雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ルイージ・ザンパの『Anni difficili (困難な時代)』を観た

anni difficili (ed. restaurata e integrale) (2 dvd) DVD Italian Import

  ルイージ・ザンパの『Anni difficili(困難な時代)』(1948)年をイタリア版DVDで鑑賞。これは名作。でも日本では未公開で日本版のソフトもない。

  どうしてこんな名作が日本未公開名作なのだろう。おそらくはネオレアリズモ的な潮流から外れていることがひとつ。マッシモ・ジロッティぐらいしかスターが出ていないこともあるし、また、なにかの賞をとったわけでもない。けれどもたぶん1番の理由は物語には少しわかりにくいところがあるからじゃないかな。ぼくなんかが見ると、これは歴史の復習に絶好の素材だと思ってしまうのだけど、何も知らないと少しわかりにくいと判断されたのかな。そうだとすれば、ものすごく残念。
  ぼくが見た修復版はDVD2枚組。イタリア版とドイツ版が入っていた。興味深いのはドイツ版との比較。まずはタイトル。イタリア語版が『困難な時代 Anni dificili 』なのに対してドイツ版は『Mitgerissen (押し流されて)』。このタイトルのニュアンスの違いはきっと、それぞれの国のファシスト体制とナチス体制の過去への批判的意識の違いから来るという解説に納得。ドイツの場合、ナチス体制のまま敗北を迎えてしまう。だから「押し流されて」しまったという感覚なのだろうか、でもイタリアはちょっと違う。
  イタリアは、ファシスト体制の崩壊後すぐに休戦協定を発表(1943年9月8日)、直後にナチスの占領下に入る。そこから始まるのがナチ=ファシストへのレジスタンス闘争。痛ましい内戦を経て、最終的にイタリアからドイツがほぼ撤退するのが1945年4月の終わりで、ミラノで市民に蜂起をよびけるラジオ放送があった4月25日が「解放記念日」となる。戦後、イタリア人がみずからの手で共和制を選ぶのが1946年6月の国民投票。こうなるとイタリアには敗北という意識よりも解放を勝ち取って、新たに共和国を打ち建てたという意識が強い。ここは重要なポイント。
  ただし、この映画の舞台はシチリアシチリアの場合は少し事情が違う。ムッソリーニが最初に失脚して逮捕されたのは1943年7月25日だけど、この時点ではすでに島の半分が連合軍によって「解放」されていた。なにしろシチリア上陸作戦「ハスキー作戦」は7月10日に始まるのだ。だからシチリアは、イタリアのなかで最も早く終戦を迎えたわけであり、のちにレジスタンス闘争と呼ばれて理想化される内戦の悲劇を、もっとも味わわずにすんだ場所。その意味ではドイツがナチスの勢いに「押し流されて」迎えることになる敗北と、どこか似たところがあるのかもしれない。
  だからこの映画の主人公アルド・ピッシテッロが、同胞に向かって投げかける「卑怯者。わたしたちはみんな卑怯者だ(Vigliacchi. Siamo tutti vigliacchi)」というセリフは、ドイツの人々にも響いたのだろう。誰かが声を上げればよかったのに、結局は誰も声を上げることがなかった。だれもが刑務所に入れられることを恐れ、つまり死ぬことを恐れていた。その結果、自分の息子たちを死なせてしまったのだ。そんな心痛の表明は、ドイツはもちろん、そのまま日本にもってきてもきっと通じたのではないだろうか。
  しかし、ザンパの『困難な時代』はそれだけの話ではない。この映画ではっきりと告発されているのは、戦後の新生共和制イタリアにおける元ファシスト支持者たちの変節の問題。つまり、かつてファシストを熱狂的に支持しておきながら、戦後にはあれは本意ではなかった、じつは反対だったのだという態度。
  イタリアには、かつて「トラスフォルミズモ」と呼ばれる言葉があった。政治的な妥協工作のもとで次々と政治家が変節したことを示すものだ。ファシズム体制から戦後の共和制となった時期には、こうした態度は「コンティヌイズモ continuismo 」と呼ばれることになる。かつてフェシズム体制での官僚たちや、その支持を表明していた政治家たちが、戦後もそのままの地位に戻ってきたり、過去をなかったものとして共和制の中核に居座るという事態。ようするに、なにか人類学的な現象としてファシズムが「継続 continuare 」してしまったように見えるというわけだ。
  ザンパ/ブランカーティのこの作品は、そんなイタリアの伝統的な「トラスフォルミズモ」、あるいは「コンティヌイズモ」をじつにわかりやすく描き出していて、これはもう教科書にしたいくらい。でも残念ながら日本語版がない。誰か作ってくれないかな、手伝うからさ。
  閑話休題。ではそれは一体どんな内容だったのか。
  まずは題名の「困難な時代 anni difficili 」。それは具体的にはドイツでヒンデンブルグ大統領が死去した1934年8月2日から、1943年7月の連合軍のシチリア上陸とムッソリーニ逮捕・失脚までのおよそ十年のこと。この間、シチリアの街モーディカで市役所の職員をしているアルド・ピッシテッロが、伯爵であり市長(ポデスタ)である上司に呼び出され、このご時世にし役者の職員がファシストの党員でないのはいかがなものかと、なかば強引にファシスト党に入党させられる。こうして嫌々ながら突撃隊の黒シャツを着てブーツを履くことになった哀れなピッシテッロの日常を、ザンパのカメラが丹念に追いかける。
  ファシスト党への入党を強制された当初、ピッシテッロは行きつけの薬剤師のところにゆき、そこに集う仲間たちに相談する。仲間というのは医者や弁護士や議員といった町の名士たちで、シチリアの小さな町のブルジョワ階級の代表。彼らは、成り上がりのファシストたちを毛嫌いしていて、党のやることなすことを批判していたのだが、ピッシテッロの入党に関しては、互いに自分の主張を繰り返すだけで、あげくのはてには「自分で決めるしかないだろうな」と言と知らんぷり。まったく頼りにならない。
  そんなピッシテッロ、家に帰れば妻も娘もムッソリーニにぞっこん。ラジオから流れてくるその勇ましい演説にうっとりしている有り様。そういえば、エットレ・スコラの『特別な1日』(1977)でもソフィア・ローレン依代となったファシスト一家の主婦は、ムッソリーニの姿をスクラップにして大事にしていたっけ。ひと目見られただけどもう、という彼女に、ファシストに左遷を命じられた元アナウンサー役のマストロヤンニが、なんだって、ひとめで妊娠させちまうのかヤツは、なんて冗談で応じていたのが思い出される。まあそのくらい、ファシズム時代の女性たちは、演説も分かりやすいし、肉体美をさらけだすし、馬に乗ってさっそうと登場するムッソリーニの多才ぶり(poliedrico)にぞっこんだったというわけ。まさに劇場形政治でありポピュリズムなんだよね。
  まじめな市役所の職員のピッシテッロは、そんなムッソリーニの率いるファシズムになじめない。その理由を知るには、映画の冒頭のナレーションを振り返るのがよいだろう。シチリアという地に暮らすピッシテッロがどんな人物か、こんなふうに紹介している。

