雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

シルヴァーナ・マンガノの微笑み(1)

 昨日は横浜でシルヴァーナ・マンガノのことを話してきた。今年の春から懐かしのイタリア映画と銘打ってロッロブリージダ、カルディナーレと続けてきたけれど、年末はマンガノ。

 日本では「マンガーノ」と表記されてきた。アクセントの音節が後ろから2番目ならそれでいい。でも、調べてみたら後ろから3番目のアクセントで発音されることが多いようだ。だから「マンガノ」。

 まあ、細かいことを言えば「シルヴァーナ」じゃなくて「スィルヴァーナ」。でもね、タイプフェイスが美しくない。そもそも日本語には「スィ」の発音はない。だから「シルバーナ」でもいいのだけれど、やっぱりVの音は「ヴ」とやりたい。このあたりは好みの問題。

 さて、そのシルヴァーナ・マンガノ。1930年のローマ生まれだそうだけど、父親はプッリャ州出身の鉄道員*1。ネットで見つけた写真をみると、鼻筋がそっくり。いい服を着ているけれど、この写真はマンガノが成功したあとのものだから、少しは生活が楽になったのだろう。そもそも、南部の人としては鉄道員や公務員、あるいは警官や憲兵隊(カラビニエーレ)になるのはまずまずの出世。生活が安定する。

 その父親が結婚したのはイギリスから来たアイヴィ・ウェブ(Ivy Webb)なる女性。ロンドン南部のクレイドン生まれというのだけど、プッリャの鉄道員と結婚しローマで家庭を持つ。どういう経緯で知り合ったのは調べがつかなかったけれど、ぼくとしては、シルヴァーナにイギリスの血が入っているというのは今回の発見だった。彼女の容貌にはどこか不思議なニュアンスがあるのだけれど、その理由の一つが母親の血なのだろう。

 シルヴァーナは少し大きくなるとバレエを習う。ミラノに学校を開いていたヤ・ルスカヤ(Jia Ruskaja は「私はロシア人」の意, 本名をエフゲニア・ヒョドロヴナ・ボリシェンコ)のもとで学んだという。ルスカヤはロシア革命によってイタリアに亡命してきたアーティストだったらしい。

 興味深いのは、革命以前のロシアからやってきたバレリーナのもとで学んだシルヴァーナが、のちにプーシキンの『大尉の娘』のマーシャを演じることになるということだ*2

 シルヴァーナはこのバレエスタジオで見出され、パリにわたってモデルとなり、映画にも端役で出演、1946年にはミス・ローマに選出される。翌年のミス・イタリアは辞退するものの、映画界から注目を集め、ミス・イタリアで3位になったロッロブリージダととともに1947年にはマリオ・コスタ監督による『L'elisir d'amore (愛の妙薬)』やアルベルト・ラットゥアーダの『ジョヴァンニ・エスポジトの殺人』などに端役で出演する*3

 

 シルヴァーナに転機が訪れるのが1949年の『苦い米』。トゥッリオ・ケジチによれば「シリヴァーナ・マンガノが演じた、短パン姿の田植え娘〔mondina*4〕は、イタリア映画のイコンとなり、50年代の肉体は女優たち〔maggiorate*5〕の先駆けとなった」という。

 

 同じ1949年にシルヴァーナはドゥーリオ・コレッティの『シーラ山の狼』にも出演している。続けて2本の映画に主演したのはディーノ・ディ・ラウレンティイス(1919-2010)の存在がある。俳優をめざして上京しながら早々に路線を転換してプロデューサーの道を歩み始めたディ・ラウレンティイス。

 将来の国際的な大プロデューサーの目にとまったマンガノは、2本の主役を勝ち取り、同時にその妻となる。このころ付き合っていたマストロヤンニに言わせれば、それはこんなふうだったらしい。

「彼女はぼくといるべきだった。ぼくらの相性はおたがいぴったりだった。けれどもそのころのぼくは無名だったし、彼女には野心があった。そのための結婚だったから、幸せではなかったんだ。ぼくと同じようにね」

 こうしてシルヴァーナは、夫ディーノのプロデュースで多いな仕事が入ってくるようになる。1950年にはマリオ・カメリーニの『紅薔薇は山に散る』でふたたびナッザーリと共演するが、おそらくこのとき、妊娠した役を演じたシルヴァーナ自身も身籠っていたはずだ。長女の出産と映画の公開が同じ年なのだ。

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 ついでアルベルト・ラットゥアーダの『アンナ』(1951)だ。彼女がマンボを踊るシーンはナンニ・モレッティが『親愛なる日記』(1993)のなかに引用するほど。イタリア映画のイコンのひとつ。

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 そんなマンガノの踊りを全面的に打ち出したのがロバート・ロッセンの『マンボ』(1954)。こちらのダンスはキャサンリン・ダナムの振り付けによる本格派。

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 おっと、そろそろ出かけないとならないので、続きはまた今度... 

 

 

*1:シチリア生まれという説もあるけれど、Wikipedia.it (2023/12/8閲覧)によれば父アメデーオの出自はチェリンニョーラ(フォッジャ)〔Cerignola (FG)〕とある

*2:ラットゥアーダの『テンペスト』のこと。この記事を参照:

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*3:この記事を参照のこと。

 

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*4:「mondina」は稲田の草取りや田植え稲刈りなどをする女性の季節労働者のこと。動詞 mondare(洗う、コメを洗う、草取りをする)から派生

*5:「maggiorata はこの記事を参照のこと。

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