雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

映画の生まれるところ:短編映画上映会SIC@SIC2022@イタリア文化会館

 

 昨日の金曜の夜、九段のイタリア文化会館に行く。「短編映画上映会、SIC@SIC2022」の上映前に解説を頼まれていた。雨だったけど、文化会館のホールにはけっこうな方がいらしゃっていた。ありがたいことだ。

 ホールに入る前に館長のデ・マイオさんとおしゃべり。話そうと思っていた内容を聞いてもらう。すごく聞き上手でいらっしゃって、気持ちよく話せた。気分を良くして会場へ。

 館長の秘書Fさんは昔からの知り合い。時間を気にせず長く話す人もいらっしゃるから、20分でお願いしますね。そう念を押されたので、メモの横に iPhone を置き、いつものように少し早口だったらしいけど、きっちり20分でアップ。時間は守った。でも用意していたポイントをいくつか端折ってしまう。もったいないので、ここに記して備忘録とする。

 

1)SIC@SIC について

 話す前に気になったのは「SIC@SIC」という名称。聞けば「スィック・アット・スイック」と読むらしい。@の前半の SIC は英語で「Short Italian Cinema」のこと。短編映画のことだけれど、ふつうは「short film 」という。なぜ「film」ではなくて「cinema」なのか。

 「Cinema」という言葉は、1895年にフランスのリュミエール兄弟が開発したシネマトグラフ(cinématographe)という装置に由来。「cinematographe」(イタリア語では cinematografo)は、cinemato(運動)- graphe (記録する)という意味だ。しかしリュミエールの装置は「記録する」だけではない。その記録を大勢で共有する/上映するのが特徴だった。エジソンのキネトスコープが、ただ一人で映像を覗き見するものだったことを考えればよい。映像の記録を大勢の前で上映する/共有するというのは画期的だった。だから Cinema は、なによりもまず「映画館」を意味する。そこから、映画を上映するための事業全体(映画産業)のことを示すようになってゆく。

 「イタリア映画」を「film itaiano」と記すと個々の映画作品のことだが、「cinema italiano」ならイタリア映画を総体。「SIC:Short Italian Cinema」には、イタリアの数々ある「Short film」(短編映画作品)を総体としてとらえようとする意図が読めるわけだ。

 では@後半の「SIC」はどうか。こちらはイタリア語で「Settimana internazionale della critica」(国際批評家週間)のこと。これは、1984年に映画評論家リーノ・ミッチケー(Lino Micchiché  1934-2004)が創設したもので、イタリア映画評論家協会(SNCCI)によって運営され、新しい映画を撮る試みを顕彰する目的で、ヴェネツィア映画祭のなかの独立したコンクール部門のこと。そこに2016年より加えられたのが、まだ長編を撮ったことがないイタリアの映画監督による短編映画のコンクール(SIC:Short Italian Cinema)というわけだ。

 

2)短編映画とは何か?

 ホールでの解説の前、館長のデ・マイオさんとのおしゃべりのなか、奇しくもちょうど今、大学の卒業制作で20分の映画を撮っている娘の話になる。ほんとうは長いものを撮りたかったという彼女に、短編は長編へのステップだよねと言うと、作り手の側はそんなことを考えていないと返されたのが印象に残っていたのだ。曰く、じぶんには短編を撮ろうとか、長編にしようとか、そういう意識はない、ただ映画を撮っている、それだけだ、というのだ。

 彼女にとって映画には短編も長編もない。どちらも映画なのだという。これには深く頷くところがある。歴史を考えてみればよい。映画の歴史は短編から始まっている。最初の映画と言われるリュミエール兄弟の『工場の入り口』(1895年)は46秒、ところが1902年のメリエスの『月世界旅行』になると上映時間は16分となる。時間が増えればフィルムは長くなる。リュミエールで17メートル(16 fps)だったものが、メリエスでは260メートル(14 fps)と飛躍的に伸びる。

 ここからイタリア語は、映画の長さをフィルムの長さ、「metraggio」(メートルで測った長さ、メートル尺)で映画を考えるようになる。だから長編映画は「lungo metraggio」(長尺)、長編映画は「corto metraggio 」(短尺)と呼ばれるわけだ*1

