雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ぼくらの《まつりごと》のために(2)


2014年にこんな投稿をしている。気持ちが前向きだったのだと思う。ただ、前向きな気持ちは、投票の意味を考え直すうちに生まれた。投票とは「誓い」」だという言葉に辿り着いた時に、ああそれならばと思ったのだ。

その背後には「神を信じること credere in dio」があるのだけれど、それはすなわち「神のなかにあって信じること credere in dio」であり、だとすれば同じように投票する背後には「政治を信じる credere in politica 」があり、それはすなわち「政治のなかにあって信じること credere in politica」に他ならない。だって、ぼくらは都市(ポリス)でしか生きられないのだから、生きているかぎり都市の統治の術(ポリティカ=政治)のただなかで生きるしかないのだ。

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あれからはもう8年前。いままた投票の時期が来た。そんなに前向きな気持ちではないのだけれど、淡々と投票するんだろうなと思う。それでも、ある種の同調圧力で投票するのだけはやりたくない。かつて誓いの行為ならばぼくにも自発性があると思ったことに加えて、参院選に投票することはどういうことなのか、少しだけ考えてみた。

あたりまえのことを少し整理しただけだけど、それでも見えてくるものがあった。そういうことなのかと納得したりもしたのだけれど、ぼくが整理してみた理想は、いつものように、現実とは遠いところにある。この距離の中で、ぼくらは誓いを立てるように、投票するしかないのだろう。

石ころを少しだけ動かすように、ぼくらは誓いを立てるのだ。それだけでも、ずっと先には世界が大きく変わるかもしれないのだから。

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