ある作家とある評論家のツイッターでやりとりが目に入りました。「ケア」のなかに「虐待」を読み取った評論家に、作家が「虐待」とは書いていないと反論する構図のようでした。このおふたりは、冷静にやりとりをされ、互いに落とし所を探しておられた。ツイッターでよくある感情的な言葉の応酬にはならなかったことに、他人事ながらホッとしました。きっとうまく共通の立場を確認され、解決策を見つけ出されると信じます。
そんなやりとりを読ませていただきながら、ぼくはぼくで自分のことを考えました。両親のことです。あいまいになりそうな記憶を辿りながら、思い出したことがあります。父のケアのこと。父が母をケアしていたときのこと。ぼやけた記憶は放置すればさらに輪郭をあいまいにし、やがて形のないものに還元されてしまうはず。その前に文字にして、フォルムをはっきりさせ、思考の素材にしておこうと思うのです。
今年のはじめ、ぼくは父を見送りました。その父は15年ほど前に母を見送っています。母やアルツハイマーを患って7年、最後は寝たきりにでしたが、父はずっとひとりで母をケアしていました。どうやらデイサービスも利用していたようです。そのことは、後で知りました。父を担当するケアマネージャーさんから「奇遇ね、お母様もわたしが担当させてもらったのですよ」と聞いたのです。
父は弱音を吐きませんでした。下の娘が生まれて、東京に出てきたとき、ホテルの間取りを気にするのでどうしたのかと聞けば、見てればわかるといいます。母は一人で自分の部屋に戻ることができなくなっていたのです。わかっただろうと言うとき、父の少しばかり寂しそうな顔を覚えています。上の娘が生まれた時は、ひとりで新幹線に飛び乗ってかけつけてくれた母ですが、それから4年後には、ホテルの部屋にさえもどれなくなっていたのです。
それから弟の結婚式がありました。そのときはもう、かなり混乱していて、何度も何度も今日は何の日だったのか尋ねます。最後には式場にいられなくなって、ホテルの部屋に戻り、しばらく一緒に過ごしたのを覚えています。なんだか時間が止まったような不思議な感覚でした。
それからも父はずっとひとりで、遠くに住むぼくら息子たち迷惑をかけることなく、自宅での介護を続けます。帰省すると歓待してくれました。今にして思えば、歓待してくれたのは、ぼくらがいれば少し気を抜くことができたからかもしれません。よく食べて、よく飲みました。帰省は楽しいものでしたが、よくよく思い出してみれば父が「いらいら」を抑えきれなかった場面もありました。
たとえば母が、うまく着替られなかったり、車椅子にうまく乗れなかったりすると、目に見えてイライラしていました。ぴしゃりと軽く叩いたり、「ほらほら、もう、なにしとんねん」と声を荒げていました。ぼくらはいい気なもので、「やりすぎだよ、おとうさん」なんて言っていました。一生懸命なのはわかるけれど「やりすぎだ」、そう肉親には見えていたものは、きっと外からは粗雑で、暴力的に見えたのではないでしょうか。少なくとも、プロの看護師がそんなことをすれば「虐待」だと訴えられたはずです。
その父を今年の初めに見送りました。4年前に年金が入っていないと大騒ぎになり、結局は混乱していただけだとわかったのですが、どうも様子がおかしい。なんとか予約をとって、病院に連れてゆくと、初期認知症と診断されました。これは大変だと、それからバタバタと介護認定やらデーサービスを手配。ぼくと弟は遠隔地に住んでいますから、要介護の認定がおりて近くで面倒をみてくれるサービスが見つかったことで、ほっとしたのを覚えています。
デーサービスが見つかったといっても、まかせっぱなしにはできません。どちらかといえば時間が自由になるぼくが帰省し、諸々の手続きや書類の整理を進めてゆきました。作業は父と話をしながら進めるのですが、なんといっても父は認知症を患っているわけで、同じ話を何度も繰り返します。最初は、そういうものだと割り切って、柔かに「うんうん、それはね…」と応じられるのですが、そのうちこちらも疲れてきます。「いらいら」が溜まってくると、そのうち繰り返される問いかけに答えられなくなり、つい「さっき言っただろ」と声を荒げてしまいます。イライラの爆発です。
娘を連れて帰省した時などは、「お父さん、いらいらしちゃだめだよ」と指摘されます。しまったとは思うのですが、うまくコントロールができません。一段落すると、ほんとうにぐったりしてしまいます。今にして思えば、父のケアをしながらイライラを爆発させてしまったように、父もまた母をケアしながら同じことをしていたわけです。プロならやってはいけないのですが、肉親だとついやってしまう。いやむしろ、肉親だからこそやってしまう。肉親の「ケア」には、どうしても「虐待」がつきまとってしまうのではないか。ぼくにはそう思えるのです。
「虐待」とはなにか。日本語にすると大変否定的に響きます。ぼくは、こういうときはイタリア語で考えることにしています。「虐待」はイタリア語では「abuso」と言います。これは動詞「abusare」に遡り、その成り立ちは「 ab-usare 」で、接頭辞「ab- 」(遠ざかる、離れる)が動詞「usare」(使用する)を従えた形になります。語源辞典を見れば、ラテン語の abusus は「完全に消費してしまうこと」とあり、転じて「完全に使う、悪しく使う」と意味が変化しているようです。
