雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

パゾリーニ「俗世の詩、1962年6月21日」を訳してみた

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のんびりした日曜日、風呂から上がってさあ寝ようというとき、FBの投稿でふと目に飛び込んできたパゾリーニの詩。冒頭の「1日中修道士のように働いて、夜は野良猫のように彷徨って愛をもとめる」という部分にハッとしてしまう。

ここにはパゾリーニその人がいる、そう思ったのだ。それから続く文を読み出せば、どんどん時間が過ぎてゆく。面白いからではない。謎めいたフレーズが続くものだから、その意味をつかもうともがいているうちに、寝る時間がどんどん遠いていったのだ。

それでも、その夜のうちになんとか日本語に落とし込んだのだが、翌日も気になってしかたがない。イタリア人の同僚に助けを求めたり、ネットや手元にあった本を調べてゆくと、少しずつ詩行の意味が立ち上がって来た。

どうやらぼくが惹きつけられたのは、1964年にガルザンティ社から出版された詩集『バラのかたちをした詩』(Poesia in forma di rosa) のなかの「俗世の詩」(Poesie mondane )の一節だった。「 俗世の詩」は、それぞれに日記のように日付が記された一群の自由詩のこと。

そんな詩群の最後にあるのが「1962年6月21日」だ。そこでパゾリーニは自らの詩や文学についての考え方、そして自らの眼差しの向け方、そして自らの理念のありかたを披露してくれているようなのだ。大袈裟に言えば、ほんの数行のうちにパゾリーニの政治と文学についての考え方と、人生の生き方そのものが、閉じ込めらているとまで言われているではないか。*1

 そんな詩は、ぼくには一見、散文のように見えた。しかし、最初に目にしたものは、改行を省略して投稿されたものだった。だから散文に見えたというのもある。それでも詩にとって、改行とは言葉とおなじくらい大切なもの。じっさい手元にあった詩集を開き、そこに印刷された詩行を確認してみると、実にたくみに改行されている。

 

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(Pier Paolo Pasolini, Poesie, 2001, Garzanti)
そんな改行にあわせて、ぼくは自分の訳文を改行してみた。するとどうだろう。しだいにパゾリーニの詩のリズム感がつかめてくるではないか。

 改行することで、リズムが生まれ、そこに詩が立ち上がってくる驚き。ああなるほど、そういうとか。そんな思いを読書の師匠である鈴木さんに伝えると、俳句にも「多行式俳句」なるものがあって、たとえば髙柳重信の「身をそらす虹の/絶巓(ぜってん)/処刑台」や「船焼き捨てし/船長は/泳ぐかな」などがあると教えてもらった。

そんな改行の力だけではない。パゾリーニのこの詩の場合には、詩行の一文一文が、読みの角度が少し変わると、まるで万華鏡のように意味を変えてゆくのもまた魅力なのだ。

たとえば「リンチに従事する者たち」(gli addetti al linciaggio)という表現。それはおそらく、パゾリーニ自身に対する「私刑」に関わった者たちのことなのだろう。具体的にはわからないが、すくなくともパゾリーニの人生は、故郷を追われた時からスキャンダルに満ちている。本人ただ「愛を求めた」にすぎないのだろうけれど、それは「私刑」の対象になってきた。ところがパゾリーニ本人は、このリンチ=私刑に関わる者たちを凝視する「目は、どこかのイメージの目」(con l'occhio / d'un immagine)なのだ。

これはつまり、パゾリーニはそこでリンチを受けながらも、それらをどこか別のところにあるイメージの目によって、それも単数の目(l'occhio)で見つめているということなのだろうか。じつに不思議な感覚を伝えるこの目は、どこかあの「末期の目」(@芥川龍之介)と交感するものがある。

そして最後の一文がまたすごい。「受け身でいる」(passivo)でいるのはパゾリーニ自身なのだろう。その彼は、自らに起こる苦悩を受けとりながら(ここで思い出すべきはもちろんキリストの受苦 passione di Cristo) 、そのすべての上を「飛びながら、すべてを見る小鳥」(un uccellino che vede / tutto, volando)に、その様子を例えるている。

