むっとするような暑さ。それでも、なんとか大学の授業はあとは採点を残すだけとなり、来週3日ほど集中講座をやって、暑気払いを2回ほど楽しめば、ようやく夏が来るというところ。
この暑さとともに、世の中のきな臭さも少し落ち着いてきているようでもあるけれど、なにもしないでいると、クーラーをガンガン効かせた部屋で妙な相談ごと進めている奴らの思い通りになっちゃうんじゃないかという心配しながらFBを眺めていると、ナポリ民謡の名手 Peppe Barra の Tammurriata nera の歌声が投稿されたではないか。
PEPPE BARRA - Tammurriata Nera - YouTube
ぼくがこの曲を知ったのは、あのデ・シーカの『自転車泥棒』なんだけど、去年、この映画とこの曲について書いたコラムがあったことを思い出したので、ここに再掲しておくことにする。
イタリア映画の備忘録(6) 押場靖志
いつの時代にも人生で意味のある日は3日しかない。何年生きてきたにせよ、何年生きてゆくにせよ、ぼくたちは「昨日」と「明日」そして「今日」に意味を見出して生きている。「昨日」は、ぼくたちにつきまとう忘れられないなにものかだ。すぐ近くにありながら、もはや手に触れることはかなわない。「明日」は、ぼくたちの目の前で微笑みながら誘うもの。手を伸ばして掴んだと思った瞬間には、すでにベールの向こうに逃げ去っている。そんな「昨日」と「明日」のあわいに広がるのが「今日」であり、それだけがぼくたちの手元にあるのというわけだ。
そんな3日を見事に描き出したのが、ヴィットーリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』(1948年)であろう。舞台は終戦後のローマ。ナチス・ドイツの占領の日々はすでに「昨日」になりつつあり、少しずつ平和な生活を取り戻しながら来るべき「明日」が夢見られていたころ、ついにアントーニオ・リッチ(ランベルト・マッジョラーニ)にも「今日」が訪れる。取り残されたかのように職業安定所に通いつめること2年、ついにポスター張りの仕事がまわってきたのだ。しかし仕事に就くには自転車が必要だという。途方に暮れるアントーニオ。自転車がないわけではない。ただ生活ために質に入れていたのだ。しかし、妻のマリーア(リアネッラ・カレッル)がとっておきの花嫁道具のシーツを質に入れてくれたおかげで、なんとか自転車を取り戻すことができた。
翌朝、2日めの「今日」が始まる。息子のブルーノ(エンツォ・スタイオーラ)が自転車を磨き上げている。制服に着替えたアントーニオは、妻が用意してくれたフリッタータ(イタリア風オムレツ)入りパニーノを受けり、ピカピカのペダルをこいで仕事に出かけてゆく。それは、夢見てきた「明日」についに手が届いたかに見えた瞬間だ。ところが、あの映画ポスターがその「明日」を突き放す。リタ・ヘイワース主演のフィルム・ノワール『ギルダ』(1946年)だ。妖艶なファム・ファタールの描かれたポスターに手間取っているすきに、大切な自転車を盗まれてしまうのだ。すぐ追いかけるも、相手は手慣れた窃盗団、簡単に逃げられてしまう。警察もささいな窃盗事件に動いてくれそうにない。けっきょくその土曜日の夜、バスに乗って帰路につくアントニオ。その姿を見上げる小さなブルーノの不安な眼差し。事態をさとったマリーアに浮かぶ涙…。
こうして物語は、家族の「明日」のために、盗まれた自転車を探してローマを彷徨う父と息子の3日目の「今日」を追うことになる。カメラが映し出すのは、ヴィットーリオ広場とポルタ・ポルテーゼの「泥棒市」。日曜日の人出。バラバラにされた部品の数々。盗まれた自転車は見つからない。突然の雨。濡れネズミとなる親子。ふたたび日が射して来たとき、自転車を乗り逃げした若者を目にする父。走り出した父を息子が追う。大通りのかなた走り去る盗人。だが、まだ望みはある。消えた盗人はたしか、さっきまでひとりの老人と話し込んでいたではないか。その老人をブルーノが見つける。アントーニオが問いつめる。知らぬ存ぜぬを決め込む老人。それでも親子はあきらめられない。手がかりを求めて老人のあとをつければ、そこは戦後の貧困にあえぐホームレスの集まるミサ。身なりのよい紳士や淑女が慈善のために走り回る場末の教会で、この老人はおそらく、説教の後にふるまわれるパスタ・エ・チェーチ(レンズ豆のパスタ)を目当てにしていたのだろう。しかし、しつこく食い下がるアントーニオに、食事をあきらめた老人は、人ごみにまぎれて姿を消してしまうのだ。
