雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

『夏の嵐』(1954):堕ちてゆく者のメロドラマ(1)

 師走の23日、新宿のカルチャーでヴィスコンティ『夏の嵐』を話す。直前までどんな話になるかわからないのはいつものとおり。むかし授業でシナリオも読んだ。内容はだいたいわかっている。けれども調べれば新しい発見がある。そうだったのかと思うことが次から次へと現れる。ヴィスコンティはそこが面白い。今回も発見がいくつかあった。記録しておかないと忘れそうなので、この場にメモをとっておく。

 

「結婚行進曲」から「官能」へ

 ひとつは原作が決まった経緯。ヴィスコンティは『ベッリッシマ』(1951)に続く映画について、スーゾ・チェッキ・ダミーコ(1914 - 2010)と一緒に構想を練っていた。スーゾはこのころまでに、ロッセリーニの『無防備都市ローマ』、デ・シーカの『自転車泥棒』や『ミラノの奇跡』などの脚本に協力してきた才女。『ベリッシマ』での仕事ぶりがヴィスコンティの気に入ったのだろう。

 


スーゾはヴィスコンティとともに、ナポリで三面記事から題材をとり、結婚をテーマにしたオムニバス映画を原案を書き上げていた。ポイントは、それまでプロレタリアートのような下層階級を描いてきたヴィスコンティが、初めてブルジョワを描くところ。ただし映画化されることはなく、1995年に『Marcia nuziale (結婚行進曲)』のタイトルで出版されている。

 最初の構想がだめになったとき、いくつかの候補が上がったらしいけれど、そのなかで選ばれたのがカミッロ・ボイト(Camillo Boito 1836 -1914)の短編『Senso』(官能)だっという。このとき、主演にはイングリッド・バーグマンマーロン・ブランドの名前が上がっている。監督にヴィスコンティ、キャストには国際的なスターを起用した大作を撮ろうというわけだ。

 

 この2大スターによる『夏の嵐』も観てみたかった。しかしバーグマンはロッセリーニが良い顔をせず、ブランドはコロンビアが渋ったというので没。その代わりにアリダ・ヴァッリ(当時33歳)とファーリー・グレンジャー(29歳)がそれぞれみごとな演技で、伯爵夫人リヴィア・セリピエーリとオーストリア中尉フランツ・マーラー依代となる。ふたりの俳優としてのキャリアのなかでも、一番のパフォーマンスだったのではなかったのだろうか。

 

 最初の構想がイングリッド・バーグマンだったのは訳がある。というのもバーグマンは1915年生まれで、映画の公開時にちょうど39歳。ヴィスコンティが構想した侯爵夫人リヴィアの年齢とピッタリなのだ。ボイトの原作では、39歳の夫人が、22歳のときの自分を回想するという話。しかしヴィスコンティとスーゾは設定を少し変えると、39歳にして魅力たっぷりの夫人のよろめきを描こうとバーグマンを考えたのだ。それがダメになってアリダ・ヴァッリが浮上する。彼女は当時33歳。少し若い。でも悪くない。いやむしろ、それでよかったのかもしれない。

 相手役のファーリー・グレンジャーマーロン・ブランドとほぼ同い年。見かけは少し違う。ブランドよりも少し女々しいけれど、それはそれでいい味を出している。滅びゆくオーストリア帝国を代表するような女々しさ。ヴィスコンティの目が注がれる没落の美、それをみごとに体現しているといえる。

 

ボイトとヴェルディリソルジメントの建築家と音楽家

 さて今回の発見は原作者のカミッロ・ボイト(1836 – 1914)が作家としてよりも、建築家として知られていること。彼の建築家としての仕事は、19世紀に統一をなしとげたイタリアにふさわしい建築デザインを目指したものと評価されているという。なるほどリソルジメントの建築家なのだ。

 でもぼくがハッとしたのは、そのボイトがリソルジメントの作曲家として知られるヴェルディのために「ヴェルディ邸」(Casa Verdi)を建てているということ。これは1899年にミラノに建てられた音楽家たちのための養護施設。ヴェルディ自身も、じぶんは数々の作品(オペラ)を作ってきたが、なかでも一番気に入っているのはミラノに建てさせたこの建築作品(オペラ)だと語っている。

 さらに言えば、ボイトの『官能』は「蓬髪派」(scapigliatura)と呼ばれる19世紀後半の文学潮流の代表作の一つと考えられていることも忘れてはならない。蓬髪とは「櫛を入れずに長い髪をくしゃくしゃにしてる状態」のことだが、じつはこれフランス語「ボヘームbohème」(ジプシー暮らし)のイタリア語への自由な意訳であり、あのアンリ・ミュルジェール(1822年 - 1861年)の『ボエーム』の登場人物を連想させる表現だという。

 ご存知のように『ボエーム』(Bohème)は、1800年代初期にの一連の雑誌記事に執筆され、1849年に『ボヘミアン生活』として戯曲化、その後小説『ボヘミアン生活の情景』 (Scènes de la vie de bohème) として1851年にパリで出版されたもの。いくつかのオペラにも翻案されたけれど、なかでもプッチーニの作品が有名だ。

