雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

朝カル横浜「トルナトーレの世界」で話せたこと、話せなかったこと

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 昨日この話をしてきました。ぼくが映画のセミナーをやるときは、少し深く掘り下げたい映画や作家がいるとき。今回はトルナトーレのドキュメンタリー『Ennio』(2021)のイタリア版BDが届いたこともあり、そのあたりを掘り進めたいと思ったのです。

 トルナトーレの『Ennio』は、昨年ヴェネツィアで上映され、その後本国では劇場公開されて異例のヒットだったと聞いています。日本でもこの3月にギャガが配給するはずだったのですが、感染症の影響で延期されたまま。夏頃には公開されるのかなと思っていたのですが、音沙汰なし。どうなっちゃったんでしょう。

 ぼくの方はすぐにでも見たかったので、BDが発売されると聞いてすぐに予約。どうせ取り寄せるなら、このドキュメンタリーを出発点にトルナトーレの話をしてみようと思ったわけです。それが今回のセミナーの出発点。

 BDが届いてみると、これが実によくできていて、モリコーネのすばらしさもさることながら、自分の映画のほとんどすべての音楽を託した音楽家を、ここまで映画的に掘り下げてゆくトルナトーレの手腕に驚きました。

 一方で演出過多でもあります。なにしろ、インタビューは重要なフレーズをカットして繋ぎあわせ、モリコーネ本人には芝居をつけ、カメラ位置を工夫し、さらにはTVや映画の映像資料を豊富につかい、なによりもモリコーネの音楽に合わせて、さまざまな映像資料を挟み込んでくるのです。

 ところが、編集のリズムがすばらしい。今まで、どちらかとえいば、映画作家に音楽家が合わせていたのだとすれば、ここでは音楽家に映像作家が歩み寄っている。その演出を通して歩み寄りながら、モリコーネの世界を掘り下げてゆく。そこに感動のありかを探ってゆく。そして掘り当てたのが現代音楽に対する劣等感、そしてその劣等感からくる挑戦の姿勢。ポップスのアレンジや映画音楽が、現代音楽、正統的な音楽活動としては一段下に見られているのだとすれば、その下に見られた音楽に音楽的な知性を注ぎ込み、常に新しい挑戦をするというモリコーネのモラルの成り立ちが浮き上がってくる。

 まさにトルナトーレ節なのです。ドキュメンタリーをフィクションにうように演出する。いや、そもそもノンフィクションのようにフィクションを作っているのかもしれない。それが今回のセミナーの出発点です。

 なにしろ、デビュー作の『教授と呼ばれた男』は、実在のナポリの犯罪組織カモッラのボス、ラファエッレ・クートロをモデルにしたもの。大ヒットした『ニュー・シネマ・パラダイス』は戦後の映画館の盛衰と、そのスクリーンを彩った数々の名作のドキュメンタリーとしても貴重。『みんな元気』がトニーノ・グエッラの協力を得て、オペラ好きの老シチリア(マストロヤンニ)が息子たちを訪ねてマルサラから、ナポリ、ローマ、フィレンツェトリノ、ミラノと半島を回りながら、途中でリミニに寄り道してフェリーニにオマージュを捧げちゃう。

 オムニバス『夜ごとの夢』のなかの短編「青い犬」はチャップリン風のサイレント映画へのオマージュで、『記憶の扉』は血がほとんど流れないけれど、ゴシック風のイタリアン・ジャッロ。その系譜の上に『題名のない子守唄』や『鑑定士、顔のない依頼人』をおいてもよいでしょうし、あるいは女性というミステリーに迫るものがたりとして『マレーナ』の系譜であるのかもしれません。

 世界的にヒットした『海の上のピアニスト』は、バリッコの原作をもとにしながらも、全体としてはシチリアの寓話。その名をノヴェチェント(「1900年代」の意味)と呼ばれる無名の天才ピアニストを主人公が、ある種のシチリア人の代表だとすれば、さまざまな人がやってきては去ってゆく豪華客船はシチリアそのものだとみることができます。そして悠久の時間のなかで、過ぎ去るものと残るもの、変わるものと変わらないものを、一つのラブストーリーとして映像化したのが『ある天文学者の恋文』なのかもしれません。