 その後、フィルムの尺はどんどん長くなり、上映時間は伸びてゆく。イタリア映画でいえば、最初のイタリア映画であるフィローテオ・アルベリーニの『ローマ占領(Presa di Roma)』(1905)は9分(現存するフィルムは4分)、その10年後のジョヴァンニ・パストローネの大作『カビリア』(1904)は187分(現存する修復版は181分)となる。映画はその自然な流れとして短編から長編へと成長してゆく。短くても映画だし、長くなってもやはり映画なのだ。

 そうした流れは映画史だけにみられるものではない。のちにマエストロと呼ばれる映画監督たちだって、最初から長い映画を撮るわけではない。たとえばルキーノ・ヴィスコンティ(1906-1976)は、1934年に35ミリのフィルムを使って本格的な映画作りに挑戦したという。それは、弟エドアルドの美しい妻ニコレッタ・アッリヴァベーネ(Nicoletta Arrivabene)を主人公にしたもので、未完に終わったものだが、残存していたフィルムも喪失してしまったという。

 ヴィスコンティと同い年のロベルト・ロッセリーニ(1906-1977)の場合は、幸いなのことに最初の短編が現存している。水槽の中の魚たちを撮影しながら、ある種の映像寓話として作品にしたものが1938年の『Fantasia sottomarina』。この11分の短編はイタリア版DVD(RHV "Un pilota ritorna" の Extra に収録)で見ることができる。

 そのロッセリーニのもとで映画撮影の現場にたったフェデリコ・フェリーニ(1920-1993)は、いくつかのシーンで監督代行しながら映画作りを覚えてゆくのだが、興味深いのは、1967年に病気で倒れたとき、復帰作として45分の中編『悪魔の首飾り(Toby dammit)』を撮っている。短い映画はリハビリにもなるわけだ。

 短編からスタートした監督を、思いつくままに挙げてゆけば、ナンニ・モレッティ(1953)の『Come parli frate?』(1974, 52 min.)、マッテオ・ガッローネ(1968)の『Silhouette
』(1996, 20 min.)、パオロ・ソッレンティーノ(1970)の『Un paradiso』(1994, 4 min.)など、リストはどこまでも続く。

 そんな比較的短い作品は、ややもすると本格的な映画へのステップと見える。けれどもきっとそれはある種の後知恵なのだ。歴史家がしばしば陥いいるように、後から考えれば道筋があるように見えるのだけど、そのときそこにあるのは、ただ一本の映画であり、その映画を撮ろうとする意志にすぎない。そこで完結するものもあれば、さらに展開したり、新たな姿で生まれ変わるものもある。作り手からしても、見る側からしても、そこにはただ映画があるだけで、短編映画があったり長編映画があったりするわけではない。

 そうはいっても、である。ぼくたちが一般的に目にするのはいわゆる長編映画だ。聞いた話では、劇場でお金を取って公開するためには、60分以上の尺が必要だと言う。たとえば、こどもむけのアニメ映画『すみっこぐらし』なんかだと一本立てでちょうどそのくらいになっている。それ以上短いものは、一本立てでは劇場でお金を取ることができない。そうなると、短い映画は、たとえ一本の作品であっても、なかなか見る機会がない。作る側からすると公開するチャンスが少ない。だから短い映画は今回のような「短編映画上映会」のように、映画祭などで特別な機会を作り、別枠で顕彰してゆく必要がある。

 たとえばフランスのクレルモン=フェラン国際短編映画祭や米国アカデミー賞の短編部門では40分を基準としているし、一般手には、15分、20〜30分のような尺度があるようだ。調べてみると、イタリアでは法律で短編と長編が定義されていて、かつては52分、2002年以降は75分が分かれ目になっているようだ。

 この基準はどこから来るかといえば、短い映画が上映される機会が少ないことにある。本に読者がいなければただの紙切れにになるように、映画もまた上映されて観客にとどかなければただのフィルム、あるいは映像のデータに終わってしまう。本が読者を得るとき生まれるように、映画もまた観客を得て初めて作品となる。できるだけ多くの映画に作品として生まれる機会を与えること、それが短編映画上映会の目的だといってもよいだろう。

 

