきに、ジェーンはバールの電話で恋人に電話。これまでの経緯を説明していると、そこに思ってよりも早く帰ってきたジュリアーノは、会話をすっかり聞いてしまう。問い詰められたジェーンがベンツに乗って逃げだすと、ジュリアーノはヒッチハイクをして追いかけようとするのが笑える。
やっととまってくれたのが、年配の貴族の夫人が運転するベントレーのSタイプ。あんたいい男だから乗せて上げるというのだけど、これがまたトロトロ運転。なんとか運転を変わってもらうまでのセリフのやりとりで笑ったら、車をとめて席を変わる二人が重なってしまうところで、通りがかりの車からヤジられる。誤解だよと叫んでも、このご婦人はまんざらでもなさそうなんだよね。
この夫人を演じたのはイギリスの舞台女優ヒルダ・バリー(Hilda Barry, 1884-1979) だというけど、気品がありながら、子供のようにはしゃいで見せてくれたりする。実に楽しい。なにしろ最後にはカーチェイスをお披露目してくれるのだから。

ここから先は100万ドルを追いかけてのドタバタ追いかけっこ。電話で聞いたホテルまでやってきたジュリアーノ。すると、ベンツに隠したお金がなくなったと恋人から攻められているジェーン。この恋人とジュリアーノが吸ったもんだしているところに、枢機卿の一行が通りかかり、挨拶を始めるジュリアーノを尻目に男が逃げ出し、ジェーンは部屋に戻る。果たして100万ドルはどこに消えたのか。じつはジェーンの恋人が仲間とネコババしようと企んでいたのだけど、ネコババした大金をバックに隠しているところ目撃したジェーンはそれを隠し、ジュリアーノを呼び戻そうとする。ところが戻ってきたジュリアーノはネコババ男と鉢合わせ。さあてこここからは大活劇。逃げる男、追う主人公の大アクションは見てのお楽しみ。もちろん行き着く先はハッピーエンドなんだけどね。
ああ楽しかった。ショーン・コリンズってなんだか、ライザ・ミネリみたいに少しタレ目なのがカワイイのよね。ガズマンは2枚目半で非常にコミカル。アクションシーンも実にコミカルにこなしてみせる。だからスタントを使わなかったんだね。あまり巧くて迫力があったりすると笑えない。だからガズマン本人が頑張って、まるでマンガのようなドタバタ活劇ができあがったということらしい。
ガズマンには舞台役者というしっかりとしたバックグランドがあるから、ヴァチカンの貴族をそれらしく誇張しながらも笑いのネタにしてしまうという芸当ができたわけだ。ほんと、こういう役はうまい。ソルディにもマストロヤンニにも真似ができない。そこがガズマンなんだよね。
それにしても、なんとう娯楽作品なのか。経済危機のことをバックに「資本逃避」を活劇のネタにして、しかも貴族階級のボンボンを主人公にするという離れ技。貴族階級といえば、『甘い生活』(1960)にも登場したし、ヴィスコンティが『山猫』(1963)で歴史的に取り上げたりもしたけれど、1960年代の当時は新聞や写真週刊誌で大いに話題になっていたらしい。言ってみれば、この映画のジュリアーノの祖父は、ヴィスコンティ/ランペドゥーサの山猫/サリーナ伯爵なんだろうな。新興のブルジョワの俗物がドン・カロージェロ・セダーラ/パオロ・ストッパなら、エットレ・スコラはそれを実業家の婿カルローネ/ディーノ・クルチョにやらせる。そして、能天気なボンボンのジュリアーノ/ガズマンには、ローマの道路工事現場で「仕事ぶりをながめているのは勉強になるんだよ。ぼくだって彼らの仕事ならすぐに代わってやれるのさ」なんて言わせるのだけど、やがて貴族の称号は廃止され、彼らの方こそ消えてゆく運命にあることが、皮肉な形で暗示されているというわけだ。

そんな事情は、当時のイタリアではよく知られたことだし、ヨーロッパでは理解できることなのだろうけれど、アメリカや日本では、ちょっと分かりずらいかも知れない。チェッキ・ゴーリ制作の国際映画ではあるけれど、ここで国際的市場というのはあくまでもヨーロッパ市場のこと。そして主なターゲットはフランスのようだ。エットレ・スコラが言うには、フランスではイタリア映画の社会的なコメディが受けたという。たしかにジャン・ルノアールは社会的なコメディを撮っていたのだけれど、それ以降になるとフランスの監督たちは独自の詩的な作品を取るのだけれど、フランス流コメディのようなものはななり、だからイタリア式喜劇のような作品が受けた。なにしろフランスとイタリアではいろいろな事情が近かったから、という。*1
そんなわけで、この快作、日本でまったく知られていない。未公開だしテレビ放映もないみたい。もったいない。ぼくはかなり楽しめた。面白い。エットレ・スコラのいかにもスコラらしい活劇なのだ。
いやはや、ちょっとした発見でした。
ご関心のある方は、イタリア語版ならここで視聴できますよ (^^)/
La Congiuntura (1964) HD - Video Dailymotion
*1: "Ettore Scola Il cinem e io", Roma, Officina Edizioni, 1996, p.70.
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