ではケアの現場における「abuso」とは、いったい何を「ab-usare」しているのでしょうか。ぼくはケアだと思います。ではケアとは何か。イタリア語では「cura」です。その語源は不明ですが、意味としては「治療」と「配慮」のふたつがあります。「介護」と訳すこともできるでしょう。「治療」(cura) の名目で、ベッドに縛りつけたり、監禁したりすることは、治療を「完全に行おうとして、行き過ぎ、結果的に悪く使ってしまう」(abusare)ことであり、治療における「虐待」(abuso)です。それは家庭における「介護」の現場でも起こります。思うように動けなくなった肉親を助けようとして、つい冷たい言葉を投げかけたり、手を出してしまうようなこともまた、介護を「完全に行おうとして、行き過ぎ、結果的に悪く使ってしまう」(abusare)ことであり、「虐待」(abuso)になってしまうわけです。
ケアをしていると、相手が大切な人であればあるほど、そして親しければ親しいほど、「いらいら」が募るものです。とりわけ肉親のケアでは、疲れとやるせなさでイライラが募ります。募ったイライラは小さな爆発を繰り返しながら、本来のケアから離れてゆき、「虐待」へと近づいてゆくわけです。
認知症の父は、「認知がうまくゆかない」「記憶が定着しない」という苦しみを患う「患者 paziente 」です。プロの介護士ならば、職業的な「忍耐 pazienza 」を持って臨むことになります。ところが、そのプロでさえ時にゆきすぎてしまうことは、世間の「虐待」(abuso)のニュースが教えてくれるところです。
プロでさえそうなのです。突然に肉親の介護をしなければならなくなったとき、肉親としてなんとか「忍耐 pazienza 」を持ち続けることは、かなり大変です。ぼくの場合は、娘が付き添ってくれたり、弟が分担してくれたりしてくれたことで助かりました。なによりも、デーサービスから始まった、小規模多機能型居宅介護の力を借りることができたのが大きかった。必要に応じて、デーサービスの時間や回数を増やし、病院の受診や薬の管理、食事や入浴のサービスなど、ほんとうに細かく面倒を見てもらえたおかげで、診断が出てから足掛け4年にわたって、とんでもない「虐待」にいたることなく、比較的おだやかに乗り切ることが出来たように思うのです。
家族や介護サービスの助けがなければ、きっとぼくは、父のケアに耐えられなくなり、ケアという苦しみを患うことになっていたはずです。 父が認知症を患う「患者 paziente 」なら、ぼくもケアの苦しみを患う「患者 paziente 」となる。肉親のケアでは、おそらく、ケアする者のケアされる者の双方が、「苦しみを患う patire 」という意味での「患者 paziente 」になってしまう。どうしてそんなことが起こってしまうのかというと、たぶん、ケアする者とケアされる者との関係に強度がありすぎて、ケアという行為をうまく「使用 uso」することができなくなってしまうからではないでしょうか。そこに「行きすぎた使い方/悪しき使用/虐待 ab-uso 」が生まれることになるのです。
だからケアの現場にはどうしたって「悪しき使用 abuso」がつきまといます。そもそも、ぼくたちの人間関係は、配慮(cura)のなかで適度に使用(uso)され、その使用のなかで新たな人生を開いてゆくものだと思うのです。ところが、ある種の苦しみ(patos)に襲われたとき、ぼくらはその苦しみを患いながら(patire)、忍耐(pazienza)を失い、にもかかわらず人間関係の「使用 uso 」をなんとか完遂しようとするあまり、本来の関係から逸脱し、遠ざかり、離れてゆき、慈しみ育み成長させてゆくべき人間関係を、損ない、破壊し、殺してしまうような悪しき方向へと歪んでゆく。それが「虐待 abuso 」なのでしょう。
人を大切にしようとするとき、そこから「虐待」は始まります。「人を大切にする」ことをイタリア語では「avere cura di qlcu. 」とか「curare」と言うのですが、そういう意味での「大切にする」(cura)とは人間関係における「配慮」のことです。この「配慮」をぼくたちはうまく「使用」(usare)しなければなりません。それは「使用」のなかで自分自身も変化しなら、「配慮」そのものを成長させて、より実りの多い、笑顔のたえないものへと高めてゆくことだと思うのです。
肝心なのはバランスなのでしょう。気を抜くと、すぐに行きすぎて、やりすぎて、バランスを失いながら、とんでもないことをやらかしてしまいます。それは、ある種の綱渡りなのかもしれません。ともかくも、綱を渡り切ること。「虐待 abuso」の淵に落ちることなく、向こう側へ渡りきれば、きっと笑顔を浮かべることができるはず。そしたらまた、ドキドキしながら、また次の綱へと足を踏み出せば良い。
生きるってのはたぶん、そんな綱渡りみたいなものじゃないでしょうか。