雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

「世間様」から踏み出すこと:イタリア語の《 proprio 》をめぐって

FBに投稿されたイタリア語のレッスンビデオです。ここでは《proprio》という単語の用法が紹介されています。

«proprio»というイタリア語に苦労している人は多いですよね。ここでは、その形容詞的用法が説明されてます。図式的にその用法をまとめれば次の3つに分類されるとのこと。

1)所有形容詞(mio, tuo, suo...)の強調「まさに誰々の〜」
2)3人称の所有形容詞(suo, loro)としての用法「その人自身の〜」
3)固有の特徴を示すための「〜に特有の」(tipico, caratteristico, specifico)

まずはビデオをご覧ください。

 

とてもよくまとまっていますね。イタリア語がイタリア語で説明されているので、少し敷居が高いかもしれません。それでも、自分の言葉を自分の言語で説明するとこんなふうになるわけね、と感心させられます。

 

たしかに関心はさせられるのですが、ぼくのように日本語を母語としながらイタリア語を教えている者には、これをもういちど自分の言葉、つまり日本語で考え直したいところ。そういうときに役に立つのは、この辞書。

Dizionario etimologico della lingua italiana

Dizionario etimologico della lingua italiana

 

 

紙の辞書もありますが、iPhone 用のアプリもあります。ぼくは紙媒体に同封されていた Java 版のアプリを便利に使わせてもらっています。

さっそく、この辞書で《 proprio 》を調べてみることにしました。これによると、語義としては「ただ1人の人に帰属する」(che appartiene a una sola persona)、「特徴的な、典型的な」(caratteristico, tipico)という形容詞的な意味と、「実に」(davvero)という副詞的な意味が記されています。

その語源ですが、ラテン語の〔proprĭus〕「排他的な esculsivo、個人的な personale、所有された appropriato 」に由来するとのこと。興味深いのは、この〔proprĭus〕をさらに分解すれと〔pro prīvo〕「特別の資格で a titolo particolare」となること。

その 〔privo〕が由来するのは、〔 prī 〕「前に、最初に」という言葉なのですが、ここから「他の人の前に出ている」という意味で〔primo〕(第一の)や、「公的な事柄から分離されている」という意味で〔privato〕(個人の)という語が派生してくるわけです。

こうやって語源を見てくると、«proprio» というのは「他人を含める公的な事柄に先んじて、他の誰よりもまず、自分だけが権利をもつような状態」を言っているということになるのでしょうね。そこには「他のだれかがいる、公的な空間」が前提とされているわけですが、それってつまり「世間一般」ということですよね。

その世間様にあって、自分だけ特別な場所にあることが、プライベート(privato)ということですし、誰にも先駆けて一番前にでることはプリーモ(primo)ということ。そこに権利関係が入って来るときプロープリオ(pro-prio)と表現が生まれ、そこからさらにプロプリエタ「所有権・所有物」(proprietà)、プロプリエターリオ「所有者、持ち主」(proprietario)のような言葉が生まれていったのでしょうね。

ポイントは、プロープリオというイタリア語が、もともと公の領域(あるいは「世間様」)を前提としていたこと。なにしろ、世間一般から他の誰よりも先に一歩踏み出すことが、個人という領域(privato)の誕生なのです。そしてそれは、個人による所有(proprietà)の始まりでもあります。

いはやは、どうやらこのプロープリオというイタリア語の背後には、ぼくたちが生きている現代の民主主義や資本主義の基礎となるものが潜み、そのの生成の歴史が脈打っていると言えるのかもしれませんね。

 



 

 

モリコーネ VS タランティーノ?