3)上映作品について

1. 『アルベルティーヌ、どこ? (Albertine, where are you?) 』(20分)

 監督のマリーア・グイドーネは1979年生まれの44歳。 フランスで哲学の博士号をとり、その後映画を学び、フランスとプーリアで仕事をしているとこのこと。「最優秀監督賞」受賞作品。イタリア映画だけど聞こえてくるのは英語とフランス語。けれども監督はイタリア人、俳優もそうだし、ナレーションの英語とフランス語はイタリア人によるもの。その意味ではたしかにイタリア映画なのかもしれないが、国籍を超えてゆくところがあるのが面白い。

 題材はマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』。ヴィスコンティも映画化を望んでついに果たすことができなかった小説のなかで、2363回もその名を呼ばれるアルベルティーヌとマルセル(プルースト)が主人公であり、そこにプルーストが運転手で同性愛の対象だったとされるアルフレッド・アゴスティネッリというイタリア人の男性が登場させる。

 映画全体はプルーストのテキストの映像的な解釈になっている。小説のフランス語の響きとともに浮かび上がるアルベルティーヌやマルセルやアルフレッドや女ともだちの姿。揺れるカメラの眼差し。その眼差しのなかで煌めく光が映像に彩りを与えてゆく。なるほど、プルースト的な世界とはこういうものなのかと、まだ読んだことがない作品へと誘われる。そんな心地よい映像体験。

 

2. 『ノストス (Nostos)』(15分)

 監督のマウロ・ズィンガレッリは1991年生まれの32歳。 ローマの映像大学NUCT(Nuova Università del Cinema e Televisione) を卒業。タイトルはギリシア語 νόστος (ノストス)で「帰還」の意味。なるほどオデュッセウスというわけなのだろう。舞台は2056年。このところの近未来ものがたいていそうであるように、そこは『マッドマックス』(1979)の系譜につながるディストピア。けえども衣装のセンスなどは、ガブリエーレ・サルヴァトーレスの名作SF『ニルヴァーナ』(1997)のセンスに近い。けれど、サルヴァトーレスではニンテンドーソニー多国籍企業となって世界を支配している構図だったけれど、こちらのニンテンドーはもはや不可能な「ノストス(帰還)」の対象であり、その意味で死にいたる病としてのノスタルジーを呼び寄せる。セリフはなし。音楽と映像だけ。悪くない。でも既視感がいっぱいの映画でもある。

 

3. 『ハッピー・バースデー(Happy birthday)』(20分)

「SIC@SIC2022」のクロージング作品。監督のジョルジョ・フェッレーロ (1980年生まれ, 43歳) は作曲家、映画作家。すでに長編作品『Beautiful things 』(2016)をものにしているのででコンペの対象外。音楽も担当しているというが、音はなかなか印象的。

 印象的なのはアクチュアルな内容。撮影は2022年の3月。物語の舞台はモスクワ。カメラが捉えるのはシベリア人ビアンカ。22歳。コンテンポラリーダンサーだが、ネットの世界ではエレクタの名前で知られている。今日は2月28日。4日前(2/24)にはロシアのウクライナ侵攻が始まっていることが仄めかされる。明日29日は彼女の誕生日。ネット上で知り合ったアルゼンチン人のアニータと、モニター越しのパーティをする。ふたりは誕生日が同じなのだ。

 けれどもカメラに映るのはビアンカ/エレクタだけ。カメラはその見事なダンスシーンを捉えるのだが、踊りは凍りゆく世界への儚い抵抗のようでもある。そして鏡が登場する。鏡はエレクタをビアンカに、ビアンカをエレクタに分離する。鏡の向こうの自分がこちら側の自分に抵抗する姿。まるでホラー映画のようにゾッとさせる。いや、ゾッとさせるものが映画の本質なのかもしれない。それこそが映画的なスペクタクル。 

 戦争の勃発に凍りつく世界は白い。白く凍り過ぎてゆく世界の映像は、イタリアからネットを介して演出したという。だからネットを通じて逃げ出すこともできるかもしれない。その可能性に、パンパンパンパンパパパという、あの歌声が寄り添うと、煌びやかなスパンコールの雪が舞う。

