雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

シルヴァーナ・マンガノの微笑み(2)

 さてさて、午後にちょっとお芝居をみて、買い物をして、煮込みうどんを食べて、風呂にも入った。「マンガノの微笑み」の続きを書いておく。書かないと多分ほうったらかしになりそうだし。

 1950年代のマンガノは、夫のデ・ラウレンティイスの後押しもあって、国際的な大作に次々と出演してゆく。そのひとつが、前に述べた『マンボ』(1951)。これにマリオ・カメリーニ監督でカーク・ダグラス主演の『ユリシーズ』(1954)が続く。テレビで見たときはマンガノの美しい2役にハッとした。

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 この時期なイタリア映画にはヴィットリオ・デ・シーカの『L'oro di Napoli』(1954)がある。タイトルの意味は「ナポリの黄金」だけど、発音だけだと「Loro di Napoli(ナポリの連中)」にも聞こえるという仕掛け、ナポリを舞台にした6話からなるオムニバス映画だ。

 マンガノが演じるのはローマの娼婦テレーザ。ナポリから来た若くハンサムな金持ちから求婚され、ようやく幸せになれると思うのだが、この若者がルチーアという女性に求愛し、応じてもらえず、自殺に追い込んでいたことを知る。テレーザとの結婚はその罪滅ぼしだというのだ。テレーザはとんでもないと反発して家を飛び出す。しかし、ナポリの夜の通りに出てみると突然に孤独を感じる。このまま帰っても、かつての生活に戻るだけ。迷ったあげく、意を決してナポリにとどまることを決める。そのときマンガノの表情がすばらしい。ようやく女優らしくなってきたなという瞬間だ。

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すばらしい名作なのだけど日本未公開。ぼくはイタリア語版で鑑賞。

 それから今回マンガノをおいかけていて発見した名作は、1950年代に集中している。たとえば『人間と狼』(1957)、『海の壁』(1957)、そして『テンペスト』(1959)。それぞれすばらしい名作。このころのマンガノは美しく演技もできて、しかもミステリアスな影があるからたまらない。

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 けれどもこの時期の最高傑作jは、マリオ・モニチェッリの『戦争、裸の兵隊』(1959)に違いない。実はぼく、この映画を朝日カルチャーセンターで原案を通読しているのだけど、イタリア式喜劇の最高傑作のひとつではないかと思っている。映画もすばらしいが、なによりもマンガノが演じた娼婦コスタンティーナがすばらしい。じつはマンガノの演技、これまでの作品のイタリア版はリディア・シモネスキ(Lydia Simoneschi)による吹き替えだったのだが、モニチェッリの『戦争』ではじめて自らの声で吹き替えたという。それはローマ訛りのヴェネト弁なのだが、これが妙におかしくてリアルで味がある。そんな傑作シーンのひとつが、ガズマンとみごとな掛け合いをするこれ。リンクを貼っておこう。

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 こうして1960年となる。じつはフェリーニの『甘い生活』(1960)にマンガノの出演が打診されていたという。アヌーク・エーメが演じたマッダレーナ役だったというのだが、そうなるとマストロヤンニとのからみとなる。マンガノとは恋仲だったことは周知の事実。たぶんそんなこともあったのだろう。デ・ラウレンティイスはこの出演オファーをうやむやにしてしまったという。ちょっと見てみたかったな。マンガノの『甘い生活』も。

 しかし同じ年、マンガノは『甘い生活』ほど知られていないが、私見では、それに匹敵するような傑作に出演している。それが『五人の札つき娘』。いやこれはすごい映画だ。監督はアメリカを赤狩りで追われていたマーティン・リット。原作はイタリア式喜劇の立役者でもあるウーゴ・ピッロ。キャストもジャンヌ・モローやリチャード・ベースハートなど国際色豊か。批判もあったようだけれど、この作品、今こそ見直されるべきだとぼくは思った。

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 1960年にはもう一本傑作がある。マリオ・カメリーニの『Crimen』だ。これも日本未公開なのだけど、どういうわけなのかな。ジャッロにしてコメディ、コメディにしてジャッロ。コンパクトで最後まで飽きさせず、しっかり笑わせてくれる。ぜひとも字幕をつけてほしい。だってもったいないよね。

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 こうして始まるマンガノの60年代の映画で、ともかく絶対におすすめなのが1967年の『華やかな魔女たち』。

 詳細はこちらを以下の記事をみていただくとして、ひとこと言いたいのは、これも日本語版のメディアがない。配信もない。これほどマンガノの魅力をあらゆる角度から引き出そうとするオムニバス映画なのだけど、これが日本のファンに日本語でとどかないとは、じつに残念。というのも、この作品を通してマンガノは、パゾリーニと出会い、そしてヴィスコンティと出会うからだ。