 これがシチリアだ。その古くからの高貴な土地は、陽光に揺らめく空のもとで、かくも厳しくメランコリーに満ちた様相を呈している。

 街並みが見える。何世紀にもわたって拡張してきた街並みには、合理的な都市計画の幾何学的な冷たさこそ欠くものの、生命の熱さにあふれている。まるで火山のまわり、あるいは最初の種がまかれた丘の上で、ゆっくりと生茂ゆく植物たちのようだ。

 人々は、坂や小さな庭があちこちにあり、テラスが屋上にまで作られ、いたるところに窓やバルコニーが作られた家々の街並みに暮らしながら、何千もの悲惨や労苦の経験のなかから引き出してきたのが、あの深淵で誰にでもわかる気風(genio)であり、それは良識(buon senso)と呼ばれている。

 なかでももっとも控えめで、広場を横切ってもその名を知るものがほとんどいないため、誰からも挨拶されることがないような、そんな人々が、真実と正義を大切にする感覚を愛しんで守っているのであり、その感覚が損なわれ傷つけられるときには激しく煩悶することになる。
 そんなひとりとして、とりわけ辛い時期を生き抜いたあわれな勤め人がいる。ここでみなさまに語ろうとするのは、その男の物語だ。アルド・ピッシテッロというその男は、この家に住んでる。

 Ecco la Sicilia, questa terra nobile e antica sotto il cielo inondato di luce, ha un aspetto così severo e pieno di malinconia.
 Ecco le sue città, cresciute nel corso dei secoli, prive della fredda geometria di una metropoli razionale e calde invece di vita, come pinte che si siano aggrovigliate lentamente attorno al vulcano o al colle su cui fu gettato il primo seme.
 Il popolo che abita in queste città, piene di scalinate e cortili, fitte di terrazze, altane, finestre e balconi, trae dalla sua millenaria esperienza, dalle sue sciagure e dai suoi sforzi, quel genio profondo ed elementare che si chiama buon senso.
 I più umili, specialmente quelli che attraversando le piazze non ricevono il saluto di nessuno, perché il loro nome è quasi sconosciuto, custodiscono con amore il senso della verità e della giustizia e soffrono pene acerbe quando esso viene offeso o ferito.
Di uno di questi uomini, un povero impiegato vissuto in tempo particolarmente difficili, vi racconteremo la storia. Si chiamava Aldo Piscitello viveva in questa casa.

 この冒頭のナレーションは、みごとに主人公をシチリアという場所のゲニウス・ロキ依代として定位してみせる。なにしろそこは「何千もの悲惨や労苦の経験」を強いる場所。そのゲニウス・ロキ(地霊 genius loci )こそは「あの気風」(quel genio)なのであり、それは「深淵だが誰にでもわかる(profondo ed elementare)」もの、つまり「真実と正義を大切にする感覚」(il senso della verità e della giustizia)であり、その意味でまさに「「良識(buon senso)」なのだ。
 そんなピッシテッロが、ファシスト党への入党を進めらる市長に、じぶんは政治には関心がないと言うとき、理解すべきはそれが「真実と正義」への感覚から来たものだということなのだ。家族から、あなたはいつもそんな調子なんだからだめなのよと言われて苛立つのも、同じ理由だ。嘘をつかず正しいことを黙々とこなすという態度が「良識」であるなら、シチリアのもっとも謙虚な人々(i piu umili)にこそが、その感覚の守り手でありその体現者(genio)。そんな謙虚なひとりであるピッシテッロにとって、ファシズムポピュリズムとは、「真実と正義」からかけ離れた存在だったにちがいない。
 ザンパ/ブランカーティは、この映画のなかで、そんなピッシテッロに黒シャツを着せ、長くて黒光するブーツを履かせる。哀れな中年男のピッシテッロ、若ければまだ多少は勇ましくてカッコよく見えたのに、突撃隊の制服はどうにもさまにならない。まさに「ブーツを履いた中年男 il vecchio con gli stivali 」がファシスト隊の訓練に励み、隊列の先頭で旗を持って行進するシーンは、哀れで滑稽だが、そこにはある種の真実が隠れている。
 この主人公の「ブーツを履いた中年男」の背後には、この映画に原作を提供し脚本に協力したヴィタリアーノ・ブランカーティ(Vitaliano Brancati, 1907–1954) の人生がある。シラクーサの近郊の街パキーノに生まれたこの作家、一度はファシストに熱狂して入党するものの、やがてそこから遠ざかってゆくという経歴の持ち主。そのあたりのこと描いた短編小説が「ブーツを履いた中年男 il vecchio con gli stivali 」であり、映画の原作だ。ブランカーティはここで、かつての自らの間違いを認め、認めた上で物語を立ち上げる。その精神は、映画の冒頭にこんな字幕で示されることになる。
 