 そんな世界でも、ロシア語とロシア語なまりの英語が、応答するのはスペイン語なまりの英語とつながってゆく。そこに世界の救いがあるのか。それとも終わり前の夢なのか。

 

4. 『残されたものたち(Resti)』(13分)

 監督のフェデリコ・ファディーガは1997年生まれの26歳。若い。ボローニャ大学で哲学を学んだ後、映画実験センターに入って勉強中のようだ。この短編はそこでの秀作。ぼくはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre)』(1974)を思い出した。メインストリートから離れた草ぼうぼうの場所に、若者たちが入ってゆく。人影のない廃墟で騒ぎ立てているとき、事件が起きる。そのままではないか。

 カメラは高く引っ掛けられたスニーカーや空き缶などを映し出す。それはメキシコからアメリカへとわたったという不思議な習慣「シューフィティ(Shoefiti)であり、どことなく不吉な儀式を思わせる。いかにもアメリカ映画の影響。わるくない。こういう引用は映画的だと思う。そして、少しのアルコールで(たぶんドラッグはなしで)、当然のようにバッカナーレが始まる。まるで悪魔崇拝の儀式のようなカット。もちろんこれもアメリカ的。いやベロッキオか?そこから男と女が草むらの向こうで、湖をみながら座るのだから、ジャンル映画なら始まるものが始まるはず。

 しかし、それは実のところすでに、冒頭から始まっていたのだ。それがわかるのが、翌朝のカルメーラのセリフ。彼はどうしたの。車で待ってるの?マッティアが答える。ここにみんないるじゃないか。そこにるのは4人。ぼうとうには5人いた。あの彼は一体誰だったのか。車の窓に描かれた人影が、スッと消えると、カルメーラの顔にフォーカスが当たる。みごとなラスト。僕は好きだな、こういうの。

 

5. 『ミス・イタリア(Reginetta)』(15分)

 「SIC@SIC2022」では最優秀技術賞。監督は映画実験センターに学ぶフェデリコ・ルッソット。1996年生まれの27歳。これが卒業制作だという。

 冒頭の麦畑の光がよい。ラツィオ州南部のチョチャリーアが舞台。だから言葉もチョチャリーア方言。その響き。南の陽光。そこに一台の車が現れる。ミス・イタリアの宣伝をしきにたのだ。若いリゼッタに男が言う。あなたなら「レジネッタ」(reginetta)になれる。レジーナは女王。レジネッタはミスコンの勝利者。つまり「ミス・イタリア」のこと。

 戦後のイタリアで「ミス・イタリア」が再開されたのは1946年。1947年にはルチーア・ボゼーが優勝し、ジーナ・ロッロブリージダが3位となる。その年は他にもシルヴァーナ・マンガノが注目され、それぞれ映画界に入りトップスタートなってゆく。なかでもジーナ・ロッロブリージダは1950年に映画『ミス・イタリア』に主演し、みずからのサクセスストーリーをなぞってみせていた。そのときの「ミス・イタリア」ポスターと、貧乏だったジーナがこれで有名になり大金を手にしたのだよという勧誘の言葉。

 どこかで聞いたことのある話だと思えばトルナトーレの『明日を夢見て』(1995)だ。トルナトーレが騙す方(セルジョ・カステリット)を描いたとすれば、ここでは娘を売り出そうとする農夫たちの姿が絵が描かれる。コルセットを締めさせ、曲がった足にギブスを施し、とがった顎にも矯正具をつけ、挙げ句の果てには手と足を伸ばそうと縄で伸ばそうとまでしてしまう。

 一緒に見た由美さんは、気持ち悪かったというのだけど、あれは笑いどころ。グロテスク喜劇とはこういうもの。映像の設計はみごと。光の使い方もどうどうたるもの。このまま長編時代劇を撮っても大丈夫と思わせる。だから技術賞なのだ。

 ぼくとしては、今年の初めに亡くなったジーナ・ロッロブリージダの追悼セミナーをしたばかりだったので、ちょっと感慨深いものがある。この短編が発表されたとき、彼女はまただご存命だったはずんだよね。

 

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*1:たとえば一般的な35ミリフィルムを24fpsで撮影したとして、1分間だと 27,36メートル、1時間なら1640,60メートル、つまり1.6キロメートルの長さになる。