つかみかけた唯一の手がかりを失ったアントーニオとブルーノ。テヴェレ川のほとりに立ち尽くすふたりの傍らを、モデナのティフォーソたちが通り過ぎてゆく。サッカーの試合がある日曜日、若い恋人たちの散歩道で、息子はすっかり憔悴している。父が声をかける。「モデナは強いチームか?È una buona squadra Modena? 」。生粋のローマ人がそうであるように、小さなブルーノもまたローマのティフォーソなのだろう。しかし、いつものように対戦相手の名前に反発することもなく、力なく首を横にふるだけだ。父は続ける。「腹は空いてるか? C’hai fame?」。小さなひとみがわずかに輝き、その首が縦にふられる。わずかなためらいの後、父のポケットから財布が取り出された。中味を確認する手、注がれる小さな眼差し、そして「ピザでも食べるか?Te la magneresti una pizza? 」という声に、消えていた笑顔がよみがえる。
しかし、この父が息子を連れて入ったのはピッツェリーアではない。明るい照明、パンフォーカスの画面にくっきり映し出されたその店には、シックな身なりの客たちが集い、そのあいだを真っ白なウェイターが行き交っている。アントーニオがそのドアを開けたとたん、鳴り響くのは当時の流行歌『黒いタンムッリャータ Tammurriata nera』(1944年)だ。そこに聞こえて来る言葉に耳を傾けてみよう。
Je nun capisco 'e vote che succere
e chello ca se vede nun se crere nun se crere
おいらはときに なにがなんだかわからなくなる
この目で見てるものが そりゃもう信じられないってわけ
歌詞はナポリ方言。じっさい「タッムッリャータ」とはナポリの伝統的な舞曲であり、伝統的な「太鼓 tammorra 」にあわせた軽快なリズムがその特徴だ。ローマの高級トラットリーアにそんなナポリの曲が鳴り響く演出は、勝手のちがう店に入ってしまったアントーニオの当惑を際立たせるだけではない。いにしえの「昨日」から立ち上がって来たようなその調べは、夢のような「明日」がとつぜん目前に姿を見せたかのような幻惑と重なりながら、アントーニオとブルーノ親子を店のなかへ導くかのようではないか。親子がテーブルにつくと、歌詞の続きが聞こえてくる。
E’ nato nu criaturo, niro niro
e 'a mamma ‘o chiama Ggiro, sissignore, ‘o chiama Ggiro
ひとりの子どもが生まれたんだがね、その肌の黒いこと黒いこと
なのに母親はチーロと呼ぶんですぜ、旦那、チーロと呼ぶんです
歌詞が書かれたのは1944年。生まれた「子ども un craturo 」の肌が「黒い niro 」というのは、あきらかにイタリアの「昨日」の記憶をひきずっている。アメリカ軍によっていち早くナチス支配から解放されたナポリでは、しばしば「黒い肌」の子どもが生まれていたのである。それは解放軍の黒人兵とのあいだにできた私生児。この歌詞は、そんな子どもを産んだ母親が自分の子を「チーロ」と呼んでいると歌う。そしてそこには、いかにナポリ風の名前をつけようとも、ほかの子どもとは明らかに肌の色が違うことへの当惑が込められている。そんな「昨日」のナポリの人々が感じた違和感こそは、着飾った人々たちのなかに迷い込んだアントーニオとブルーノの姿に感じられるものなのだ。
Seh, gira e vota, seh, seh, gira e vota, seh,
ca tu ‘o chiamme Ciccio o ‘Ntuono,
ca tu ‘o chiamme Peppe o Ggiro,
chillo ‘o fatto è niro niro, niro niro comm’a cche…
そうよ、表から見てみても、そうよ、裏から見てみても
フランチェスコやアントニオと呼ぼうが
ジュゼッペやチーロと呼ぼうが
実際にその子の肌は黒いのさ、なんとも黒い肌なのさ
明るい調べに乗せて歌われるのは、ほんの数年前に実際に起った哀しくもいかんともしがたいイタリアの現実だ。そのイタリアは戦後、荒廃のなかから抜け出し、まだ遠い復興への道を歩み始めていた。同じようにアントーニオ一家も、ようやく職を見つけ「明日」への一歩を踏み出したばかりだったのだ。しかし、生まれた子どの肌の色を変えることができないように、盗まれた自転車がアントーニオのもとに帰って来ることもない。それでもこの父と子は、やがて運ばれて来るワインを一緒に飲み(「おまえに飲ませてるのを知ったら母さんがどんな顔するか!Se ti vedesse tua madre che ti faccio bere!」)、この店でおそらくは一番安い料理モッツァレラ・イン・カロッツァ(モッツァレラチーズをパンにはさんで揚げたもの)を口にするとき、自分たちの「今日」が「昨日」と「明日」に引き裂かれていることを、しばし忘れて酔いしれようとするのだ。
