雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ザンパ『Campane a martello』(1949)短評

ロッロブリージダ祭り。YTで鑑賞。23-75。これも名作。これは手元に置いておきたい。アマゾンでクリスタルディ・フィルムのコレクションを発見。3000円は高くない。クリック。

 それにしてもルイージ・ザンパはよい。フライアーノなどから、ハッピーエンドを批判されているけれど、むしろこれでいよいと思う。フィクションなのだから。それだって、岡田温司の『ネオレアリズモ』(みすず書房)に指摘されているように、「混血孤児を自国イタリアの抱える重大な問題として受け止める立場が示されているように思われる。この監督特有の、社会的弱者の側に立つヒューマニズムが光る作品」(p.252)なのだ。弱者によりそいながら、娯楽映画であること。1949年の公開。観客は戦後を生きている。ハッピーエンドが見たいと思う。それでいいじゃないか。

 イヴォンヌ・サンソンとロッロブリージダはこの作品が実質的に映画初主演。ザンパが言うには、アンドレア神父を演じたエドゥアルド・ペッピーノにはなから演技指導の必要はなかったが、ふたりの新人女優には手取り足取り教える必要があったというけれど、キャスティングした時点で信頼はしていたと語っている。なるほど、それぞれに存在感がある。なにしろサンソンはギリシャからの移民で戦後はモデルの仕事で生活しており、ロッロブリージダはラツィオ州の生まれ故郷スビアーコが英米軍の空襲による被災民として一家でローマに避難してきた。

 1947年、連合軍の最後の駐留部隊がイタリアを離れるとき、物語は始まる。リヴォルノの警察署に集められた女たちが、強制帰郷命令を受け取るシーンで、ひときわ美しい娘アゴティーナがロロブリージダ。女たちのなかにでフォトロマンツォを読み耽る者がいる。じつはロッロブリージダもまた、その写真モデルをしていたらしい。生活のためだったという。

 アゴティーナの故郷はイスキア島。だれもがお互いを知っている小さな村。帰ればリヴォルノでの生活がバレてしまう。それでも帰らなければ生活が立て直せない。なにしろ娼婦として稼いだお金はすべて、故郷のパオロ神父に預けているから。ところが、友人のアウストラリア(サンソン)と帰ってみれば、パオロ神父は亡くなっていて、代わりにアンドレア神父(デ・フィリッポ)が迎えてくれた。しかも熱烈な歓迎ぶり。預かってもらったはずの100リラはすべて孤児院の運営費に消えていた。

 戦後すぐのこと。父親のわからない混血の孤児たちが通りにあふれていた。そんな女子たちを引き取って育てたのがアンドレア神父。アゴティーナの送金は寄付だと誤解していたのだ。それは村人も同じ。誰からもシニョーリーナ扱いされてこそばゆい思いをするアゴティーナ。孤児の子どもたちからはマードレ・アゴティーナと慕われることになる。

 けれどもお金は返してもらわなければならない。そう詰め寄ると神父もわかっていた。寄付ではないとわかったときには、すでに彼女のお金をほとんど使った後だったと言うのだ。返してもらえなければ訴えるとつめよるアゴティーナと女友だち。お金はない。子どもたちのことも考えてほしいと訴える神父だったが、しかたなく決断をする。

 「警報の鐘」(Capana a martello)を鳴らして村人たちを集めて曰く。「もはやアゴティーナ嬢からのお金は期待できません。できることはしていただきました。これ以上はむりです。しかし、市長にはお金があります。しかし、使い道が決まっています。記念碑を作るためのお金ですからね。それはそれで必要なのでしょう。ここにいる孤児たちは、あなたがたの子供ではない。あなたがたとは関係がない。わたしの孤児院は、あなたがたの子どのために使うのもよいし、映画館にするのもよいでしょう。けれども、そんなことにはわたしは耐えられません。わたしはもう孤児たちのために戦う力はないのです。運営のためにはお金がいります。たくさんのお金が必要です。でも私にお金はありません。そうなるともはや、孤児院は閉めるしかない。他に方法がない。今一度子どもたちを神の御心に託そうと思います。彼女たちをみつけた通りに返すつもりです。そうすれば、わたしが見つけたときのような気持ちを、みなさんも抱いてくれるかもしれない。わたしがしてやりたいと思うことを、みなさんも思ってくれるかもしれないからです」

