ニーノ・ロータ祭り。アメリカ留学から帰ったロータが、最初に映画の音楽を書いたのがマタラッツォのデビュー作『Treno popolare(庶民列車)』(1933)。それから10年、ロータは音楽に打ち込み、最初はターラント、ついでバーリの音楽院で教師をしながら作品を書く。しかし、1940年にローマに移転した映画制作会社ルックス社からお声がかかり、1942年に再びマタラッツォの『Giorno di nozze』に音楽をつけ、その直後にこの作品で協力する。
1943年2月の公開。7月にはムッソリーニが失脚し、9月にイタリアは降伏、ナチスの支配に入る。そんな時期の映画なのだけど、これが実によくできている。プロパガンダどころか、マタラッツォ監督はこの映画の撮影の直後、徴兵を恐れてスペインに逃げているし、そもそも製作したルックス社が「芸術は芸術のために」という標語を掲げ、ファシズム体制のいう形にはならない映画会社なのだ。
その冒頭から驚いた。なんとミュージカルじゃないですか。怖がる獣医を乗せた場所の手綱を握るのが主人公のニコレッタ(キアレッタ・ジェッリ)なのだけど、その彼女が歌うのだ。冒頭の歌が「La canzone della calezza(馬車の歌)」。これがよい。
イタリア語歌詞はこれ。
Trotta trotta senza sosta,
o bel cavallin,
fila fila il calessin,
schiocca bene il mio frustin.
Scivola la strada
sotto il passo tuo legger:
sempre volerem
così finché vorremm![ritornello]
O sole d’oro, o campi in fiore,
quanta letizia m’empie il cor.
La dolce ebbrezza m’accarezza
e al soffio suo mi pare di volare.
Guardate tutti qua
come si fila ben
col cavallino e con un buon frustino.
Io sono un cocchiere di qualità:
basta uno schiocco, ogni cavallo va!Le galline spaventate
svolazzando va:
ecco là un contadinel
che stupito sta a guardare.
Il calesse trionfante
sempre avanti va:
il suo traballare
nessuno potrà fermar.[ritornello2]
O sole d’oro, o campi in fiore,
quanta letizia m’empie il cor.Guardate tutti qua
come si fila benIo sono un cocchiere di qualità:
basta uno schiocco, ogni cavallo va!
歌詞を見つけるのが大変だったのだけど、この論文*1からの引用。感謝。あとはグーグルさんとかアップルさんのAIに訳してもらってください。大意としては、「わたしは馬車を走らせるのが上手いのよ、どんな馬だって私のムチで走り出す」みたいな内容。
いや楽しい。この歌をラストでもう一度聞かせてもらえるのだが、同じ歌がぐっと素敵に聞こえちゃうわけだ。そこは脚本が良いのだろう。脚本家にはチェーゼレ・ザバッティーニの名前もある。
もうひとつ素晴らしいのがこの曲。やはりキアレッタ・ジェッリが歌ってくれるのだけど、ファシズムの時代にあって、寄宿舎の女学生によるプロテストソング。これをファシスト女子学生の歌ととらえるのは、ちょっと無理がある。というかイタリアのファシズムは、たぶんぼくらが思っているファシズムとは、少し違うのだ。これをファシズムへのアンチとかプロとか言う以前に、ある種普遍的な青春の歌だ。むしろ、女子学生たちのあいだに入った男まさりのニコラは、文学でも映画でも、ひとつのクリシェなんじゃないだろうか*2。そんなことを考えさせてくれる歌でもある。
歌詞はこれ:
Per seguir la direttrice
la maestra se ne va,
e ci lascia finalmente
con un po’ di libertà.
Questo tempo non perdiamo,
profittiamo dei pochi istanti
diventiam tutte cantanti
e gridiamo a tutto spian
Per la gioventù
ci vuole l’allegria
senza libertà
c’è solo malinconia,
salti in quantità
con canti a profusion
danno ai nostri cuori
la felicità.
Eppure io sono qui a languir
nessuna ascolta i miei sospir.
Bando al carcerier
abbasso gli aguzzini.
Noi vogliam goder
la nostra libertà.
「校長に呼ばれた先生が、教室からいなくなったわよ。さあみんなで歌いましょう。わたしたちの自由を謳歌しなくっちゃね」みたいな内容。この映画のフランス語のタイトルは『寄宿学校の恐怖(La Terreur du pensionnat)』。なんだかホラー映画みたいだけど、話の内容は、姉が結婚したロベルトの母の公爵夫人が、女子寄宿学校を経営する校長だという話。ニコレッタの躾がなっていないので、ぜひ自分の学校にお入りなさいとなり、いやいやながらの寄宿生活で大騒ぎになるという、まあお決まりのコメディ。
おもしろいのは主人公の名前。ニコレッタ Nicoletta なんだけど、父からはニコラ Nicola と男の名前で呼ばれている。男の子が欲しかったらしいのだけど、名は体を表す、自由でお転婆に育って、いろいろやらかしてくれるわけだ。
原作はドイツの児童文学者ヘニー・コッホ*3の『Papas Junge (お父さんの息子)』(1905)。息子(Junge)はイタリア語で「birichino」(わんぱく小僧)と訳されているけれど、この「息子」あるいは「わんぱく小僧」、じつは女の子なんだよね。イタリア語で Nicola は最後の母音が《 -a 》で終わっているのに男の子の名前。女の子なので本当は Nicoletta というのだけれど、息子を欲していた父親がニコラと呼び続けているという設定。このあたり、ドイツ語ではどうなってるんだろうか。
思い出すのは、イタリアの児童文学『ジャン・ブラスカの日記』(1907-08)だろう。「嵐のような悪ガキのジャンニーノ」が主人公なのだけれど、これもまた悪ガキを矯正しようとする寄宿舎学校への反抗がテーマ。これはのちにリナ・ウェルトミューラーが演出しテレビ番組になっている*4。その時にウェルトミューラーが歌詞を書き、ニーノ・ロータが曲をつけたのが『トマトのパッパ万歳 Viva la pappa col pomodoro 』(1965)だというのは、偶然にしてはできすぎているかもしれない。