雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

決めつけるのは危ない

 少し前に朝の番組「とくダネ」の木曜日コメンテーターをしている陸上の為末選手が、(細かい文脈は忘れてしまったが)中国との国境を巡る問題について、こんな言葉を口にしていた。

 

 「決めつけるのは危ないですよね、グラデーションでゆかないと」。

 

 なんだか妙に納得できたので、ノートに記しておいた。そのノートを読み返しながら、どこが納得できるのか考えていると、最近ずっと読んでいた柄谷行人の『世界史の構造』に思い当たる。そこには、国家というものは、その姿を外部に示すとき主権的人格のようなもの(ステート)をあらわにするが、内側に対しては異なる姿(ネーション)が見せる、というようなことが書いてあった。ぼくたちが外から見る中国はステートとして主権的な人格を持って現れるが、内向きにはネーションとして今なおまとまり模索して四苦八苦している姿が見える(その出発点にあるのはたぶん反日感情なのだろう)。加えて、拡大する消費者がいて、よい商品(例えば日本製の商品がそれだ)を求めて国内市場を牽引しているわけだ。ステートが発する声は相変わらずの強気であり、ネーションの内側から聞こえる声は強固に反日的だったり(歴史的にも反日ナショナリズムの起点なのだから)、逆に親日的だったりする(消費者はよい商品が欲しいもの)。だから、どの声が本当の中国なのかと考えると、うまくわからないし、混乱してしまう。おそらくは中国の人々だって、ぼくたちの国をまずは外から見ては(つまりステートとして見て)、何を考えているか分からない嫌みなステートの姿を見いだすのだろうし、昔の過ちを反省しようとしない軍国主義の生き残りを見るように思ったり、一方で、質の高い商品を生み出す魅力的な姿も認めているはずなのだ。

 

 そうだとすれば、中国というのはこういう国だと簡単に言うことはできないし、きっと中国の人だって、日本がどういう国かなんて、そんなに簡単に言えないはずだ。お隣の国の多様な姿を、たった一本の線で明瞭に描けるわけがない。まじめにそんなことを試みれば、その姿をつかまえようとすればするほど目がクラクラしてしまうはずだ。だからこそ「グラデーションでゆかないと」というは、実にうまい言い方だと思う。もちろん為末選手がそこまで考えていたかどうかわからない。けれどこの言葉は、ちょうど柄谷の『世界史』を読んでいたぼくの耳に、はっとさせるものだったし、しっかり考えておかなければならないと思わせるものだったのだ。

 

 しかし考えるべきは、さしあたって中国との外交問題ではない。もちろんこれについても、なにか考えなければならないのだろう。ただ、ぼくにはそんな力もないし、今はその気もない。考えたいのは、「決めつけるのは危ない」ということは、どいういうことかを、きちんと確認しておくことだ。なぜなら、今、メディアから入ってくる情報は断片的で、それぞれに色合いが違うから、どうしてもグラデーションになってしまう。それでは、すっきりとはしないのだけど、だからと言って「決めつける」ことで、すっきりさせようとしてはならないのだ。考えることは、たしかに何かをすっきりさせようということだけど、それは「決めつける」のとは違う。やるべきことは、個々の情報をマッピングし、そこに浮かび上がるぼんやとした輪郭(グラデーション)を頼りに、なんとか前に進むこと。それが、考えることなのだと思う。ところが、そんなすっきりしない状態に耐えられなくなると、しばしば人は「決めつける」誘惑に負けてしまう。けれどもものごとを「決めつける」ことは、考えることの放棄なのだ。考えることを放棄すれば、残るのは行動だけとなる。ことが国の外交に関わってくるとき、行動に訴えるのがどれほど「危ないこと」か。それは、少なくとも第二次世界大戦までの歴史を少しでも振り返れば誰にだって分かることだろう。だからこそ「決めつけることは危ない」。少なくとも行動に訴える手前にとどまり、どこまでも慎重であること。それが考えることなのだ。

 

 