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 日本語に訳せば「自分自身の欠点 difetti を笑うことは、文明的な民が持つ最良の徳力である」ということ。ここにある「欠点 difetti 」とは、もはや個人のものではなく、シチリア人のものでもあり、またイタリア人のものでもあれば、ドイツ人のものであってもよい(もちろん日本人のものであってもよいのだが未公開なのが悔しい!)。

 考えるべきは、この字幕がスクリーンに映し出されたのが、戦争が終わってまだ3年ほどしか経っていない1948年の劇場だということであり、観客たちにはまだファシズムやナチズム(あるいは軍国主義)の記憶が生々しい時期でということ。そんな観客は、かつてファシズムやナチズムに走った自分たちの姿を目の当たりにする。そこに欠けていたことからくる滑稽さを笑いながら、しだいに滑稽さのなかにグロテスクな姿をつきつけられる。それでも映画館のくつろぎにつつまれながら、そのなかでゆっくりと自らを省み、自らを変容させて、劇場を後にする。

 そのはずなのだが、しかし、自身がかつてファシストであったことを認め、そこから物語を立ち上げることは、戦後イタリアにあっては容易なことではない。なにしろイタリアには、ドイツのニュルンベルグ裁判や、日本の東京裁判にあたるものがない。勝者たちが敗者を裁くことの良し悪しは置いておくにしても、すくなくとも戦争犯罪を裁く法廷はイタリアにはなかった。早々に休戦協定を結び、レジスタンス闘争を経て、連合軍を解放軍として迎えたのだ。

 戦後のイタリアは誰もが自由に酔っていた。共産党でさえも、ファシスト体制下の多くの官僚の存続を認めたという。多くの市長(ポデスタ)は、そのまま市長(シンダコ)として居座ってしまう。だから戦後に「自分はかつてファシストだった」と言うものは誰もいなくなる。それはまったく不思議なことなのだ。なにしろかつては「みんながファシストだった Tutti erano fascisti 」。それにもかかわらず戦後になると「みんながそうではなかった Tutti non lo erano」という。ブランカーティのように、自身がかつてファシストであったと認めることは容易ではない。ましてやそれを笑い飛ばすことなど...

  主人公のピッシテッロを演じるのはウンベルト・スパダーロ(190 –1981)。この映画の役柄もそしてその風貌も、どこか『生きる』の志村喬を思い出させる。スパダーロの生まれはアンコーナだけれど、どうやら父親も母親もシチリアカターニア出身の役者夫婦。しかも、この映画で弁護士を演じたカターニア出身のジョヴァンニ・グラッソの劇団で仕事をしていたというから、きっと縁があったのだろう。
  このジョヴァンニ・グラッソ(19888-1963)の叔父が同姓同名のサイレント映画俳優ジョヴァンニ・グラッソ(1873-1930)。あのレオナルド・シャーシャが評論集『La corda pazza (狂気のコルダ)』(1970)(1963)所収「映画のなかのシチリア」のなかで、真っ先に名前を挙げた俳優であり、彼を主演にニーノ・マルトッリョ(1870 – 1921)の監督による『Sperduti nel buio(闇に迷い込んで)』(1914)が、たとえ舞台がナポリであれ、そこにはヴェルガ的なものが感じられると書いていたのが思い出される。
 ついでに言えば、この『Sperduti nel buio 』と同じ年にあのダヌンツィオが原案を書いたという『カビリア』が発表されている。ダヌンツィオ的な壮大な歴史物語とは対照的に、マルトッリョの『Sperduti nel buio』は目の見えない飲み屋の親父と歌手を夢見る物乞いの女の出会いを描くというのだから、それはまさにヴェルガ的なリアリズム。そうしたシチリア的なリアリズムの伝統に連なるのがピッシテッロを演じたウンベルト・スパダーロだというわけだ。 
 おっとまた話がそれた。さて、市役所の無名の職員にすぎなかったそのピッシテッロは、突撃隊の黒シャツにブーツ姿で、ファシストの肉体を鍛え誇示する訓練に参加すると、志村喬ばりのまじめさで黙々と取り組むと、体はボロボロ。疲れ切って家に帰くる日々が続いたある日、息子のジョヴァンニ(マッシモ・ジロッティ)が兵役から帰ってくる。父親の黒シャツ姿に顔をしかめるジョヴァンニ。なぜ柄にもないことをしているのかという思いが透けて見えるのだが、この息子がそれを口にすることはない。イタリアの正規軍が新参者の黒シャツ突撃隊を快く思っていないことは、当時の誰もが知っていること。正規軍の兵士が父で、黒シャツ突撃隊が息子なら世代的な衝突にもなるのだろうけれど、ここでは息子のほうが昔ながら軍隊に属し、父のほうが新しく台頭したファシストという滑稽さが、狙いなのだろう。
 そんなジョヴァンニには、マリア(ミリー・ヴィターレ)という恋人がいる。叔父の薬局を手伝っている娘だが、この薬局の主人である薬剤師がピッシテッロの友人であり、この薬局に仲間の名士が集まり、マリアの出してくれる薬(というかリキュール)を飲みながら、仲間内のおしゃべり(あるいは秘密の会合)を楽しんでいたというわけ。ジョヴァンニとマリアのほうも再会を喜び合い、結婚の約束を交わす。そのころ、街ではファシストたちが幅を聴かせるようになり、ムッソリーニの演説に広場の人々が喝采を送り、気がつけばエチオピア戦争(1935-1936)が勃発、ジョヴァンニは東アフリカの戦線に招集されてしまうのだ。
 ジョヴァンニはそれから、次々と戦線に招集されることになる。エチオピア戦争から帰ってきて、ようやくマリアと婚約を発表した矢先、今度は「出兵先不明 Destinazione ignota」という召集を受ける。ファシスト政府はスペイン内戦(1936-1939)に自国の兵士を送っていたというわけだ。そんなスペインから帰ってようやくマリアと結婚すると、こんどはドイツがズデーデン地方を併合したとのニュースが飛び込んでくる。1939年にはフランスとイギリスがドイツに宣戦布告。翌年6月にはドイツに押し込まれていたフランスに対して、イタリアが宣戦布告する。
 ムッソリーニがフランスに宣戦布告したとき、仲間たちは陰で非難するだけだったのだが、この薬剤師は違っていた。「フランスはわれらの姉妹国ではないか」と叫ぶと、ラジオ放送に歓喜の声を上げる群衆のなかに進み出て「ラ・マルセイエーズ」を大声で歌い逮捕されてしまう。この薬剤師を演じたのはアルド・シルヴァーニ(1891 – 1964)。どこかで見たことがあると思って調べてみれば、フェリーニの『道』でサーカスの団長ジラッファであり、『カビリアの夜』でカビリアを催眠術にかける奇術師ではないか。なるほど、このころから実にみごとな存在感を示していたというわけだ。

