雲の中の散歩のように

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Totò 『女性』あるいは美しすぎる存在に捧げる詩

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Antonio De Curtis, in arte Totò (1898-1967)
 
昨日11月25日は、「女性に対する暴力撤廃の国際デー」だった。例によってFBにはいくつかの投稿があったのだけど、なかでもぼくの目を引いたのはイタリアを代表する喜劇役者トト(アントニオ・デ・クルティス)による詩「女性 La donna 」だ。
 
この「女性」という詩、ナポリ方言でおもしろおかしく書かれているのだけど、女性への敬意とともに、なんだか男という存在の弱さをチクリと刺すような皮肉が効いているところが実によい。こういうエスプリというのは、今、ほんとうに大切だと思うのだ。
 
ところで、方言というは実に訳をつけにくいのだけど、ともかく少しでもその面白さを伝えられたらということで、さっと訳してみることにした。
 
では、どうぞ。
 
女性
 
彼女を創造したのは 偉大な男さ
誰だか知ったところで どうなるものでもない
父なる神が創りたもうた? いつ? どうやって?
あのな 女性ってのは あまりにも美しい
とてもじゃないが あばら骨からなんかで創れやしない
たのむからさ バカなことは言わないでおくれ
いいかい よく聞きな どうなふうに創られたか教えてやろう
ファンタジアが働いたのさ
それはみごとな閃きがあったんだよ
それから これだけは譲れないところなんだがね
創ったやつは きっとその姿に のぼせ上がったにちがいない
 
 ナポリ語の原文はこれ。
"La donna" 
 
Chi l’ha criata è stato nu grand’ommo,
nun ’o vvoglio sapè, chi è stato è stato;
è stato ’o Pateterno? E quanno, e comme?
Ch’avite ditto? ’O fatto d’ ’a custata?
Ma ’a femmena è na cosa troppo bella,
nun ’a puteva fà cu ’a custatella!
Per carità, non dite fesserie!
Mo v’ ’o ddich’io comm’è stata criata:
è stato nu lavoro ’e fantasia,
è stata na magnifica truvata,
e su questo non faccio discussione;
chi l’ha criata è gghiuto int’ ’o pallone!
 
Ruggero Guarini [a cura di], TUTTOTOTÒ (Roma, Gremese editore, 1999), p.89   

 

ネットでいろいろ参考にさせてもらったけど
例えばこのサイトなど:

Pensieri Meridionali: Totò "La Donna" ("The Woman")

 
Tutto Totò

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