こときわたしたちは、飛んでいるのが小鳥なのか、それともパゾリーニなのか、それとももしかすると、わたしたち自身なのか、一瞬分からなくなってしまう。少なくともぼくは、自分がその小鳥=パゾリーニとして空を飛んでいるところを想像してしまった。そのとき、「胸に抱えて、空を飛ぶ良心」(si porta in cuore / nel volo in cielo la coscienza )へと、パゾリーニの詩行は改行によって注意を向ける。そして、この「良心」あるいは「意識」(coscienza)には、「容赦することがない」(che non perdona)という関係節が続く。

この「良心が、容赦しない」(la coscienza / che non perdona)とはどういうことなのか。辞書をひもとおいて動詞 perdonare を見てみれば、ふだんは多動詞である「許す」という意味のほかに、自動詞の用法が飛び込んでくる。主に否定形で「命を救う、容赦する」の意味で使われるとかり、「死は誰にも免れられない La morte non perdona a nessuno」や「それは不治の病だ È la malattia che non perdona』、さらには「付け入る隙を与えない部隊 la squadra che non perdona」などの例文が挙げられている。ならばパゾリーニの小鳥がその胸に抱える「良心」(coscienza)とは、必ず訪れる「死」や不治の「病」や常勝の「部隊」のように、誰をも逃さず、許さず、反撃の機会を与えずに常に打ちのめす、そんな激烈な「良心」なのだろうか。

そんな最後の一文の激しさに駆られ、日本語にしてみたものを以下に挙げておくことにする。とてもパゾリーニの詩文には届かないけれど、今の僕なりの理解のためにやってみることにした。おそらく、まだまだ直せるところもあるだろうし、誤解しているところもあるだろう。

でもまあ、拙訳を引き出しにしまっておくよりはましかもしれない。もしかすると誰かの役にたつかもしれない、厚かましくもそう思いながら…

ではご笑覧。
 

1962年6月21日

昼間はずっと修道士のように働き

夜には野良猫のように愛を求めて

彷徨う…  教皇庁に請願して

いつか聖人にしてもらおう。

なにしろ事実を曲げる欺瞞には

穏便に応じるのだ。リンチに従事する者たちを

見つめるのはどこかのイメージの目だ。

自分自身が抹殺されるところは、科学者の

冷静な勇気をもって観察する。憎しみを

抱いているように見えても、詩を書くとき

その言葉はふさわしい愛に満ちている。

不誠実を、なにか運命的な現象としてまるで

自分はその対象ではないかのように研究する。

若いファシストたちを哀れに思い、

年配の連中のことは、悪のとりうる

最も恐ろしいかたちとみなして、

ただ理性の暴力だけで立ち向かおう。

小鳥のように受け身でいて、飛びながら

すべてを目にしはするけれど、

空の上まで心に抱いてきた良心は

容赦することがない。

21 giugno 1962

Lavoro tutto il giorno come un monaco

e la notte in giro, come un gattaccio

in cerca d'amore... Farò proposta

alla Curia d'esser fatto santo.

Rispondo infatti alla mistificazione

con la mitezza. Guardo con l’occhio

d’un'immagine gli addetti al linciaggio.

Osservo me stesso massacrato col sereno

coraggio d'uno scienziato. Sembro

provare odio, e invece scrivo

dei versi pieni di puntuale amore.

Studio la perfidia come un fenomeno

fatale, quasi non ne fossi oggetto.

Ho pietà per i giovani fascisti,

e ai vecchi, che considero forme

del più orribile male, oppongo

solo la violenza della ragione.

Passivo come un uccello che vede

tutto, volando, e si porta in cuore

nel volo in cielo la coscienza

che non perdona.

 

 四方田さんの力作にも当たってみたけれど、残念ながらこの詩群「Poesie mondane」は訳出されていなかった。

パゾリーニ詩集

パゾリーニ詩集

 

『バラの形をした詩』の2015年版。ちょっと欲しくなってきた。

Poesia in forma di rosa

Poesia in forma di rosa

  • 作者:P. Paolo Pasolini
  • 出版社/メーカー: Garzanti Libri
  • 発売日: 2015/05/01
  • メディア: ペーパーバック