雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

短評:Le miserie del signor Travet (1945) di Mario Soldato

 

ニーノ・ロータ祭り。マリオ・モニチェッリのドキュメンタリーで紹介された作品。そのなかで監督のマリオ・ソルダーティが、この映画と音楽のニーノ・ロータについて、こんなふうに語っている。

『Le miserie del sigonr Travet (トラヴェット氏の苦悩)』という作品は、自分の作品のなかでもたいへん思い入れのあるもので、ニーノ(ロータ)との仕事もうまくいったものです。わたしがニーノを見出したときの印象ときたら、もちろんそれは偽りの印象なのですが、まるで自分が映画の音楽を書いていると感じたのです。もちろん音楽を書いたのは彼です。それでも、わたしには自分が書いたように、自分で書いたような印象を持ってしまったのです。同じ印象をフェリーニも持っていました。フェリーニも、彼が音楽を書いたように思ったというのです。これは音楽家としては、すばらしい才能です。ほんものの音楽家が、映画の主題、俳優、物語、そして映画のなかにあるものに、かくも一体化するとき、監督は自分がその着想を与えたという印象をもってしまうのです。*1

それほどまでに、ロータの音楽が作品の意図を汲み取っているのかと思って検索してみると、なんと全編がアップされている。これはうれしい。

www.youtube.com

 

さっそく拝見したのだけど、これがなかなかの出来。軽喜劇とはいえ、イタリア王国が統一されたばかりのトリノで、名誉ある王国公務員を務めるトラヴェット氏の、どこまでも報われない生活を描写してゆくのだけれど、悲惨さのなかに軽やかさを醸し出すのが、ニーノ・ロータの音楽なのだ。

IMDb によるとイタリアでの公開は1945年12月15日。ロッセリーニの『無防備都市』が同年の10月だからほぼ同じ時期。解放記念日が4月25日だから、映画を撮ったときは、北部ではまだレジスタンス闘争がくすぶっていたころ。

映画はローマで撮られたというが、スタジオにトリノの通りの一部を再現。雪化粧の街並み、それらしい内装のアパートにストーブを焚いて、北の寒さを感じさせてくれる。さらにはトリノの俳優を多く使い、セリフに独特のアクセントを散りばめて、雰囲気を作っている。

監督のソルダーティにとって、トリノを再現することは自由を取り戻すことだったという。だからこそ、トリノの文学者ヴィットーリオ・ベルセッツィオ( Vittorio Bersezio 1828 – 1900) *2 の同名の小説を取り上げ、数々の苦悩の後に平凡ながらも幸せの時が来るところを描こうとしたわけだ。

そんなトラヴェット氏を演じるのはトリノ生まれのカルロ・カンパニーニ(Carlo Campanini 1906 –  1984) 。その口癖が「Pazienza」(仕方ない)なのだけど、トリノ風の発音が耳に染みる。そういえば、この前見たマタラッツォの『Il birichino di papà』(1943)には、あの人の良さそうな貧乏弁護士の役で登場していたっけ。

次から次へと悲惨な思いをするトラヴェット氏だが、彼に幸せが訪れるのを助けるのが、氏の働く役所に新たな所長として就任したコメンダトーレで、演じるのはジーノ・チェルヴェ(Gino Cervi  1901 –  1974)だ。あのブラゼッティの『雲の中の散歩』で行商人を演じたボローニャ生まれの名優は、美男子でこそないけれど、幸せを運ぶ善良な上司の役にはうってつけだよね。

これに対して、トラヴェット氏の直属の嫌味な上司を演じるのがルイージ・パヴェーセ(Luigi Pavese 1897 – 1969)。アスティ生まれの役者で、サイレント映画のころからの俳優、舞台でも喜劇役者として活躍。そんなバヴェーゼの演じる上司がよい。上にはヘコヘコ、下には威張り散らすという典型的な公務員。ポマードをテカテカさせたムカつく男を、じつに楽しそうに演じてくれているから、こっちも楽しくなってしまう。

それにしても、彼のような公務員という名の魑魅魍魎の跋扈する場所で、真面目にコツコツ努めあげるものが損をするというのは、洋の東西を問わないのだろう。日本ならすぐに黒澤明の『生きる』(1952)の志村喬を思い出すけれど、イタリアにもこの時期、同じような作品があったっけ。1948年の『困難な年月(Anni difficili)』*3が同じような話。ただし、こちらはファシズムが台頭する時代から戦前にかけてのシチリアの話であり、トラヴェット氏の話はリソルジメントの時代のトリノ

そうそう、忘れてはならないのがアルベルト・ソルディ(Alberto Sordi 1920 –  2003 )。最初は、バルバロッティと名乗るけったいな兄ちゃんが出てきたなと思ったのだけど、よく見るとソルディ。痩せていて見間違えた。喋るわ喋る。女の子はすぐに口説く。ところが情にもろく、思いがけず誠実で、痛みに共感する力があるからか、たいへんなおせっかいやき。変は変だけど、実はいいやつ。なるほど、ソルディはこのころからソルディだったんだな。

 

*1:"Un amico magico: il maestro Nino Rota" (1994), di Mario Monicelli.  マリオ・ソルダーティの語ったイタリア語は次の通り:"Le miserie del signor Travet" è uno dei miei film che mi è più caro e credo che siamo andati più d’accordo con Nino. E quando io ho trovato Rota, ho avuto l’impressione, impressione certamente falsa, di essere io a fare la musica dei film. Era lui che faceva. Ma a me sembrava di essere io, che fa facessi io. Quest’impressione ce l’ha anche Fellini. Mi ha detto Fellini che gli sembra di essere lui a farla. Questa è la grande virtù del musicista. Quando il vero musicista si immedesima talmente nel soggetto, negli attori, nella trama del film, in quello che è in film, che il regista ha l’impressione di essere lui a dare l’idea. 

*2:

it.wikipedia.org 

*3:

 

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