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マリオ・ボンナルド『Il feroce Saladino(残忍なサラディン)』(1937)短評

YouTube。24-80。順番が少し前後。修復版が全編がアップされているのだけど、最後の2分間はフィルムの喪失により音声のみ。
 タイトルの「il feroce Saldino」は「残酷なサラディンペルシャの王)」の意味だが、実は1937年当時に流行したペルージャ社製のキャンディの包み紙にはいっていたカードのこと。そこには当時ラジオ放送があった「四銃士」のキャラクターなどが描かれていたのだけど、「残酷なサラディン」は希少なカードで、誰もが血眼になって探し求めるという現象がおきていたという。野球カードとか、仮面ライダーカードの先駆けみたいなものなのだろう。

    

 この映画は土曜日の「ヴィスコンティと男たち(1)」のために見たのだけれど、おめあてはエリオ・マルクッツォ(1917-1945)。ところがどこにいるのかわからない。アルベルト・ソルディと一緒にデビューしたというのだけれど、ソルディのほうはライオンの着ぐるみをかぶっていると書かれていたのですぐにわかった。

  しかし、エリオはわからない。誰かが調べてくれているかと思ったのだけど、残念ながらみつからない。ソルディは戦後も活躍し、イタリアを代表する喜劇俳優となってゆくから、おそらく誰かが見つけてくれたのだ。しかし、エリオ・マルクッツォという人は1945年に亡くなり、そして忘れられていた。だから彼の姿を探そうとしたものがいなかったわけだ。

 実はエリオ・マルクッツォは、レジスタンス闘争のさなかにパルチザンによって殺されている。ドイツ語と英語ができたことからスパイと思われたらしいが、それだけではない。彼はよく知られたホモセクシャルでもあったらしい。イタリアはホモフォビアの国だ。ファシズムだけではない。パルチザンにも強い嫌悪感があったのだろう。休戦協定の後で故郷に帰って静かに戦争が終わるのを待っていたマルクッツォだが、そんな理由でスパイと疑われ、ファルコと名乗るリーダーに率いられれるパルチザンの一団(ガリバルディ旅団)から、弟と一緒に尋問に連れ出されると、殺されて埋められたというのだ。

  そんな事実が触れたのが1990年出版のアントニオ・セレーナの『I giorni di Caino. Il dramma dei vinti nei crimini ignorati dalla storia ufficiale. (カインの日々、公式の歴史からは無視された犯罪における敗者たちのドラマ)』(これは未見)、それからさらにジャンパオロ・パンサが掘り起こした『I gendarmi della memoria Chi imprigiona la verità della guerra civile (記憶の憲兵たち、内戦の真実を牢に入れる者)』(2007)には「ヴィスコンティからファルコへ」と題した一章がエリオ・マルクッツォの逸話にあてられている。

 パルチザンに処刑された俳優としては、ルイザ・フェリーダとオズワルド・ヴァレンティが有名だが、これはマルコ・トゥリオ・ジョルダーナが『狂った血の女(Sanguepazzo)』(2008)として映画化している。同じ年には続いてミケーレ・ソアーヴィによる『Il sangue dei vinti(敗者の血)』が公開されている。忘れられていたエリオ・マルクッツォの逸話も、そんななかで浮かび上がる。

 なんといっても、この『残忍なサラディン』という映画は彼のデビュー作なのだ。出演したという記録はあるが、クレジットには名前はなく、映画のなかのその姿はいまだに、少なくともぼくにとって、まだ隠れたままなのだ。

 そうそう、この映画にはまだ映画実験センターで研修中だったアリダ・ヴァッリも出演している。55:24ぐらいから、ジンジャーとフレッドばりの踊りを披露してくれる。

 

 監督はマリオ・ボンナルド(Mario Bonnard 1889-1965)。ぼくがその名を知ったのは、アルド・ファブリッツィとアンナ・マニャーニを主演にした2本の喜劇『Avanti c'è posto! 』(1942)『Campo de fiori』(1942)。手堅い演出で楽しめる作品だけれど、これが人気となりロッセリーニの『無防備年ローマ』へとつながってゆく。

 ボンナルド監督のじつに手慣れた喜劇。時世を盛り込んだ軽やかな娯楽作品なのだけど、キャンデーのおまけのキャラクターで大騒ぎする人々の姿と、そのキャラクターで一発当てようとする劇場の経営者、そしてキャラメル売りにまで落ちぶれたかつての人気喜劇役者(アンジェロ・ムスコ)が、このキャラクターを演じて一発逆転というお話。けれども1938年にはヒトラーがローマを訪問、ユダヤ人を差別する人種主義科学者宣言が出てユダヤ人は公職を追放され、握手と外来語が禁止となり、ファシストのイタリアは戦争への道を突き進んでゆく。

 

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