 そんな芸術的なボヘミア風を連想させるのがイタリアの蓬髪派。彼らの文学作品は、統一が成し遂げられたイタリアで古めかしい秩序や伝統に異議を申し立て、あたらしい生き方を模索する若者たちの姿を描き出し、その後、デカダンティズムやヴェリズモなどへと展開してゆく。そしてそのデカダンとヴェリズムの影響を直接的に受けたのが、ルキノ・ヴィスコンティその人なのだ。

 

 『イル・トロヴァトーレ』とクストーザの敗戦

 『夏の嵐』ではそんなボイトとヴェルディが結びつくのだが、その媒介となったのがオペラ『イル・トロバトーレ』だったという。フランコ・ゼフィレッリの回想によれば、その舞台を見たヴィスコンティは「これだ!」と興奮したという。

 ボイトの原作にヴェルディのオペラは登場しない。原作でリヴィアとその誘惑者レミージョ・ルス(映画ではフランツ・マーラー)が出会うのはヴェネツィアはリドの「人魚のプール」。しかし、ヴィスコンティは出会いの舞台をヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』の第3幕の終わりから第4幕の初めに設定する。

 舞台は同じヴェネツィアだが、プールではなくフェニーチェ劇場。映画のオープニングは、レオノーラとマンリーコが礼拝堂で愛を誓う舞台。そこに不吉な知らせが入る。大切な人が火刑に処せられているという。驚き、怒るマンリーコ。それは彼が母親だと信じる人。こうしてあの『All'arme! (武器を取れ)』が歌われる。剣を取ったマンリーコが客席に向かって白刃を抜けば、そこにはヴェネツィアを占領下におくオーストリア兵の白い制服の数々。

 カメラがその姿をとらえながら、天井桟敷の人々を見上げれば、三色旗の花束とビラが準備されているのではないか。舞台ではマンリーコの兵士たちが、城を取り囲む敵陣へと切り込んでゆく。客席にはオーストリアの兵士たち。勝ち目がないのはわかっている。それでもマンリーコの兵士と、オーストリアからの独立を夢見る反逆者たちは、戦いの狼煙をあげる。

 フェニーチェ劇場に「イタリア万歳」「ラ・マルモラ将軍が動いたぞ」という声が響きわたる。ラ・マルモア将軍とはイタリアの第三次独立戦争(1866-1870)の「クストーザの戦い」での敗戦の将。勇ましい反逆の市民たちの叫びは、舞台のマンリーコがそうであるように、敗者の名前を告げているというわけだ。

 たしかにイタリアの独立戦争には敗戦がつきまとう。それでも、第三次独立戦争では、普墺戦争オーストリアプロシアに負けたこともあり、イタリアはヴェネトを旧帝国から解放する。いわば勝利の戦いだったのだが、ヴィスコンティが焦点を当てるのは、勝利の戦いのなかで1866年の夏の敗北「クストーザの戦い」。

 こうしてヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」に「クストーザの敗北」が結びつく。だから「官能」(Senso)というタイトルは、一時「クストーザ」(Custoza)あるいは「夏の嵐」(Uragano d'estate)となり、あるいは「敗者たち」(i vinti)とも呼ばれたのだ。ボイトの「官能」を取り上げ、そこにヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」を媒介させると、あの「リソルジメント」(イタリア復興)と呼ばれる独立戦争の実態を暴き立てる。結果的に、それがヴィスコンティ演出の要となる。

 そんなリソルジメントを描くために呼ばれたのが、脚本のカルロ・アリアネッロ(Carlo Alianello, 1901-1981)だ。アリアネッロはリソルジメント史に造詣が深い作家。彼が描きだすのはファシストが持ち上げるようなリソルジメントではない。イタリア統一というのが実のところ、イタリア人としての独立を夢見た民衆を置き去りにして、サヴォイア家による南部の植民地化(ピエモンテ化)にほかならないとする、そんなリソルジメント

 アリアネッロの視座は、リソルジメントを批判的に捉えてきたデ・シーヴォ(Giacinto de'Sivo)、ゴベッティ、グラムシ、サルヴェーミニのような思想家に通じる。ヴィスコンティにとっては、それは敗者の美学、あるいはデカダンスとして響く。そういうことなのかもしれない。

続く...

 

以下、メディア案内。

1)やはりBlu-ray はすばらしい。こっちで見直すと深みがぐっとます。顔の演技がリアルに浮かび上がる。衣装の素晴らしさ、風景の広がり、ヴィスコンティはこうでなきゃ!

2)Criterion 版。すでにDVDなどを持っているなら断然こっち。ドキュメンタリーなど特典が豊富。ぼくも日本版のBD持ってなければ、すぐにもポチリたいところ。

SENSO

SENSO

  • Alida Valli
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3)これいいですよ。ヴィスコンティ秀作集。ボイトの原作「官能」の日本語訳収録!