雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ルイージ・マンニ『Scipione detto anche l'Africano』(1971)短評。

YT。字幕なし。23-177。マンガノ祭り。イタリアのアマプラにはタイトルがあるのだが、残念ながら見られない。少しばかり歴史の知識が必要かも。1971年という時代背景。戦後15年になる共和国イタリアにおいてもはや英雄は必要ない。それでも英雄になりたがるやからが多い。そこに批判を向けようとするルイージ・マンニの意図。ある意味でアンチ=マチズム。マストロヤンニの弟ルッジェーロが体現するのが、飄々としたアンチヒーロー。兄マルチェッロとのローマ弁のやりとりが笑わせる。ここではマンガノだってみごとなローマ弁。

 

なにしろマンガノもローマの下町育ちで、しかもマストロヤンニとは相思相愛だった。だからふたりの共演はなかなか実現しない。とうぜんディーノ・デ・ラウレンティイスの嫉妬もあったのだろう。ところがこの映画の制作はデ・ラウレンティイスの手を離れている。だからマストロヤンニ&シルヴァーナの共演が実現したのだろう。しかもマンガノは41歳、マストロヤンは47歳。二十歳前の恋愛ごっとは卒業しているはずという計算もあったのか。

 

日本未公開なので以下にあらすじを記しておく。

 

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 ローマ、紀元前187年。マルクス・ポルキウス・カトー(ヴィットリオ・ガズマン)、通称「監察官」は、東方での遠征中に500タレントが消失したことを兄弟のふたり、また別名「アフリカヌス」と呼ばれるプブリウス・コルネリウススキピオマルチェッロ・マストロヤンニ)と、「アシアティクス」と呼ばれるルキウス・コルネリウススキピオ(ルッジェーロ・マストロヤンニ)を問い詰める。

 スキピオ・アフリカヌスは、あらゆる疑惑をはねのけた戦争の英雄と自負しており、この要求に憤慨。弟のアジアティクスもしぶしぶながら裁判を受けることに同意。物語には、ふたつの史実が挿入される。ひとつはアフリカヌスは元老院の前で遠征の精算書を引き裂いたこと。もうひとつは、ザマの戦勝記念日を祝うために元老院に呼びかけ裁判を中断したこと。

 いっぽうカトーは裁判中の元老院に500タレントが実際に兄弟のうちのどちらかに受け取られたことを証明する領収書を提出。しかし署名はただ「スキピオ・ア」とあるだけ。アフリカヌスのア、アジアティクスのアかわからない。どちらが罪を犯したのか。どうやって判断するか。

 スキピオの兄弟は、ふたりで話し合い、弟のアジアティクスが兄のアフリカヌスに、自分がやったと打ち明ける。ローマ人らしく自害せよとせまる兄。そんなのは嫌だと逃げ出した弟は、別居して郊外に暮らしていたアフリカヌスの妻エミリアシルヴァーナ・マンガノ)のもとへ向かう。妻のエミリアはアフリカヌスの性格が耐えられなかったのだ。

 アフリカヌスは弟をカトーに告発する。しかしカトーの関心は、収賄の罪を解明することではなく、共和国がみずからの英雄の言動に敏感になりすぎていることに注意を引くことだった。それは態度は独裁につながる。だから共和国にとって危険なことだ。食い止めるためにはアフリカヌスの神話を打ち壊す必要がある。だからこそ、アフリカヌスもまた「ほかの誰とも変わらない男(omo come tutti l’altri)」であり、「巨人ではあったにしても、もはやここの人だ(i giganti, se mai so' esistiti, appartengono ar passato)」と証明しなければならないと考えていた。

 そこでカトーはアフリカヌスの説得にかかる。弟を告発することは密告のように見える不名誉な行為だ。なんとか連れ戻して、元老院で告白させるように伝える。その言葉にアフリカヌスは心を動かされる。弟のアジアティクスが隠れているエミリアのもとへ向かうと、ローマで告白するように説得するのだが、弟はローマに戻る気はさらさらない。

 ちょうどそこに、カトーからの命令書を持った一軍が到着する。元老院の審判が出るまで、スキピオの一族の自宅南京が命じられたのだ。思い悩むスキピオ兄。そこに妻エミリアがやってくる。ふたりの会話を訳しておく。