 けれども市長や街の名士たちは口先だけだと非難して帰ってしまう。村人も帰ってゆく。けれどもその夜、孤児たちは孤児院の玄関で寒夜をすごしている。街の人と他人はその姿に耐えられない。ついには市長のところにやってきて、記念碑のお金をつかって孤児院を再開するように迫るのだ。記念碑とは「翼の生えた勝利 la vittoria alata 」の記念碑なのだが、考えてみればイタリアは勝利したわけではない。言ってみれば「うまく切り抜けた arrangiati 」にすぎない。「翼の生えた切り抜け arrangiamento alato 」なんて記念碑は聞いたことがない。

 こうして、記念碑のためのお金は神父のもとに返される。そのお金はアゴティーナは返されることになる。彼女に向かって神父が言う。「待っていたよ。お入りなさい。ほらね、うまくいった。簡単ではなかったよ。なにせお金というのは、苦労がつきもので、手にいれるのが大変なものだからね。あまりにもね。それでも私はほっとしているんだ。あなたみたいな立派な女性を騙したなんてことになったら、ほんとうに苦しかっただろうからね」。そんな神父の言葉にアゴティーナが答える。「無駄なことですわ。立派な女じゃないことはご存知じゃありませんか」「そうなのかい。でもわたしはあなたの眼差しからわかったけれどね。こどもたちと一緒に泊まったときにわかったんだ。さあ、お金を受け取ってください。きっと立派に使ってくれると思いますからね。ひどい経験をしたのでしょう。わかってますよ。でもね、悪いことや、そして良いことだって、どこで始まり、どこで終わるかわかってるでしょう。大切なのは、私たちの周りで起こることから、良き結末を引き出すことなのですからね」

 そんな神父の言葉に、アゴティーナはお金を受け取ることができない。一方で警察署長は、友人のアウストラリア/サンソンからアゴティーナの強制退去命令書を見せられる。署長は事情を飲み込むのだが、市長をはじめとする村の名士たちは、アゴティーナが娼婦だったことにショックを受けると、そんな彼女と神父がグルだったと言うのだ。つまり、神父はわかっていて子どもたちを追い出し、アゴティーノは記念碑を作るお金を寄付するようなそぶりをみせたのだが、すべてはアメリカ流の詐欺で、記念碑の制作費を騙し取るため。そこで市長は、警察部長に命じて、彼女から金を取り返せさせようとする。混乱のさなか、アウストラーリア(サンソン)は旅立つ。

 警察署長は教会でアゴティーナと鉢合わせ。あのお金は、あなたよりも市長が優先権を持つのだと言えば、お金はもらっていないと彼女。驚いた署長は署で待っていなさいと言うと、アンドレア神父のもとへゆき、神父が亡くなっていることを知る。仮病だと思っていたのだけど、ほんとうに体調がわるかったのか。ここでまたしてもあの「鐘」(Campane a martello )が鳴り響く。こんどは「弔いの鐘」だ。

 市長のところに戻った署長が言う。またしてもやられました。どうしたんだ。亡くなったんです。亡くなったって?ほんとうか?彼女が殺したんだ。鐘を鳴らして心臓発作で殺しておいて、金を持ち逃げしたんだ。いいえ、そんなことはありません。お金は残されているのですから。え、どういうことだ。驚く市長。街の名士。そして驚く村人たち。

 その間、アゴティーナは故郷を立つ準備をする。署長から強制退去証にサインをもらえば、出てゆくことができる。ああ、わかった、と移動の書類にサインする署長。船着場。桟橋から船に乗ろうとするアゴティーナ。駆け寄ってくる子どもたち。村人たちもやってくる。市長がいう。孤児院はあなたの名前だったのですが、アンドレア神父の名前をつけようと思うのです。あなたのお許しがあればですけれど。

 そうなのだ。アンドレア神父が言っていたではないか。「村の人々は悪人なんかじゃない。ただ善人になるのが怖いだけなんだ。だからみんなが善人になるのを恐れなければ、ほかの人たちもきっと勇気をもって、みんなを愛してくれるはずだ。わたしが愛したようにね」。

 

*セリフの引用は YT の映像から聞き取ったもの。

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