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 こうしてマリアは薬局にひとり残される。その2階にはジョヴァンニと二人で暮らすための新居があつらえられていたのだが、部屋を用意してくれた叔父の薬剤師は逮捕され、ようやく夫となったジョヴァンニは、またしても招集されてしまう。第二次世界大戦の始まりだ。それでもジョヴァンニは、3ヶ月の休暇を得て故郷に帰ってくる。ようやく新婚生活が始まり、マリアのお腹に子どもが宿ったそのとき、イタリアはロシア戦線への派兵を決定。子どもが生まれるのを待つ余裕もなくジョヴァンニはロシア戦線に向かう。それあのデ・シーカの『ひまわり』(1970)でマストロヤンニが派兵された場所。
 そんなロシアからジョヴァンニがようやく帰ってくる1943年、7月10日には連合軍がシチリアに上陸した。ファシストに近かった市長は、突然にピッシテッロに取り入って来ると、あの友人たちにとりなしてくれるように頼んでくる。ファシストたちは及び腰になり、駐屯していたドイツ軍は神経質になってゆく。そんな故郷に帰ってきたジョヴァンニ、ようやく生まれたばかりの息子を抱き上げられると、疎開していたマリアのもとに向かう途中、撤退直前のドイツ兵に撃ち殺されてしまう。
 7月25日、ジョヴァンニの葬儀で悲しみに沈む家族たちが集まった部屋に、ムッソリーニが逮捕されたという知らせが飛び込んでくる。通りでは人々が「イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた」と声をあげて歌っている。そんな「マメーリの讃歌」が響き渡るなか、息子の亡骸を見つめるピッシテッロ、突然に意を決したように立ち上がると、街の名士が集まっていた市役所に向かう。そして、市長や薬局の仲間たち、そして街の名士が集まっているその広間に入ってゆくとピッシテッロ。その姿を見て湧いていた部屋は静まり返る。そこでこの謙虚の人は言う。

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卑怯者。わたしたちはみんな卑怯者だ。広場で手を叩いていた連中。家に隠れてブーイングしていた連中。わたしちはみんな卑怯者なんだ。刑務所に入れられるしかるべきだった。何人かは入れられた。ほんのわずかだけは!だがわたしたちは刑務所が怖かった。死ぬのが怖かった。それで息子たちを死なせてしまったのだ。卑怯者。わたしが自分の息子を死なせてしまったんだ。

Vigliacchi. Siamo tutti vigliacchi. Quelli che battevano le mani in piazza. Quelli che fischiavano nascosto in casa. Siamo tutti vigliacchi. Dovevamo farci buttare in carcere come hanno fatto certuni. Pochi! Ma abbiamo avuto paura del carcere. Paura di morire. Abbiamo fatto morire i nostri figli. Vigliacchi. Io ho fatto morire mio figlio.

 ピッシテッロの言葉が終わるや否や、またしても新しい知らせが入ってる。「アメリカ軍が街に入ってきた」というのだ。こうして街にはドイツ軍に代わりアメリカ軍が駐屯することになる。それでも、いつものように市役所で仕事をするピッシテッロ。仕事場のシーンは冒頭とまったく同じアングルだ。そこのまた使いがやってくる。「市長(ポデスタ)が、いや市長(シンダコ)がお呼びだ」という。アメリカ軍の支配下にはいり、ファシストたちの市長(ポデスタ)は、アメリカ軍のための市長(シンダコ)として、同じ椅子にファシスト隊長ではなくアメリカ軍の将校と並んで座っていた。
 しかしピッシテッロには、あの時代に起こったのと同じことが起こる。かつてはファシストに入党していないから首にすると言われたのだが、今度はファシストに入党していたから首にしなければならないと、同じ市長(ポデスタ/シンダコ)から、言われるのである。ピッシテッロはもはや黙っているしかない。その場に居合わせたアメリカ軍の将校が尋ねる。この男はなぜだまっているのか、と。市長が答える。
なぜって、自分はファシストじゃなかったと言いたいのでしょうね。そんな考えは持っていなかったし、突撃隊でもなかったし、戦争を憎んでいたし、連合軍が上陸してたときは幸せでいっぱいだったとでも言いたいのではないでしょうか。何を言いたいかなんてわかりませんけれどね。
Perché vorrà dire che non era fascista, che non la pensava così, che non era squadrista, che odiava la guerra, che è stato felicissimo il giorno in cui gli alleati sono sbarcati. Chissà cosa diavolo vuol dire.

