このところ、ベロッキオについて考えている。3週間後には、少しまとまった話をしなければならないからだ。
ここでは備忘のために、Filmarks のメモを再掲しておくことにしよう。
1)『母の微笑』
背景には、当時の時代設定(大聖年)と、個人的な母の思い出が認められる。だからベロッキオの商業監督としての価値が下がるわけではない。むしろ、自伝的な要素や社会的な要素を織り込みながら、みごとな娯楽作品を作っていると考えることもできるのではないだろうか。少なくとも僕は、「宗教の時間」のマエストラとの「かくれんぼ」のシーンには、背筋がぞっとするような感動を覚えた。
2)『眠れる美女』
じつにベロッキオらしい作品。ベルルスコーニが登場する映画として、フェリーニの『ジンジャーとフレッド』やモレッティの『エイプリル』『夫婦の危機』とならんで、記憶されてもよいかもしれない。そういえば、ソッレンティーノなんて、ベルルスコーニその人を主人公にした映画『Loro』を公開したばかりだな。
3)『甘き人生』
この日本語タイトルって、もしかしたらフェリーニの『甘い生活』へのオマージュなのかな。少なくとも内容的にはズレっているよね。すごくよい映画なんだけど、それは「甘さ」ではない。むしろ「苦い」ものなのだけど…
ともかくもこの映画、少なくともぼくにとっては、ベロッキオのリアルを考える絶好の作品だ。下のフィルマークスのメモでは、映画と「にもかからわず(nonostant)」というイタリア語について、思いついたことを記しておいた。
4)短編『議論しよう、議論しよう』(Discutiamo, discutiamo)(1969)
ベッロッキオは1939年生まれだから、このときちょうど30歳。映画のなかでは20代に見えた。
5) これも追加。
6) ついでにこの2本も。
ベロッキオのリアルについては前記事を参照。
また、最近のベロッキオのインタビューでは、これもなかなか参考になる。