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雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

映画のなかの詩人たち:パゾリーニとダンテ、それからベニーニ

週末にカゼをひいた。


木曜日あたりから調子が悪かったのだけれど、金曜日の午後に帰宅、熱が少々あるのでそのままダウン。なんとか夕食をとってまたダウン。土曜日の早朝、なんとか熱が下がったので飛び起きる。正午前から横浜の朝日カルチャーセンターで映画の話をすることになっていたからだ。
 
それにしても、なんでパゾリーニを話すなんてチラシに書いてしまったんだ。そう自分を責めながらも、なんとかポイントを『アッカットーネ』に絞り込む。このデビュー作は、やはりパゾリーニという人の芸術の出発点(当たり前だけど)。そしてそこには、詩や映画における表象の身体性へのこだわりが見て取れる(と思う)。なにしろこのデビュー作において、パゾリーニは俳優を使うことを断固拒否し、ボルガータと呼ばれるローマの下町の友人フランコ・チッティを主演させ、まわりにその仲間たちを配役したのだ。もちろん素人の彼らには演技なんてできやしない。ならば撮影のときには数でも数えさせておいて、あとからプロの声優にセリフを当ててもらえばよい。パゾリーニは、すでに小説『生命ある若者 Ragazzi di vita 』でボルガータの世界を描いているのだけれど、映画でその生の姿に接近するには、フランコと仲間たちの顔でなければならなかったのだ。代替不可能の顔というのは、一種のフィクションの裂け目のようなものかもしれないけれど、このあたりが身体性を考えるときのヒントなのだろうと、勝手に見当をつけている。
 
こうして『アッカットーネ』という映画を語ることで、詩人としてのパゾリーニを語ることにしたのだけれど、幸いにも映画のセリフについては昔ちょっとまとめたものがあったので助かった(ありがとう、むかしの僕よ)。今回のポイントは詩人としてのパゾリーニなのだけど、もうひとつ幸いにして映画の冒頭にはきっちりとダンテの『神曲』からの引用が掲げられている。というわけで、もしかするとパゾリーニは、ダンテが『神曲』でやろうとしたことを反復しているのではないかという仮説に立てるじゃないか、やったぞ…でも風邪で頭がふらついてうまく考えがまとまらない。というかダンテは難しい。こういうときに平易や現代語訳がありがたい。平川祐弘訳(河出文庫)に感謝しながら、ダンテの原文と照らし合わせる。当時 volgare と呼ばれたその原文と、パゾリーニ映画のボルガータ訛りが頭の中で交錯する。フィレンツェから追放されたダンテと、教職を追われ、共産党からパージされ、母とともに故郷からローマへと落ちのびたパゾリーニの姿が突然に重なって見えてくる(錯覚かもしれないけど)。で、気がつくとそんなふたりの姿が、あのロベルト・ベニーニのようにも見えてくるではないか。
 
ライフ・イズ・ビューティフル』で知られるロベルト・ベニーニだけど、イタリアでは今やちょっとした知識人扱い。本来はフィレンツェの貧しい家の出身であることを売りにしながら、貧困のなかでこの地方に根付く口承文化の影響を受け、ピノキオの末裔であることを誇りに、舞台からTVへ、TVから映画へと活躍の場を広げてきたこの才人は、今やダンテの世界を自家薬籠のものとしてイタリア中を回り『神曲』の一節を朗誦しているのだ。そんな舞台にお客が入るのかと思うのだけど、これがまた満員なんですね。DVDも発売されるほどの人気の舞台は、いったいどうしてなのか?結局ベニーニもまた、パゾリーニに連なりながら、ダンテへと遡ってゆくということなのか?いや、たぶん事態は逆なのだ。ダンテの言葉が、パゾリーニの映画的身体を借り、あるいはベニーニの身体を借りて語り始めたのだ。そういう憑依現象のほうがきっと面白いはずだしね。ルネッサンスというのもまた、おそらくそういう事態だったのではないだろうか。あのころの人々、たとえばダンテなんかに、何かが憑依したと考えてみると面白いかもしれない(ほとんど根拠もない想像だけど…)。結局のところ言葉ってやつは、それを語る肉体のないところでは翻訳不可能な死語となるものの、ひとたび肉体を得るや突然その意味を蘇らせてしまう。それがルネッサンス Rinascimento (再び生まれること)という事態ではなかったのだろうか。
 
そんな妄想にふけっているうちに出発の時間となる。できたてのスライドを確認してMacBookをリュックにほりこみ、ふらふらしながら横浜へ。教室に入って話を始めると少しふらつきが収まってきたので、なんとか90分を話し終える。最後のダンテの話は、さすがに飛躍しすぎましたね。みなさんを呆然とさせてしまいました…すいません。
 
でも忙しいのは終わりではない。なんと今週と再来週の火曜日の午後、千葉市民文化大学で『イタリア映画の昨日・今日・明日』タイトルで2週連続講義の予定なのだ。ああ…準備がまだ終わっていない。しかも冒頭に扱うのはサイレント映画『カビリア』で、フェリーニの問題作『8 1/2』とかも扱いながら、イタリア映画の明日を考えてみるだなんて?そんなの誰が書いちゃったんだよ、なんて過去のぼくをつい責めたくなる。
 
だって、そうでなくても7月は大学の試験もあるし、イタリア語の短期集中講座が3つあるし(関係ないけど行きたい映画もあるし、読みたい小説もあるし、ベースやドラムを鳴らしたいし…)、カゼなんてひいている暇ないはずなのに…まだ少しゲホゲホ…もはや年齢的に徹夜は無理…とすると…
 
やっぱり早寝早起が一番かな?
 

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