 この言葉にアメリカ人将校が言う。「彼もか。いったいぜんたい《自分はファシストでしたと》と言う勇気のある者にまだ一人も会ったことがないぞ」(Anche lui. Ma non mi riesce a trovare uno che ha coraggio di dire “sono stato fascista”.)

 実に見事なシーン。黙ってふたりを見つめるピッシテッロの瞳がすべてを語っている。そして記憶に残るラストシーンがやってくる。街の広場は人で溢れている。アメリカ兵たちは、住人から国に持って帰る土産を買っていた。そのなかにファシスト突撃隊の制服を買ってきたものがいる。彼はピッシテッロのそばにやってくると、こうたずねる。

「へいパイザ、おれはこれを2千リラで買ったのだが、高いかな?」

 それはピッシテッロが来ていたのと同じような制服だ。それを手に入れるために、家族は2千リラの出費をしていた。同じ値段だ。だが、ピッシテッロは言う。

「そいつはじぶんにはずっと高くつきましたな」。

 そしてエンドマーク。なんとも見事なセリフ。みごとなエンディング。真理と正義を愛する彼が、その制服を身に付けることになったときから始まる「困難な時代」を、これほどみごとに言い表す言葉が、ほかにあるだろうか。

 

「フェリーニとは誰だったのか?」...

 

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今年はフェデリコ・フェリーニ(ほんとうならフェデリーコ・フェッリーニが正しいのかな)の生誕100年の年で、ほんとうならゴールデンウイークのイタリア映画祭でも回顧上映が予定されていたのだけれど、コロナ禍でご破算。ところが年度の後半に入って頼まれた仕事が昨日完了。Zoom で「フェリーニとは誰だったのか?」と題してお話しさせてもらった。

ところが以前作ってあったキーノートのスライドが見当たらない。Fellini part 3. しかなくて、Part 2 と Part 3 が消えていたのだ。何が起こったかと言うと、マックの「タイムマシーン」にバックアップしていたはずが、新たなバックアップを作成したとき以前のデーターはひとまとまりに消されてしまったというわけ。まあマックからすると、ちゃんと注意してあるだろ、気がつかないのはあんたのせいだぞ、ということなのだろうけれど、いやはや、このアプリ、便利なようでかなりやばい。お仕入れに入れておいた段ボール箱なのに、いっぱいになったからと、奥の方の箱が一括して捨てられてしまったというわけ。

しかたがないのでフェリー二のジェネレーショングラムをこんな感じで作り直した。手間はかかったけど、作業しながら頭の整理ができた。おすすめですよ。

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それから、全作品のポスターの画像を集め直して、まえに使った映像をチェック。Keynote のアップデート版は、YouTube のリンクをそのまま読み取ってくれるので、ものすごく便利なのだけどひとつ問題がある。開始位置の指定ができないのだ。

次のリンクを見て欲しい。これは『カビリアの夜』がアカデミー外国語映画賞を受賞したときのクリップだけど、受賞作のタイトルが読み上げられるところを「開始位置」として指定している。

youtu.be

これをやるには、指定したい時間にスライドバーを合わせてから「共有」をクリックし、ローグボックスのなかの「開始位置」にチェックを入れるだけで良い。

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ところがキーノートではこの機能が使えない。「開始位置」を指定してクリップを引用しても、映像が最初からになってしまうのだ。しかも、ビデオとちがって、引用箇所のエディティングやポスターフレームの指定ができない。うーん、アップルさんがんばって。

そんなわけでフェリーニフィルモグラフィーを振り返り、それからジェネレーショングラムを眺めてとか思ってたのだけど、ポスター見ながら全作品を振り返ってたら、あっというまに1時間ぐらい話してしまう。対面式だったら画像とイタリア語のタイトルから邦題を当ててもらえばさっと終わるのだけど、Zoom だと参加者とのやり取りがもたついて時間がかかってしまう。いきおい少し説明をはじめると、もう止まらない。計算がすっかり狂っちゃった。

ともかくも、実は彼、アルド・ファブリーツィの脚本家として映画界に入ったのだという話をして、そのころは痩せていたのだけど、ジュリエッタと結婚してぶくぶく太ってきたんだよなんて言ってると、もう時間がなくなってきちゃった。

それでもなんとかYTで見つけたジュリエッタのインタビュー映像から、「嘘つきですか」「ええ」みたいなやりとりをイタリア語でひっぱってきて、説明できたのはよかったかも。

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- È bugiardo?
- Sì.
- È timido?
- È bugiardo e timido. È la stessa cosa.
- Ha mai dei dubbi?
- È il dubbio in persona. Però mi permette, scusi. Lei mi ha detto “è bugiardo?” e ho detto “sì”. Però è bugiardo perché la bugia per lui non è bugia, è fantasia. Per lui è vedere quello che gli altri non riescono a vedere. 

フェリーニは)嘘つきですか?

 ええ。

内気?

 嘘つきで内気です。同じことですから。

疑ったことは?