 それにしても、「決めつける」ことなく考えるとはどういうことなのだろうか。その一つの例を、次のような内田樹の文章に見ることができる。内田氏は、敬愛するレヴィナスの知的態度を説明して、こう書いている。

 

レヴィナスの思考のきわだった特徴は、一つの定式が提示されるや否や、ただちにそれに異を唱える別の言葉が湧出するという「前言撤回」(se dedire)の無窮の運動性のうちにある。みずみずしく生成的であった思考が、堅固で一義的な言葉の枠組みのうちに固着し、惰性化することをレヴィナスはほとんど強迫的に回避しようとする。思考をたえず「星雲状態」においておきたいという願いはこの哲学者のほとんど宿業である。これほど「固着しないことに固着する」精神に私はかつて出会ったことがない。(内田『レヴィナスと愛の現象学』p.103)

 

 ここで言われていることもまた、ともかく「決めつけ」を避けることにほかならない。それを「グラデーションでゆかないと」というにせよ、「思考を絶えず《星雲状態》においておく」というにせよ、ともかく思考の運動が停止するような状態、武道の言葉でいえば「居着き」の状態が、知性にとって危険だという主張を見ることができる。

 

 それにしても「星雲状態 nebula 」とはうまくいったものだ。これはウォルター・ベンヤミンの言葉らしいが、からもまたユダヤ人の思想家。どうやらユダヤ的な思考には、何ごとも「きめつけない」という「きめつけ」の伝統があるようだ。実際、内田はその源流をタルムードのラビたちに遡る。

 

 レヴィナスはこれをタルムードのラビたちの「マハロケット」(議論)のマナーから受け継いだ。タルムードの時代には、つねに同時期に2人の偉大なラビたちが双璧のように存在し、たがいに一歩も譲らない、しかし生産的な論争的対話を繰り広げていた。(中略)彼らの対話はある論件に決して決着をつけないことをめざして展開した。大事なことは、結論を得たり、最終的和解に至ることではなく、問題を未来の立法修学者へ向けて解放状態にとどめおくことだからである。(内田『レヴィナスと愛の現象学』同)

 

 ユダヤ教のラビたちのイメージは、福音に書かれているパリサイ人のイメージが強い。律法を頑に守りイエスによって批判されたというユダヤ教ファリサイ派の人々のことだ。ところが、このパリサイ人たちこそ思考を星雲状態に保とうとした「タルムードのラビ」にほかならない。そして、その実際の姿は、福音の伝える頑なイメージとは異なり、むしろ頑に「頑でないこと」をめざすものだったのだろう。実際、タルムードとは、書かれた律法であるトーラに対して、口伝による律法のことをいうらしい。口伝であるから、そこには書かれた文がない。秘伝の巻物や、水戸黄門の印籠のように、示してみせるだけでみながひれ伏すようなモノがない。モノの形は持たないが、律法についての「生産的な論争的対話」が展開されるマハロケット(議論)と、それを行うラビたちこそが、タルムードの宗教的権威を担保するものだったらしいのだ。おそらくはイエスもまた、そうしたマハロケットにかかわる師(ラビ)のような人だったも考えられる。少なくとも福音は、イエスを称揚しようとするあまり、このあたりの記述が偏向していると見てよいのではないだろうか。

 

 いずれにせよ重要なのは、ユダヤ的思考(タルムードのラビ的な思考)が、「結論を得たり、最終的和解に至ること」を目的にするのではなく、「問題を未来の立法修学者へ向けて解放状態にとどめおくこと」ような知的態度を取っていることだ。それはあくまでも知的な態度であり、さまざまな歴史的文脈のなかで「差別」とか「民族」とか「宗教」とか「陰謀」のような手あかついた「ユダヤ的なもの」からは、区別されなければならない(ここまで書いてきて、なんだか内田樹がその『私家版ユダヤ文化論』で言いたかったことが今更ながらわかった気がする)。

 

 知的態度としてのユダヤ的なものを理解するために、もうひとつ参考になったのが、柄谷行人の『世界史の構造』だ。そのなかで柄谷は、普遍宗教としてのユダヤ教の成立事情を次のように説明している。