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 パゾリーニとはその後の共作により『アポロンの地獄』(1967)や『テオレマ』(1967)が生まれる。マッシモ・ジロッティの演じるブルジョワの工場主の妻。マンガノはファッションデザイナーのロベルト・カプッチの衣装をみごとに着こなし、テレンス・スタンプの演じるまれびとに翻弄される。その優美、その空虚、その情熱、その絶望など、マンガノでなければ表現できなかったものだったはずだ。ちなみに『デカメロン』(1970)にもノンクレジットながらマンガノが登場している。ラストシーン、パゾリーニ演じるジョットが夢を見るのだが、そこに登場する聖母マリアはマンガノその人だ。

 そしてヴィスコンティ。『ベニスに死す』(1971)ではタジオの母親、『ルートヴィッヒ』(1972)ではワーグナーに寄り添うコジマ、さらに『家族の肖像』(1974)では裕福な右翼のブルジョワの妻ビアンカ。とてつもなく下品なのにビアンカ(白)という名前が、マンガノにはピタリと来る。ついでにいうならば、そのビアンカがつばめにするコンラッドヘルムート・バーガー依代であり、ヴィスコンティ映画にバーガーが最初に登場するのが、あの『華やかな魔女』のなかでヴィスコンティが演出した「生きたまま焼かれた魔女」のボーイの役なのだ。

 セミナーの最後に話したのは、マンガノとマストロヤンニの共演。まずはルイージ・マンニによる未公開作『Scipione detto anche l'Africano(スキピオ、またの名をアフリカヌス)』(1971)。もうひとつはマンガノの実質的な遺作『黒い瞳』(1984)。

 マンニのスキピオについては、この記事を参照のこと。

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 それにしても、マストロヤンニとマンガノの共演が叶うとは。マンガノ自身もマストロヤンニついてこんなふうに語っている。

私たちはずっと前から知り合いよ。ローマでは若い頃には同じ地区に住んでいて、愛し合っていたわ。わたしが16歳、彼が21歳だった。マルチェッロはそのことを決して忘れないの。だって、あるとき彼とベンチで接吻しているとき、覗きにあったのね。彼はその男に向かってゆくと、パンチを放ったのだけど、男が身をかわしたの。だから彼は気の幹を殴りつけてしまったのよ。そのときに怪我した親指が痛むたびに、彼はわたしのことを思い出しているのよね。

 

 そんなふたりが、人生の最後に愛し合う者どうしに戻るのが、ニキータ・ミハルコフの『黒い瞳』だ。最初見たときにはよくわからなかった。妻エリーサ(マンガノ)のもとに夫ロマーノ(マルチェッロ)が戻るとき、分かれるつもりだった夫なのに、妻の姿を見て心変わりするところだ。今ではわかりすぎるくらいわかる。あのシーンには、演じるマンガノとマストロヤンニの過ぎ去った思い出が回帰してきているのだ。

 不眠症になやんできたマンガノ。最愛の息子を事故で亡くすと、夫のデ・ラウレンティイスとは離婚、その数年後にはガンが発覚して、映画からは遠ざかっていたという。それでも『黒い瞳』では、マルチェッロにみごとな微笑みをなげかけてくれている。少し影のある、あの微笑みだが、そこには嘘がない。まっすぐな微笑み。

 

 その微笑みに、マストロヤンニの演じるロマーノは本心からの嘘で応える。ほかに女はいない。きみだけだ。それは嘘だり、偽りなのだが、そう言わせたのは深い愛情。その愛情は、マンガの微笑みによってよびさまされたもの。だから嘘の返事。その返事にマンガノの笑顔から影が消える。安堵と愛おしみの微笑み。未来を見つめる微笑み。

 この年になってようやくあのシーンの意味がわかった。映画には映画の外の人生も流れ込んでいるのだ。だからマンガノの微笑みは、かくも魅力的であり、かくもミステリアスだったのかもしれない。

 まだまだ見ていない作品はある。けれど、今回ずっと最初の方から見直してきて、マンガノという女優の魅力が少しわかってきたような気がしている。同時に、彼女が出演した映画の数々が、また新しい輝きを放ちはじめている。

 いやあ映画っていいな。イタリア語を勉強してきてよかったな。まだまだ楽しいことがありそうだな。そんなふうに思えてきた。

 次に取り上げるのはアンナ・マニャーニ。来年の3月に横浜で話す予定だけど、さてはて、どんな話になりますやら。