 このシーンのYT映像へのリンクはこれ:

youtu.be

- 何してるの?
- 考えてるのさ。小一時間も考えて頭がいたい。
- 当然ね。やり慣れてないことをしてるのだから。戦争をしているときはなんともなかったのにね。何を考えているの。
- カトーのことだ。よくわからないのだよ、奴の考えが。
- 何がわからないのよ。
- いろいろたくさある。もし時間があれば、おれたちのことも考えなきゃならないのだろう。離婚するにしても、それはあの500タレントが原因ではないだろう。
- あなた、スキピオの妻でいることが簡単だと思ってるの?
- 簡単だと思うが、なぜだ、難しいのか?
- いつだってうまく行っていたじゃないか?
- そうね、昔はそうだった。昔は憎んでもいたわ。憎しみがあれば一緒にいられたの。でもやがて憎しみは消えてゆく。憎しみさえもなくなれば、平和に暮らしたくなる。なにもしたくなくなるのよ。(’Na vorta t'odiavo, e l'odio basta pe' tenesse insieme. Poi pure l'odio more e, quando nun c'è più nemmanco l'odio, te vie' 'na voglia de pace, de nun fa più gnente... )
- おれを憎んでいたのか?
- 心の底からね、スキピオ
- わからない、わからないぞ。
- そうね、あなたには無理。わからないわ。
- 愛はね、ちいさなことからできてるの。悲惨なことも必要なの。平凡な人間のためにあるのよ。でもあなたは偉大な人、偉大すぎるのよ。どうしたら好きになれるのかわからない。スキピオ、あなたってめんどくさいのよよ。(L’amore è fatto de cose piccole, è fatto anche de miserie, forse per gente piccola, e tu sei grande, sei troppo. Come se fa a volette bene? Scipio', sei fastidioso. (Emilia))
- おれが信じていたんだが… 
- 少なくとも、あのあばずれのソフォニスバと浮気していてくれたらね。でも妻に惚れているスキピオには無理な話よね。しかもあいては女王ときたら。
- そうだよ、おれがお前をうらぎったことはない。
- それが美点だとは言ってないわよ。噂話が本当だったらよかったのよ。でもスキピオは誠実なのよね。その誠実さがどこまでも耐えられないのよ。わたしだって誠実なのよ。
- それじゃなにが問題なんだ。何が言いたいんだ?
- あなたは堕落させることは誰にもできない。
- ちがうな。カトーに言わせると、おれは泥棒なんだ。
- そうだとよいのだけどね。スキピオが共和国のお金を独り占めするなんてことがあると思ってるの?せいぜい心臓の脂肪を独り占めするぐらいでしょ。少し走ったら。太ったわね。重いのよ、あなたの威厳が。
- 教えてくれ。もしおれが泥棒で、裏切り者だったら… 
- やっぱりスキピオだったでしょうね、少し弱みがあるだけよ。人間らしさが加わるだけね。そうなったら、女は惚れるでしょうね。
- それじゃ俺の弟はどうだ。あいつもスキピオだし、しかも泥棒だ。500タレントを盗んだのはあいつなんだぞ。
- それが?
- それがって?
- それがどうしたのよ。
- 今朝カトーのところに奴を告発に行ったんだ。そしたらおれをここに軟禁しやがった。だからわからないのだ。
- どうして?カトーは事情がわかっているのよね。
- わかっているさ。おれが教えたんだから。
- なんておばかさんなの、わたしのスキピオ。その頭を壁にぶつけてやりたいわ。カトーがあなたの弟をみんなの前で告発したいとでも思ってるの?
- どうしてだ。500タレントのことは明らかにしたいのだろ?
- カトーはそんなことがやりたかったんじゃないわ。あなたがやったことにしたかったのよ。それがちがうとわかったら、もう一度高貴なスキピオになっちゃうじゃない。ああ、スキピオ、あなたはわかっていないのよ。あなたがうっとおしいの。
- あいつがか?
- 彼だけじゃない。私も、共和国も、みんなもよ。
- けれどもハンニバルがローマの門に迫ったとき、おれは…
- ああ、ハンニバルはもういないでしょ。ローマは平和なの。わたしたちは平穏に暮らしたいの。あなたはもう役に立たないの。妻にも、祖国も、わからないかもしれないけれど、誰にとってもね。
- … 
- ごめんなさいね。でも、誰が言わなきゃならなかったから。
- … 
- ごめんなさい。
- いやなに… そういうことなのか… 


そんな妻との話し合いのあと、スキピオは命令に反してローマに向かう。もはや自分のような存在は必要ないと理解したのだ。こうしてアフリカヌスは自らを元老院に出席すると、自身の罪ではないものを自分の罪だと告白し、みずから流刑の地に赴くことになる。

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追記:
早くだけどスキピオ・アリカーヌスの美しい召使のリーチャが印象的。冒頭のシーンで胸をはだけて彼を誘惑しようとするのだが「おお、やさしきローマの女よ」と言われただけで終わる。だからだろうか。いつのまにかスキピオの家に入り込み、家政婦として懸命に彼に使えるのだが、最後の最後まで名前さえ覚えてもらえず、ついには自死を試みる。そんなリーチャの依代はウェンディ・ドリーヴェ。その美しさが印象的なのだ。

このリーチャの絶望は、スキピオの偉大に対するエミリアの憎しみと重なる。その平和の中に平穏に暮らしたいというセリフは、その依代となったマンガノ自身の気持ちと重なっているのだろう。はではでしいスターの暮らしではなく、慎ましい平凡な家庭を望んでいたというその表情には、どこか遠くを見つめるミステリアスで険しいものが読み取れるのだから。