 

 部族宗教としてのユダヤ教は、イスラエル王国ユダ王国の滅亡とともに棄てられた。人々の多くは他の民族吸収された。普遍宗教としてのユダヤ教が成立したのは、バビロン捕囚となった人々の中の少数派によってである。彼らがモーセの神を信じたのは、部族や国家の強制力によるのではない。国家の滅亡とともに、そのような力はもはや働かない。バビロンで、彼らは主として商業に従事した。国家を失い、且つ、部族的な共同体を越えた交通が常態であるような都市の中に生きた彼らの経験を通して、モーセの神が再びあらわれた。それは、モーセの神が向こうから迫ってきたといってもよいし、個々人が、部族的なつながりによってではなくモーセの神を新たに選んだ、といってもよい。

 実際は、このことは同じ出来事の両面である。一つは、神が部族や国家を越えた普遍的・超越的な存在となった、ということである。もう一つは、共同体の一員ではなく、そこから相対的に自立した個人があらわれた、ということである。( 『世界史の構造』p.212 )

 

 柄谷によれば、部族宗教から普遍宗教への変化という事態を、そのふたつの面から説明する。ひとつは、ユダヤ人たちの歴史的な特殊事情のなかから、「神が部族や国家を越えた普遍的・超越的な存在になった」という事態だ。いいかえるなら、それは歴史的特殊事情から「普遍的・超越的な存在(=神)」が生まれたということだ。もうひとつは、部族や都市国家的な共同体の一員でしかなかった人々が、この共同体から自立した個人となったことだ。たしかに普遍的・超越的な神を前にしたとき、ぼくたちは属している共同体を離れないまでも、この「新たに選ばれた神」のほうを尊重するようになる。それは、共同体から相対的に自立した個人が生まれたという事態にほかならない。ようするにユダヤの民は、歴史のある時点の特殊事情のなか、こうした宗教的・精神的な大転換を経験したのだが、その経験から生まれた自立した個人が、あのラビ的ユダヤ教(タルムードのラビ)という知的態度を形成していったということだ。

 

 このユダヤ的知的伝統のなかから、内田樹が師事するレヴィナスは生まれたのであり、柄谷行人の師事するマルクスも生まれたのだ。ついでに、最近気になる歴史的人物の名前を思い浮かべてみると、スピノザベンヤミンカフカアガンベンなど、みんなこの伝統のなかにいるではないか。もちろん、そうじゃない人物だっている。けれども、それがユダヤ的だとかそうではないとかいうのが問題なのではない。大切なのは、ぼくたちが直面している現実に対して、なにかを「決めつけるのは危ない」ということを、思い出すことなのだ。

 

 けれどもそれは、何もしないことではない。うまく説明できないけれど、きっとそれは悩みを抱えた客を相手にする占星術師のようなものではないだろうか。占星術師は客の生まれを聞き出し、星々の配置 costellazione を与えられる。しかし、星の配置が決まっても、そこにはさまざまな解釈の可能性がある。するとこの占星術師は、その無限の可能性に呆然とするでもなく、目の前に座る客のために、その星の配置を読み取り、と、ひとつの解釈を披露してみせる。しかし、すぐれた占星術師は「決めつける」ことがない。ただ自分の解釈を、客による新たな解釈へと開かれた形で提示するだけだ。悩めるお客が受け取る解釈は、決して「こうしなさい」という定式で告げられことはなく、「あなたの星座はこんなふうに読める」という謎として示される。それは、受け取った者のための新たな解釈の可能性を開いてみせるだけで、決して「決めつける」ものではない。そんな占星術師のような立場に踏みとどまること、どこまでも解釈を続けてゆくこと、そんな知的営みをけっして諦めないこと。おそらくそれは、歴史に何度も出現した「危ない」事態を乗り越える数少ない有効な方法のひとつなのではないだろうか。ちまたにあふれる「危ない」言動を聞きながら、今、ぼくは強くそう思う。