しかし、「昨日」を忘れることも「明日」への思いを断ち切ることも、どちらも容易なことではない。アントーニオにとってもまた、自転車を盗まれたのは、まだほんの「昨日」であり、まだ取り戻せるかもしれない自転車は、すぐにも手の届きそうな「明日」なのだ。しばしの心地よい酩酊から覚めて、引き裂かれた「今日」に生きている自分に気づいたのだろう。今できることを諦めるわけにはゆかないのだ。そんな決意とともに、小さなブルーノの手を引いて、まるで異界のようなトラットリーアをあとにするアントーニオ。その姿を追うカメラは、「昨日」を引きずりながら、「明日」を求めてローマの街へ出ていったふたりの、哀しいエンドロールを越えて続いてゆく「今日」の景色を、そのフィルムに見事に焼き付けるのであった。*1
この記事に書いた『自転車泥棒』 のシーンはこれ。
また Tammurriata nera の歌詞付きの映像(ただし映像はロッセリーニの『戦火のかなた』より)と、その下に拙訳を載せておく。
Je nun capisco 'e vote che succere
e chello ca se vede nun se crere nun se crere
E’ nato nu criaturo, niro niro
e 'a mamma ‘o chiama Ggiro, sissignore, ‘o chiama Ggiro
おれには何が起っているのかわからない
目に見えることが信じられない
生まれた赤ん坊が黒い肌をしてたんだが
母親はチーロと名付けたんだ、
そうなんだチーロって名前なんだ
Seh, vota e gira, seh,
seh, gira e vota, seh,
ca tu ‘o chiamme Ciccio o ‘Ntuono,
ca tu ‘o chiamme Peppe o Ggiro,
chillo ‘o fatto è niro niro, niro niro comm’a cche…
表にしても
裏にしても
チッチョでもアントニオでもかまわない
ペッペでもチーロでもかまわない
どうやったたって生まれた子は黒い肌、いったいどういうわけなのか。
S’’O contano 'e cummare chist’ affare
sti case nun so rare se ne vedono a migliare.
‘E vote basta sulo ‘na ‘uardata,
e 'a femmena è remmasta sott’'a bbotta ‘mpressiunata.
近所の女たちの話はこうだ。
こういうことはよくあること、何千回も目にしている
ときには我が子を一目見て、
母親はその姿に呆然としてしまう
Seh, ‘na ‘uardata, seh,
seh, ‘na ‘mpressione, seh
va truvanne mò chi è stato
c’ha cugliuto bbuono ‘o tiro
chillo ‘o fatto è niro niro, niro niro comm’a cche…
そう、一目見ただけで
そう、呆然としてしまう
いまさらいったいどこのどいつが
みごとな一発を決めたのかなんて言うのは無駄さ
だって生まれた子は、どういうわけかだかほんとに黒い肌なんだから。
E ddice ‘o parulano; Embè parlammo,
Pecché si arraggiunammo
chistu fatto ce ‘o spiegammo
Addò pastin’ ‘o grano, ‘o grano cresce
riesce o nun riesce, semp’è grano chello ch’esce
農夫が言う。「まあ話し合おうや
よく考えてみれば
訳のわからないことではない。
麦をまけば麦は育つもの
うまくゆこうがゆくまいが
育ち出るのはやっぱり麦なのさ」
Se vota e gira se
se gira e vota se
ca tu ‘o chiamme ciccio o ‘ntuono
ca tu ‘o chiamme peppe o ggiro
chillo o fatto è niro niro, niro niro comm’a chè
表にしても
裏にしても
チッチョでもアントニオでもかまわない
ペッペでもチーロでもかまわない
どうやったて生まれた子は黒い肌、いったいどういうわけなのか。
Meh, dillo a mamma, meh
Meh, dillo pure a me
conta ‘o fatto comm’è ghiuto
Ciccio, ‘Ntuono, Peppe, GGiro
chillo ‘o fatto è niro niro, niro niro comm’a cche…
ママにそう言いな
おれにもそう言いな
チッチョでもアントニオでも
ペッペでもチーロでも呼ぶがよい
でも子どもの肌は黒い、どういうわけか黒いのさ
*1:MusicaVita Italia 6月号掲載