 そんなトルナトーレのフィルモグラフィーのなかで、今回掘り下げてみたいと思ったのが『明日を夢見て』と『シチリア!シチリア!』です。というのも、どちらにもある種のドキュメンタリーの要素とフィクションが混じり合うところが明白だと思ったのです。

 残念ながら時間切れで、話せたのは『明日のを夢見て』だけ。それでもこのペテン師の話が、それ自体としてはフェリーニの『崖』(原題は il bidione は「ペテン師」の意)へのオマージュになっているの加えて、イタリアとシチリアの歴史にふれ、その歴史を今の時代に息づかせようとしている、そんな作品だと思ったわけです。

 この映画については、フィルマークスに書いたので、ここにリンクしておきますね。

filmarks.com

 ポイントの一つが、シチリアの戦後に大きな影を落とすことになる1947年5月のメーデーの日に起きた「ポルテッラ・デッラ・ジネストラの虐殺 (Strage di Portella della Ginestra)」が描かれていることなのです。

 

 映画の後半で、ペテン師のジョーがベアータを連れてある街を訪れるのだど、誰も出てこない。不思議の思っていると、老人が彼らを手招きしている。言ってみると、街の向こうがに広がる丘陵地に赤旗がはためいている。ジョーは「なんだ革命家?」と驚くのだが、ベアータに「撮影しましょうよ」に促され、カメラを向けることになります。

 

 そんなシーンこそは、虐殺が起こる前のシチリア農民たちの喜びの姿。それは、実は同じ1947年の4月にあったシチリア地方選挙で共産党を中心とした左派が大勝し、農地開放は間近だと誰もが確信していたからなのに違いありません。しかし、そこに虐殺が起こるのです。起こるはずなのです。しかし、トルナトーレのカメラはそれを映す前にカット。次のシーンはなぜか漁村。船を修繕する漁民たち。そこでジョーが例のペテンを始めることになるのです。

 なぜ漁村なのでしょうか。ぼくはここにヴィスコンティの『大地は揺れる』へのめくばせがあると思います。ヴィスコンティのこの作品は、もともと共産党の委託を受けたドキュメンタリーでした。そこで赤い貴族ヴィスコンティはリサーチをはじめます。もちろんポルテッラ・デッラ・ジネストラでの虐殺のことを知ります。その虐殺について、かなりつっこんだ取材をしていることもわかっています。

 ヴィスコンティは明らかに、この虐殺を物語にしようと考えていたのです。だから当初の構想は三部作でした。まずはシチリアの漁民たち、つぎに農民たち、そして(ジェルミの『越境者』〔1950〕が描いたような)鉱山労働者の姿を描いてゆき、最後の最後に三部作の労働者たち全員が大地を揺らしながらデモをする。ポルテッラ・デッラ・ジネストラで起こったように。

 ところがヴィスコンティは三部作を完成させる前に資金がつきてしまいます。共産党からの増資はありません。そこに登場するのが、ヴァチカンに近い映画プロデューサーのサルヴォ・ダンジェロ(Salvo D'Angelo)です。漁村の第一部だけという条件で資金を提供してくれます。裏を読めば、赤い旗のデモは撮ってほしくない。そんなプロデューサーとヴィスコンティは、おそらくなんらかの取引をしたのでしょう。結局三部まで撮られることはありません。それでもタイトルは残ります。「揺れる大地、海のエピソード」。ほんとうならば「農地のエピソード」と「鉱山のエピソード」が続き、最後には赤い旗がはためくシーンを暗示しているのですが、今となっては謎めいたタイトルになっているというわけなのです。

 もちろんシチリアのトルナトーレには、そのあたりの事情がよくわかっています。だからこそ、あのポルテッラ・デッラ・ジネストラを思わせるシーンには、漁村が続くのです。ヴィスコンティが漁村から大地へと進みたかったのだとしたら、トルナトーレは大地を見せて漁村から始まったのだと暗示するのです。だからこそ、この大地から漁村へのカットは、そのまま『揺れる大地』へのオマージュに思えます。実際、敗者の美学を描くヴィスコンティさながら、トルナトーレの主人公ジョーは、その漁村で逮捕されることになるのですから。