 疑いが歩いているような人ですわ。けれどもすいません、いいですか。さきほど「嘘つきか?」と言われて「そうです」と答えました。でも嘘つきなのは、彼にとっての嘘は嘘ではなくて、ファンタジーだからです。彼にとってそれは、他の人がうまく見えないものを見ることなのです。

 これは『8½』の直後のインタビューだけど、マジーナはじつに的確にフェデリーコのことを見抜いている。嘘とはファンタジーなのだ。そしてもうひとつ感動的なのは、この少し前のシーンで、映画のなかでアヌーク・エーメが演じたグイードの妻はご自身のことなのではという質問に、最初は気づかなかったけど、まわりに言われて気がついたと答えるところ。しかも、その自分の分身にフェデリーコの分身であるグイードが、愛の告白をしてくれたことを喜んでいるところ。グイードは、作品のなかでサンドラ・ミーロと浮気し、カルディナーレを理想化しているのだけれど、そんなことはアーティストにとって当たり前と言わんばかり。少なくとも自分のことを気にかけてくれていること、そして結婚して何年もしてから、気持ちを打ち明けられたようで嬉しかったと言っているところ。いやあ、実に良い話ではないか。

 

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ちょうど同じ頃のフェリーニは、この「嘘/ファンタジー」を通して普通の人が見えないものを見ようとしているというマジーナの話を、こんなふうに説明している。引用しておこう。

- Qual è il sentimento, lo stato d’animo che t’ispira di più, dal quale ti senti più nutrito?

- Non lo so, forse il tentativo di riprendere, di riuscire a riascoltare un discorso che si è interrotto, che un po’ per volta è stato fatto con voce sempre più debole fino al punto che non ho saputo più udire. Ecco, questa sensazione qui, di riagganciare un filo che mi è sfuggito di mano. Anzi, mi accorgo così che sto diventando un pochino lirico ma se dovessi tentare proprio di darti una definizione esatta di quello che è lo stimolo più nutriente del mio modo di esprimermi e di vivere, mi sembra che sia proprio questo: tendere l’orecchio e il cuore a qualche cosa che è quasi dimenticato e che non vorrei avere dimenticato.
(Le favole di Fellini: diario ai microfoni della Rai. Raccolta di interviste scelte e riproposte da Paquito Del Bosco. Con CD Audio, Roma, Rai-Eri, 2000, p.51.)

 あなたはどういう感情、どういう精神状態のときにインスピレートされるのですか?着想はどんな?ことから来るのでしょうか?

 わからないですけれど、たぶん、なんとかして途切れてしまった話を捕まえ直し、もう一度聞き直してみようとすることからくるのではないでしょうか。それも、少しずつ声に出されながら、ますます小さくなってゆき、最後には聞こえなくなってしまう、そんな話です。そうなのです、そんな話を聞き取りたいという感覚なのです。つまり、この手からするりと抜けちた一本の糸を掴み直そうとするときの感覚。いや、そういってしまうと少しリリカルになってしまいますね。でも、もっとも触発的で、表現することと生きることを後押ししてくれる何かをできるだけ正確に言葉にするなら、こういうことです。ほとんど忘られていながら、できれば忘れたくなかったものに、耳と心を傾けることなのです。

 

この「ほとんど忘られたもので、できれば忘れたくはなかったものに、心澄まして耳を傾けること(tendere l’orecchio e il cuore a qualche cosa che è quasi dimenticato e che non vorrei avere dimenticato)」というのは、ほんとうにフェリーニ作品の全般に貫かれていること。それこそザンパノが、もはやこの世にないジェルソミーナのトランペットのモチーフに触発され、夜の浜辺で耳にする「虚無」。アウグストが最後の最後に聞いた村人の子どもたちの素朴な歌声。マルチェッロがトレヴィの泉でシルビアに「ほら、聞いて」と告げられて聞くことになる滝の音の沈黙などなど。そして最後には『ボイス・オブ・ムーン』のイーヴォが、月の声に向かって静かにしてくれないかと懇願して、その耳を傾けようとしたあの井戸の中からの「ますます小さくなってゆく声」。

 

それは、消えゆく声に耳を傾けようとするフェリーニのその残響。その消えゆくなにかに耳を傾けてることの喜びを伝える使者。たぶんそれがフェリーニという人だったのだろう。

 

P.S. 質疑応答のときに、フェリーニに感じるノスタルジーはどこから来るのでしょうかと聞かれた。 これはすごく興味深い質問。実は、この質問に答えられるように、『マストルナの旅 (Il viaggio di G. Mastorna)』の話を準備しておいたのだけど、それについてはまた別の機会にちゃんと書いておきたい。

ただ概略だけ記せば、「マストルナの旅」における失敗と病気による入院が、フェリーニフィルモグラフィーの大きな転機となっている。だから『悪魔の首飾り』から『サテリコン』への流れが重要になる。ここでフェリーニはおそらく、自分の知らない世界への映画的なアプローチが可能であることを学ぶのだ。そのアプローチにより『フェリーニの道化師』や『フェリーニのローマ』が撮影され、あの名作『アマルコルド』がうまれることになる。

『アマルコルド』が描くのはフェリーニのリミニではない。あくまでも知らない世界への映画的接近アプローチで描きだされた「小さな町」(borgo)なのであり、その名も Borgo という町なのである。そこにノスタルジーを感じるとすれば、その源はフェリーニの故郷リミニではなく、あくまでもファンタージーが生み出した町「ボルゴ」へのノスタルジーにほかならない。

8 1/2 (字幕版)

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Il viaggio di G. Mastorna

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Quaquaraquà って誰のことだ:シャーシャの『真昼のふくろう』をめぐって

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レオナルド・シャーシャの『真昼のふくろう』(竹山博英訳)を借りてきて読んだ。

実は、この小説を原作にした同名の映画を見て(日本未公開でテレビ放映されたときの邦題は「マフィア」)、おもわず原作の "Il giorno della civetta" にざっと目を通したのだけど、いくつかのセリフがうまく日本語にならなかったので、すこし教えを乞おうと思ったのだ。

1. Mi ci romperò la testa.

まず目についたのが最後のシーン。これはイタリア語で読んでいたのだけれど、竹山訳を読んで少し考えてしまう。最後の「Mi ci romperò la testa.」というフレーズの解釈だ。イタリア語の原文はこれ *1

