雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

J.ウィリアムズ『佐渡テンペスト』

 

映画『SADO テンペスト』予告編

 

 なるほど、佐渡テンペストは希望に向かう映画だったのだ。

 

 リーマンショック以降の経済停滞で、もはや映画を撮ることができなくなったのではないかと鬱々としていたウィリアムズは、佐渡の自然に心を打たれ、その場所で映画を撮ることを決意する。映画を撮ることは、再び希望へ向かうことだった。

 

 映画が撮影に入って5日目には、あの3.11の地震津波が太平洋岸を襲う。福島の原発が水素爆発を起こそうとするとき、大室/プロスペロー役の本田博太郎が東京から電話をかけてくるのだが、そのときのことを監督のウィリアムズはこんなふうに思い出す。

 

わたしたちは、映画に出られなくなることの謝罪の電話だと思いました。しかし彼は言うのです。この映画を撮り上げることは、今までにもまして重要になったと思う。なぜならこの作品は、希望と再生というメッセージで終わるのだから。そう言ってくれた彼や、ほかの俳優やスタッフたちが撮影を続けてくれたおかげで、わたしたちはこの映画を撮り終えることができたのです。

(参考:http://www.japantoday.com/category/arts-culture/view/welsh-filmmaker-john-williams-deals-with-theme-of-exile-in-sado-tempest

 

 たしかにシェークスピアの『テンペスト』が、現在の複雑な社会にもなお有効なメッセージを持つとすれば、「復讐を越えて、向き合い、許す」ということなのだろう。しかし、この映画にはそれにもまして、ぼくたちに死者たちの想いを汲み取ることを求めてくる。そのうえで希望を失わず、失われた春を呼び戻さなければならないと訴えるのだ。

 

 その鍵となるのが「鬼の詩(ウタ)」だ。その同じウタが、プロスペロー/大室の復讐心と、その娘ミランダ(江口のりこ)の思わぬ力によって嵐を呼び、その結果、島からは「ウタ」が失われてしまう。そんな「嵐=テンペスト」の後、バラバラになった「ウタ」を紡ぎ直すことを託されるのが、反逆のロックバンドのヴォーカル、ジュントク(ジルバの逸見泰典が演じるジュントクは、もちろん佐渡に配流となった順徳天皇 1197-1242 に因む名前だ)である。

 

 ジュントクが紡ぎ直す「鬼の詩」は、じつのところ世阿弥謡曲『山姥』からとられたものだ(世阿弥 1363?-1443?  も晩年佐渡に流刑になっていることに注意しておこう)。謡曲とは能における脚本だが、その一節にロックの曲をつけるように言われたジルバの逸見は、「そんなことできるわけない」と思ったそうだ。しかし、彼はその「できっこないこと」に挑戦し、みごとな楽曲を披露してくれた。そして、このウタが立ち上がるまでの物語がそのまま、この映画が立ち上げようとする希望への物語に重なってゆく。

 

 その曲(ジルバの「山姥」)は以下に貼付けた YouTube の映像で確認してもらうことにして、ここで考えておきたいのは、『山姥』の一節が謡われることでこの作品のなかに呼び込まれる過去からの残響だ。

 

 世阿弥の『山姥』という話には、かつて都で山姥の山廻りの曲舞をつくってうまく演じたことで有名になった遊女がいた。この遊女の善光寺参詣への旅の途中で日が暮れてしまう。困り果てている遊女のもとに、ひとりの老女が現れて一夜の宿を貸そうと申し出るのだが、じつは彼女こそが山姥であり、遊女に自分を題材にした曲舞を謡ってほしいと告げる。そこで遊女が、言われた通り夜半に月が出たころ舞曲を奏でていると、山姥がその異形の姿で現れる。

 

 ジルバの「山姥」は、まさにこの異形の山姥が現れるときの地唄の部分から始まる。その歌詞の前半を見てみよう。

 

鬼一口(おにひとくち)の雨の夜に

神鳴り(かみなり)騒ぎ恐ろしき

その夜を思い 白玉か

なにぞと問ひし人までも

我が身の上になりぬべき

浮き世語りも恥ずかしや

 

 「鬼一口(おにひとくち)」とは、鬼が一口にして女を食べてしまったという逸話のことで、これは平安時代に作られた歌物語『伊勢物語』なかの「芥川」にある言葉。大筋はこうだ。逸話の主人公の男は、身分の違う女性をようやく射止め、ふたりで駆け落ちする道中、芥川という川のそばに来ると、雨が強く「雷=神鳴り」が激しくなったので、やむなく近くで見つけた荒れた蔵に女をかくまい、自分は外で寝ずの晩をすることにする。ところが、その蔵のなかには鬼がいて、愛する女は一口に食べられてしまう。

 