 その後、トルナトーレは『シチリア!シチリア!』でさらに深めることになります。しかも、最初は歴史的な事実として提示し、次にフィクションとして寓意的に映像化します。赤旗を持った農民たちが大地を占拠し、そこに警官たちが流れ込んでくるシーンは、トルナトーレもコメンタリーで名言しているように、時代的には後のもので事実ではありません。しかし、このシーンを入れることで、主人公のペッピーノが瀕死の父親の枕元にかけつけるのが遅れるという設定は、トルナトーレにとってとても意味があるものだったようです。それは政治活動に人生をささげたトルナトーレ自身の父親像。政治に生きるとは、大土地所有者がいつまでも小作農民を苦しめるシチリアに抵抗し、なおもシチリア地に生きるということ。そんな虐殺事件をはじめて映像としたのが『明日を夢見て』なのです。

 ところで『明日を夢見て』のラストは、非常に苦い終わり方をします。ある意味で「敗者の美学」を踏襲したようにも見えます。しかしトルナトーレは、まっすぐに敗北を見つめるヴィスコンティとは違います。あの『ニュー・シネマ・パラダイス』もそうでした。主人公のトトはアルフレードの遺品のフィルムをローマに持ち帰り、上映します。スクリーンに映し出される感動。この感動の映像化こそが、トルナトーレがやりたくてたまらないところなのです。そして、実際『明日を夢見て』でも、それを行おうつもりだったといいます。

 ところが、ヴィスコンティほどではないですが、資金がそこをつきます。トルナトーレは『みんな元気』でも『記憶の扉」でも、期待されたほどのヒットを飛ばすことができていませんでした。それでも『明日を夢見て』には、それまでに稼いだお金をすべて注ぎ込んだといいます。それでもラストシーンだけ、撮ることができなかった。だから、今のようなラストになったといいます。

 こんなラストですね。「じつはジョーのカメラにはフィルムが入っていなかった。シチリアをまわって撮影した人々の顔は残っていない。けれども音声は残っていた。テープレコーダーにはテープが入っていた。ラストは、メッシーナ海峡をわたったジョーが、そのテープを聞きながら、彼が騙した人々の顔を思い出してゆく。なによりも、精神的に失ってしまったベアータの面影に彼は心を揺さぶられるのだった」... 

 そんな苦いラストですが、映画はヒットします。評論家からも好評。しかし、どこかおかしい。ぼくは当時、そんな印象を持っていました。これで終わりなの?そう思ったのです。

 案の定でした。今回、『明日を夢見て』を再見し、その素晴らしさに気づきがながら、ラストがああなった理由をリサーチしていると、ありました。この記事です。

www.repubblica.it

  本当はこんなふうに撮りたかったのだというトルナトーレの言葉を、漫画で説明してれているではありませんか。読んでみるとなるど、これはお金がかかりそうだという結末です。お金はかかりそうだけど、これは感動的です。なんといっても、カメラには古くあるけれど、一応フィルムが入っていて、そこにはポルテッラ・デッラ・ジネストラの映像も、そして引用的なシチリアの人々の姿(政治家、マフィア、ホモの散髪屋、山賊の男、スペイン内戦戦争の生き残りなどなど)が映っているのです。しかも、そのフィルムは最後の最後にローマにたどりつき、上映されることになる。そしてその上映会場にいたのが、あのピエトロ・ジェルミだったという結末。そのころ、ジョーは別の映画館で『風とともに去りぬ』のラストシーンをみている。スカーレット・オハラビビアン・リー)があの「明日は明日の風が吹く」というセリフを言うところで、彼はたぶんベアータの幻を見るんですね。彼女が望んでいたハッピーエンドの幻を。

 セミナーでは、そんな漫画のイタリア語の吹き出しに、ぼくが訳した日本語の吹き出しを重ねて解説したのですが、それを以下に貼り付けておきましょう。ご笑覧。