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竹山訳は「きっとひどい目にあうぞ」。これはたぶん「 rompere la testa 」(頭を壊す/誰かに大きな迷惑をかける)という意味で訳されたのだろう。しかも「訳者あとがき」にあるように、1992年シチリアに再度戻って殺害されたダッラ・キエーザのことを想起しながら。

ただしこのフレーズ、よく見れば動詞は再帰の形で「rompersi la testa」となっている。再帰形の辞書的な意味には「なにごとかの解決を探って脳みそを絞ること( scervellarsi alla ricerca di una soluzione)」とある。ここではその未来形に「シチリアで」を意味する場所の代名詞 ci を伴って「 mi ci romperò la testa 」となっている。そうなると、「きっとひどい目にあうぞ」という意味のなかには、「なんらかの解決を探りながら」という意味も込められていることになる。

ベッローディ大尉は、映画ではフランコ・ネロが演じるが、故郷に帰るシーンはない。マフィアのボスの犯罪に、証拠を綿密に積み上げてようやく告訴まで持ち込んだのに、ボスに不利な証言はいつの間にか消えてしまうと、カメラの映し出すシチリアの画面から消えてしまうのだ。けれどもシャーシャの小説には、疲れ切ってシチリアを離れ、故郷のパルマに帰った大尉の姿が描かれている。人気のない魔法にかかったような雪の街を歩きながら、彼は家に着く前にはっきりと悟る。「じぶんはシチリアが大好きなのだ。いつかきっと帰るのだろう(Ma prima di arrivare a casa sapeva, lucidamente, di amare la Sicilia: e che ci sarebbe tornato.)」。そんな思いに続くのが引用符つきの « Mi ci romperò la testa » 。

シャーシャの小説は、1961年に出版された時点で、小説という形式において初めて犯罪組織としてマフィアに言及したものだったという。イタリアでは実のところ、戦後すぐの1950年代あたりまで、マフィアというのはシチリア文化人類学的な現象であって、なにかすばらしいものをみたらなんでも「マフィオーソ」と形容してるだけのことだという、ピトレー的な解釈が支配的だった。なにしろアメリカ軍のシチリア上陸を手助けしたのはマフィアだったと考えられている。そのアメリカと接近しながらイタリアの政治を担うことになったキリスト教民主党において、とりわけマフィアについての否定的ではない見解が広がっていた。

けれど、イタリアも1950年代の半ば頃より戦後の復興が加速し、近代化が進む。とうぜん建築ラッシュとなる。そこに政治家が絡む。とうぜんマフィアの力もからんでくる。実はそのころからシチリアでは、マフィアの抗争が激化し死者の数が積み上がっていた。そんな雰囲気のなかで、みずからもシチリアの小さな町で小学校の教師をしていたレオナルド・シャーシャは、いくつかの文章をものにし、認められ、ついにマフィアと建築業会の癒着の話をとりあげて、この『真昼のふくろう』を発表する。

それはまだマフィアがその不気味な姿の全貌を見せる前のことだとは言えないのだろうか。そして、イタリアも世界も戦後の荒廃から立ち直りつつあり、だからこそ日々復興に励み、未来への希望を持つことができた時代ではなかったのだろうか。そしてシャーシャもまた、マフィアという問題について、すぐには解決しなくても、もしかすれば「脳味噌を絞り、頭が壊れるほど考えれば」もしかするとなんとかなるという希望は持っていなかったのだろうか。その希望は、この最後のベッローディ大尉のセリフ「Mi ci romperò la testa. 」には、それがたとえ「きっとひどい目にあうぞ」と訳せるのだとしても、そしてそれは実に上手い訳でもあるのだけれど、かすかな絶望ではなく、乗り越えられない山に立ち向かうときの、一条の希望を読み取ることができるのではないだろうか。
 これを読んだとき、少なくとも僕にはそう思えた。けれども、もちろん竹山さんの言うように、やがてその希望はズタスタにされて、ダッラ・キエーザ、ファルコーネ、ボルセッリーノらの名前とともに思い出される多くの希望を持った人々が、それこそひどい目にあうわけなのだが、それはそれ。これは、まだそのずっと前の小説だということを忘れてはなるまい。

2. I quaquaraquà.

 ところで、ダミアーノ・ダミアーニが監督した『真昼のふくろう(TV放映されたときの邦題は「マフィア」)』のラストシーンには、小説のこのラストシーンはない。映画のラストシーンはベッローディ大尉の後任が、ドン・マリアーノたちマフィアに嘲りで迎えられるシーンで終わる。最後のボスのセリフはこうだ。「ベッローディは "男" un uomo だった。だが新任の奴は "クワクワラクワ" un quaquaraquà だ」。

この「quaquaraquà 」が出てくるところを見てみよう。竹山訳はこんな感じ。イタリア語は次のとおり*2

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竹山訳だと「人間、半人間、みそっかす、あほう、人間の屑だ」となる。イタリア語だと「gli uomini, i mezz'uomini, gli ominicchi, i pigliainculo e i quaquaraquà 」ということ。

この5つの類型を順番に見てみよう。

まずは「 gli uomini 」。これを「人間」とやると問題が残る。そこに女が入るような概念とは違うのだ。なぜならマフィアが生きているのはあくまでも「男の世界」であり、「gli uomini」はあくまでも「男、あの「オメルタ omertà 」すなわち「男ならではの徳力 virtù proprio dell'uomo 」を持つような存在のことであるはずなのだ。そして、このオメルタを本当の意味で持っている「男」には、稀にしかお目にかかれないというのが、ここでのドン・マリアーノのセリフの第一のポイント。

これがわからないと、2番目の「mezz'uomo」が「半人前の男」であり、3番目の「omicchi([omo-:男]+ [-icchio:小さな])」が「ちんけな男」だということが生きてこない。すくなくとも5つの類型のうち、うえから3つにはすべて「男」が入っているのが重要。なにせマフィアは男の世界に生きているのだから。

