雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

コンタクトゾーンと認知症

TWでこんな記事をみかけた。ぼくは自分の親父のことを考えてしまった。

bunshun.jp

 ぼくの親父も、この記事にある「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断された。症状が出たとき最初は驚いた。けれど介護保険の制度を頼り、病院で診断を受けてゆくにつれ、こちらも少しずつ理解が進んだ。

 嗜銀顆粒性認知症は、「60代から70代の患者が多いアルツハイマー認知症」とは違い、「80代以降の人」に起こることが多いという。ぼくの親父も80代の半ば。幸いなのは、この認知症がそれほど「ひどい症状を引き起こすものではない」こと。「忘れ物はたくさんする」ものの「一晩寝れば治ってしまう」という。じっさい、ぼくが親父と喋るときの印象も、いつもと変わらない。まったく普通なのだが、ただ明らかに、ものは忘れている。なんでそんなことを忘れるのかというものを忘れるので、驚くやら呆れるやら心配になるやら。けれど、そういう症状だと言われると安心する。なにが変わるわけではない。それでも何かが変わる。

 病名を告げられ、説明をうけることで、まずは精神的な余裕が生まれる。余裕は大切だ。かつて「痴呆」という言葉で呼ばれていたころの認知症は、ほとんど家族のやっかいものだった。「恥さらし」「役立たず」と呼ばれて、ひどいばあいには「納屋に閉じ込められ」、さらに「家で面倒を見られなくなると、精神科病院や老人病院に入れられる」ものの、「入院したところで病棟では何もすることがない」。いきおい「隔離」され、ついには「手や腰を縛られて、拘束される」という具合。問題は何もすることができないと思い込むこと。そして自分を追い込むこと。余裕もなにもなくなって、いきおい手が出てしまう。縛ってしまう。みずからが「恥さらし」となってゆく...

 しかし実際にはできることが沢山ある。ただ健康を謳歌しているあいだ、ぼくらにはそれが見えないだけ。まずはきちんと病名をつけること。「痴呆」ではなく「認知症」。症状となることで、そのメッセージを知るための準備が整うわけだ。

 ここでぼくたちが直面しているものを、言語学文化人類学では、「コンタクトゾーン」ということばで説明してくれている。

 例えば、言葉や文化が異なる相手と向き合わなければならなくなったとき、その接触領域(コンタクトゾーン)で、いったい何が起こるか。それは、帝国主義とその植民地あるいはポストコロニアリズムや、中世に地中海交易のなかで生まれた文化圏とそこに流通したリンガ・フランカのような混交言語のような歴史的な場面だけではなく、カーストのような社会の内側に組み込まれた分断、性差別、人種差別、大人と子供などの分離など、僕らのが生きる今のこの場所にあって隠蔽されたままになっているものだ。

 隠蔽されているものとは、「とらえがたいもの」あるいは「ダス・ウンハイムリッヒ Das Unheimlich」なもののこと。すなわち、慣れ親しんでいるつもりだったのに、実はそうではないことが判明すると、ぼくたちはそこに「不気味なもの Das Unheimlich」を見て取ることになる。このとつぜんに姿を見せるものと出会うところ、それが「コンタクトゾーン」と呼ばるものだなのだが、じつのところ、そんなコンタクトゾーンはあらゆるところに潜んでいる。「認知症」にしても、それがまだ「痴呆」と呼ばれているころは、まだ「不気味なもの」としてとらえられるだけで、その本来的な姿は隠蔽されたままだったというわけだ。しかし、「認知症」という命名によって、ぼくたちはこの症状とのコンタクトゾーンに導かれるというわけなのだ。

 コンタクトゾーンにあって、かつて「痴呆」という名でよばれ、ダス・ウンハイムリッヒであったものは、それが一見どれほど「不気味なすがた」を見せようとしても、もはや恐ろしいものではなくなってゆく。そこには隠された意味があり、解読されるのもを待っている謎として、コンタクトへと誘うものに様変わりしてゆくのだ。

 ただし、その意味はすぐにはつかめない。ちょうど外国語がすぐにわかるようにならないようなもので、必要があれば通訳や翻訳に頼らざる得ないように、認知症もまた、適切な媒介者やコーディネーターが間にはいることで、十分に理解可能なものとなる。適切なコーディネーターとは、この記事にもあるようにデーサービスだ。ぼくの場合もそうだった。すぐに介護保険を申請し、デーサービスを受けられるようにできたことで、親父だけではない、ぼく自身もまたおおいに助けられることになる。

 もちろん、デーサービスが問題をすべて元どおりにしてくれるわけではない。ぼくらは助けられはしたけれど、ぼくらと親父の関係はもはや以前のとおりではなくなってしまう。介護施設と連絡をとりあい、検査の予約をし、さまざまな病院のルーティーンをこなす。この雑事は期間限定的なものではない。悲観的にいえば、シジフォスの労働のように、繰り返し繰り返し、落とされた石を山の上まで運ぶような仕事...

 しかしである。よく考えてみれば、食事を作って皿を洗うのだって、買い物してはゴミを捨てるのだって、飯を食べて排便するのだって、夜に寝て朝に起きることだって、毎年新しい学生を迎えて、毎年さよならすることだって、似たようなものではないか。

 ようするに、ぼくらの生活は、たしかにすっかり様変わりしたけれど、この様変わりによってぼくたちは、認知症を発症した親父を、様変わりする前の親しい存在として取り戻すことができるようになったというわけだ。それは、記憶がおかしくなり一度はダス・アンハイムリッヒ(親しくない存在)となってしまった人を、もういちどダス・ハイムリッヒ(親しい存在)として取り戻すこと。

 もちろん、この「取り戻し」は一回きりの行為ではない。取り戻したと思った瞬間、また遠ざかってゆくものを、いまいちど取り戻すというぐあいに、継続相のものとでとらえるべき行為なのだ。いわば、相手に合わせてこちらも変わり続けること、変わり続けることではじめて、変わらないものとして、ダス・ハイムリッヒとしての、いつもの親父と向き合うことができる。

 そうなのだ、『山猫』のサリーナ公爵のセリフではないけれど、「変わらないためには変わらなければならない」ということなのかもしれない。

 

山猫 4K修復版 [Blu-ray]

山猫 4K修復版 [Blu-ray]

 

 

Imperial Eyes: Travel Writing and Transculturation

Imperial Eyes: Travel Writing and Transculturation

 

 

誘惑する文化人類学ーコンタクト・ゾーンの世界へ

誘惑する文化人類学ーコンタクト・ゾーンの世界へ