
某サイトにて。24-75。ローレン祭り。
監督はマリオ・モニチェッリ。ローレンとの仕事はこの作品が唯一。これ、抜群におもしろい。
タイトルの「La mortadella」は、有名なボローニャのハムのこと。物語はこのモルタデッラ・ハムをアメリカに持ち込もうとしたマッダーレナ(ローレン)が税関に止められるところから始まる。ところが、婚約者のミケーレ(ジージ・プロイエッティ)はそんなものは放っておけと言う。マッダレーナはハム工場の仲間がせっかく用意してくれた結婚祝いだから諦められない。そもそもアメリカの法律がおかしいではないかと、マッダレーナ。ところがミケーレが言う。法律は法律だ。マッダレーナが驚く。イタリアにいるときのミケーレはそんなことを言う男ではなかった。共産主義者として労働運動をしながら、権力に異議を唱えていたのだ。それが今アメリカでは、まるで共産主義者だった過去を隠そうかとするのように、税関職員たちにこびへつらっている。
実のところミケーレは、イタリアレストランを経営する経営者。すっかりニューヨークの顔役なのだ。そんな婚約者に、マッダレーナは幻滅しながらも、モルタデッラを離そうとはしない。イタリアにも帰らない。アメリカには入国できない。空港でその大きなハムの包みを抱えて動けなくなる。
ここでふたりのアメリカ人が登場する。ひとりはウィリアム・ディヴェインの演じる新聞記者のジャック・フェンナー(Jack Fenner)。モルタデッラを抱えて空港で戦うマッダレーナを記事にしようとする貧乏記者だ。もうひとりは親切な空港職員のドミニク。ドミニクは独身。マッダレーナを口説きにかかるのだけど、マッダレーナは粗野だけれど昔のミケーレのような新聞記者のジャックのほうが気になってしまう。
ともかくも、空港で動けなくなったマッダレーナは、空腹からしかたなくモルタデッラを食べ始める。空港職員のドミニクたちにも分けたら大好評。一晩のうちにほとんど食べてしまうことになる。その間、新聞記者はイタリア系の政治家を連れてきて、政治問題にして記事にしようと目論むのだけど、もうモルタデッラはほとんど食べてしまっていた。こうしてアメリカに入国できたマッダレーナだが、ふたりのアメリカ人と、諦めきれない同郷人ミケーレの間で、女としての筋を通してゆく。マザコン気味の職員は捨て、未練がましいミケーレを切り捨て、自分勝手なジャックのことが気になるのだけれど、彼には別れた妻(スーザン・サランドン)がいて子どもたちもいる。
結局マッダレーナは、自由の女神の国で自由に生きることを選ぶ。その哀愁のラストシーンに、ルーチョ・ダッラが作曲し、マッダレーナ/ソフィアの歌う歌が流れる。じつはこれ、英語の練習に録音したテープなのだけど、その歌声に聞き入るジャックを残して、彼女は自由の世界へ踏み出してゆくというラスト。その歌声はこう聞こえる。
Ho preso il passaporto per l’America
Dove la gente è libera da amare
Dove ogni uno fa qeullo che ti pare
Sotto la statu della libertà
わたしはアメリカ行きのパスポートを取った
そこで人は自由に愛せるの
誰でも思ったことができるの
自由の女神のもとで
それにしても話が面白い。脚本にはスーゾ・チェッキ・ダミーコがいる。なるほど。音楽もよい。とりわけローレンの歌が聴かせるんだよね。でも聞いたことがあると思ったら、ちょうどこのころルーチョ・ダッラが同じ年の1971年出した「4 marzo 1943」とそっくり。それをローレンが歌うわけで、これはたまりません。
もうひとつ印象的なのが、ニルソン作曲の「孤独のニューヨーク」( I Guess the Lord Must Be in New York City)。直訳すると「ニューヨークには神様がいるはずだと思う)。この曲は、シュレシンジャーの『『真夜中のカーボーイ』(1969)のために作られたものだけど結果的に使用されずに終わったもの。それをモニチェッリが使ったというわけ。さらに1998年の映画『ユー・ガット・メール』でもニルソンの曲が使われ、サントラ版にはシネイド・オコナーのカバー・バージョンが挿入されたという。
日本未公開。どうしてだろ。こんなに面白いのに。僕が観たのは、ちょっと訳ありサイトなんだけど、イタリア版のDVDは手に入るはず。おすすめです。
日本未公開。どうしてだろ。こんなに面白いのに。僕が観たのは、ちょっと訳ありサイトなんだけど、イタリア版のDVDは手に入るはず。おすすめです。