ドン・マリアーノは言う。この3つで終わっていればよかったのだけど、さらに下へ下へとまだ2つも類型があり、しかも数がどんどん増えてゆくという。それが「pigliainculo」と「quaquaraquà」である。

まずは第4番目の「pigliainculo」。

実はこれ「piglia-in-culo 」という構造。「~ in culo(シリのなかへ)」 という表現には、強烈にホモフォビアの匂いがすることを確認しておかなければならない。マフィアという男(ホモソーシャル)の世界においてもっとも嫌われるのがホモセクシャルであり、じつのところイタリア語が伝統的にホモフォビアの言説にあふれていることも確認しておかなければなるまい。つまりこの「pigliainculo」は、マフィアの代名詞のようなあの「オメルタ」(男ならではの徳力)の対極にあるような言葉なのだ。

ただしである。ここで言う「pigliainculo」は同性愛者のことを言っているのではない。意味としては「おべっかもの」「追従人」ぐらい。実際、ダミアーニが映画化した作品にこの表現は聞かれることはなく、それに代わって「ruffiano (「美人局」「おべっかもの」の意)」が使われる。こちらのほうが一般的で、危うさが少ないからなのだろう。そのくらい「pigliainculo」は強烈なのだ。

ドン・マリアーノによれば、こういう気持ちの悪い「おべっかもの」のイエスマンたちが、じつに「ほんものの軍隊」ができるほどの大人数になってきているという。おべっかを使う相手はもちろん「男たち」たるマフィア。この「pigliainculo」あるいは「ruffiano」らは、「男」のカテゴリーからは外れながら、そのすぐ下にあって、「男たち」にこびへつらい、そのいいなりになっているというわけだ。それが竹山訳では「あほう」ということになるのだが...

さて、それにもまして大人数なのが「quaquaraquà」である。竹山訳は「人間の屑」だが、イタリア語で音読すればそのままカモの鳴き声になる。意味としては「(カモのように)ガーガーガーガーなく奴ら」のことだろう。ということは「人間の屑」というよりも、もはや人間でさえないカモであり、マフィアもふくめてシチリアの男たちが大好きな猟の対象にほかならない。人間としては生きる価値がない。価値があるとしたらせいぜいガチョウと同じ。狩の対象であり、殺して食われる存在。それが「ガーガー鳴いている奴らquaquaraquà」なのではないだろうか。

いやはや、実にマフィア的な5分類なのだけれど、この分類法を読み直していると、ぼくにはどうしても今、世界中で起こっていることが、じつにマフィア的なことなのではないかという気がしてきてならない。


3. おまけ

 ちょうどこの5類型を言うところがシャーシャの同名小説の舞台にあったので、映画での同じ部分と合わせてはりつけておきますね。

まずは舞台。セリフはほぼ原作どおり。

youtu.be

«Io» proseguì poi don Mariano «ho una certa pratica del mondo; e quella che diciamo l'umanità, e ci riempiamo la bocca a dire umanità, bella parole piena di vento, la divido in cinque categorie: gli uomini, i mezz'uomini, gli ominicchi, i (con rispetto parlando) pigliainculo e i quaquaraquà... Pochissimi gli uomini; mezz'uomini pochi, che mi contenterei l'umanità si fermasse ai mezz'uomini... E invece no, scende ancora più giù, agli ominicchi: che sono come i bambini che si credono grandi, scimmie che fanno le stesse mosse dei grandi... E ancora più in giù: i ruffiani, i pigliainculo, che vanno diventando un esercito... E infine i quaquaraquà: che dovrebbero vivere con le anatre nelle pozzanghere che la loro vita non ha più senso e più espressione di quella delle anatre... Lei, anche se mi inchioderà su queste carte come un Cristo in croce, lei è un uomo...» 

 

映画はこれ。

www.youtube.com

«Io divido l’umanità in cinque categorie: ci sono gli uomini veri, i mezzi uomini, gli ominicchi, poi mi scusi i ruffiani e in ultimo, come se non ci fossero, i quacquaracquà. Sono pochissimi gli uomini, i mezzi uomini pochi, già molti di più gli ominicchi. Sono come bambini, che si credono grandi. Quanto ai ruffiani, stanno diventando un vero esercito. E infine, i quacquaracquà: il branco di oche.»

 

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*1:Leonardo Sciascia, Il girono della civetta, (Milano, Adelfi, 1993), p.59 : Parma era incantata di neve, silenziosa, deserta. 'In Sicilia le nevicate sono rare' pensò: e che forse il carattere delle civiltà era dato dalla neve o dal sole, secondo che neve o sole preva- lessero. Si sentiva un po' confuso. Ma prima di arrivare a casa sapeva, lucidamente, di amare la Sicilia: e che ci sarebbe tornato.
«Mi ci romperò la testa» disse a voce alta.

*2:Op.cit., pp.49-50. : «Io» proseguì poi don Mariano «ho una certa pratica del mondo; e quella che diciamo l'umanità, e ci riempiamo la bocca a dire umanità, bella parole piena di vento, la divido in cinque categorie: gli uomini, i mezz'uomini, gli ominicchi, i (con rispetto parlando) pigliainculo e i quaquaraquà... Pochissimi gli uomini; mezz'uomini pochi, che mi contenterei l'umanità si fermasse ai mezz'uomini... E invece no, scende ancora più giù, agli ominicchi: che sono come i bambini che si credono grandi, scimmie che fanno le stesse mosse dei grandi... E ancora più in giù: i pigliainculo, che vanno diventando un esercito... E infine i quaquaraquà: che dovrebbero vivere con le anatre nelle pozzanghere che la loro vita non ha più senso e più espressione di quella delle anatre... Lei, anche se mi inchioderà su queste carte come un Cristo, lei è un uomo...».