 この地唄は、山姥を待ちながら舞曲を奏でる遊女の心情を謡うものだが、このとき遊女は、「芥川」の話に出てくるような「雨の夜に」、やはり話にあるような「神鳴り」が騒ぐ恐ろしい状態のなか、『伊勢物語』の「鬼一口」の夜のことを思い出しているというわけだ。

 

 さらに「白玉かなにぞと問ひし人」とは、鬼に一口に食べられてしまったその女のことで、「芥川」の最後で、残された男が詠んだ和歌からとられた言葉。その和歌がこれ。

 

【白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答えて消えなましものを】

〔道すがら草の露を見て「真珠かなにかですか」と私にたずねた女は、いまや鬼に食べられていない。あのときに「それは露ですよ」と答えて、そのまま自分も「露」のように消えてしまっていたかった〕

 

 そんなふうに「芥川」の男は歌っていることを知れば、『山姥』の遊女の心情を歌う地唄の意味は、こんなふうに解釈できるだろう。

 

【白玉かなにぞと問ひし人までも我が身の上になりぬべき】

〔「白玉かなんぞ」と問うた女の身の上に起こったことが、(遊女)自身の身の上にも起こり、これからやってくる山姥に食べられてしまうにちがいない〕

 

【浮き世語りも恥ずかしや】

〔もし山姥の舞で有名になった私が、その山姥に食べられてしまうなんてことが世間(浮き世)に語られることになったなら恥ずかしいことだ〕

 

 さらにジルバの「山姥」の後半を見てみよう。これは異形の姿で現れた山姥が謡う部分だ。

 

春の夜のひと刻を 

千金に替えじとは

花に清香 月に影 

これは願ひの

たまさかに行き逢ふ人の

一曲のその程も

あたら夜に

はやはや謡ひ賜ふべし

 

 山姥の歌の前半部分は、北宋の詩人蘇軾(そしょく) 1036-1101 の『春夜』の引用。もともとの漢詩はこうだ。

 

春宵一刻直千金(春の夜はわずかな一時も千金に値する)

花有清香月有陰(花は清らかに香り、月はおぼろに霞んでいる)

 

 山姥のウタの「 春の夜のひと刻を千金に替えじとは」の部分は、「春の夜は千金に値する」とよんだ蘇軾の詩を、「千金にも替えられない」と否定形にすることで、春の夜の価値をさらに強調したもの。続く「花に清香 月に影」の部分は、蘇軾の「花有清香月有陰」をそのままふまえて謡われている。そして山姥はさらにこう続ける。

 

「今夜は願いがかない(これは願ひのたまさかに)」

「たまたま巡り会えた人に願った一曲だから(たまさかに行き逢ふ人の一曲の)」

「この夜のわずかな時も惜しい(その程もあたら夜に)」

 

 

 つまり山姥はこの時まで、自分の歌を歌ってくれる遊女を待ちわびていたのだ。だから、最後にこう促すことになる。

 

「さあ早くお謡いなさい(はやはや謡ひ賜ふべし)」

 

 遊女が謡いはじめると、山姥は本当の山廻りを舞いはじめる。それは遊女のフィクションではなく、真実の山廻りだ。それは花を尋ね、月を見て、雪を誘いながらの山また山を廻る舞。その舞いに、停止した時間がふたたび永遠の舞を始めるとき、山姥はその舞のかなたに異形の姿を消し去ってしまう。

 

 これがジルバの謡う「山姥」の歌詞の大ざっぱな意味だ。だとすればどうであろう。山姥とは彷徨う魂なのだ。消えるべき魂が消えることかなわず彷徨うとき、それは異形の山姥や、あるいは鬼に姿を変えてしまうのだろう。それでもこの呪われた魂は、ぼくたち生あるものがその想いを聞き届けてやることで、ぼくたちのまわりを彷徨うことを離れ、永遠の舞のなかへと消えてゆく。おそらくそれが、古来から鎮魂の儀式と呼ばれるものの核心にある事態なのだ。

 

 鎮魂の儀式はウタと舞からなる。ウタは命の湧き出るところを謡い、舞はこの世を時間と空間の広がりへと開く。もしもまだ鬼が消えることかなわず地下にうごめいているとすれば、(とりわけ3.11以降の)彷徨える魂のために鎮魂歌を謡い、その魂が喜んで舞いながら消えてゆく舞台を準備し、そこに春の到来のための扉を開くような物語のひとつが、この映画によって立ち上がったのではあるまいか。

 

 なるほど『佐渡テンペスト』は、世阿弥/ジルバの「山姥」とともに、死者たちを鎮魂し、生者に希望を開こうとする映画だったのだ。

 

「山姥」については次のサイトを参考にした:

http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_046.html 

 


山姥 / ジルバ (Yamamba / jitterbug)