今月の10日、エンニオ・モリコーネ90歳の誕生日、イタリアのシネファクツ ( CineFacts!)というサイトから、巨匠がタランティーノを「おばか un cretino 」よばわりしたというニュースが配信された。記事はドイツのプレイボーイ誌を元ネタ *1 にしたもので、そこにはモリコーネのこんなコメントが記されたいた。

タランティーノは考えもなく喋り、やることはいつだって直前になってから。これはとんでもないカオスだ。ゼロから立ち上げて数日で結論を出そうとするのだから、こちらは発狂してしまう。そんなことはできないのだから。*2 

なるほどそういうものかなと思ったけれど、これに続くコメントがすさまじい。

彼はバカだ。誰からも盗み、すべてをまぜこぜにする。オリジナルなものなんてひとつもない。*3 

 ぼくはタランティーノの作品が大好きなので、おもわずフェイスブックに次のように記すことになる。この時点で、記事の内容を信じてしまったわけだ。

 

ところがである。今日、同じシネファクツのサイトから「モリコーネ反論」の記事があがっているではないか。これによると、ドイツ版プレイボーイのコメントはデタラメであり、記者にあったこともない。今は法的手段を考えているというのだ。


www.cinefacts.it



いはやは、タランティーノモリコーネについては、これまでもいろいろと言われてきた。どちらも好きなマエストロだから、それなりの関心を持ってきたのだけど、イタリア映画音楽の巨匠90歳の誕生日に世界をめぐったニュースには、すこしばかり気分が悪くなっていたところ。それでもモリコーネ本人が、そんなコメントはしていないと否定してくれたことで、ご両人ともに大好きなぼくとしては、少し気分が楽になったところなのです。

追記:

*1:ドイツ版プレイボーイ:https://www.playboy.de/stars/quentin-tarantino-kann-mich-mal

*2:ドイツ語版にあたるべきだけど、とりあえずイタリア語の原文はこれ。"Tarantino parla senza pensare e fa tutto all'ultimo momento: è il caos assoluto. Chiama dal nulla e vuole avere un risultato finale in pochi giorni, il che mi fa impazzire perché è impossibile!"

*3:"È un cretino: ruba a tutti e mescola tutto. Non ha niente di originale"これにモリコーネはさらにこう続けたそうだ。「(タランティーノ)は監督ではない。偉大なハリウッドの監督たち、たとえばジョン・ヒューストンアルフレッド・ヒッチコック、あるいはビリー・ワイルダーとと比べてみればよい。彼らは本当にすごかったが、タランティーノは(冷めた)素材を温めているだけじゃないか」 "E lui non è un regista, non è paragonabile ai veri grandi di Hollywood come John Huston, Alfred Hitchcock o Billy Wilder. Loro erano davvero molto bravi, Tarantino riscalda solo gli ingredienti."

Vecchio frack (1955) を訳してみた

 

ドメニコ・モドゥンニョといえば『ヴォラーレ Nel blu dipinto di blu』(1958)が有名だけど、その前に発表された『ヴェッキオ・フラック Vecchio frack』(1955)に触れる機会があった。なんとなく知ってはいたのだけれど、ちょっとじっくり聞いてみると、これがなかなかよいのだ。

きっかけはディーノ・リージの『追い越し野郎  Il sorpasso 』(1962)だ。ヴィットリオ・ガズマンが演じる40代の無職にして車好きで女好きのブルーノが、ふとしたことで若くて真面目な法科の大学生ロベルトを、そのランチャのオープンカーに乗せてドライブするというだけの話。大学生を演じるのはジャン=ルイ・トランティニアン。彼が「まるでイギリスの道路を走るようだ」と口走るのは、ガズマンのランチャが常に追い越し車線を走って(il sorpasso)、次々と前の車を抜き去って行くから。

この映画に、これといったストーリーはない。ふたりの少しばかり度を越したふざけっぷりを描くだけのロード・ムービーだが、実はこれ、アメリカンニューシネマにおおきな影響を与えている。『追い越し野郎』の英語タイトルは「イージー・ライフ」だけれど、『イージー・ライダー』(1969)なんて、タイトルからしてこの映画へのオマージュ。とりわけ、血の気がすっと引くような、あの驚きのラストシーンなんて、このディーノ・リージの傑作がなければ生まれなかったのかもしれない。

 

さた、その『追い越し野郎』のシーンのなかに、フィリップス製の車載レコードプレーヤーが登場する*1。この映画でその存在を初めて知ったのだけど、そこでかけるレコードが、モドゥンニョの『ヴェッキオ・フラック』なのだ。そのシーンがこれ。1.27あたりをご覧ください。

 

youtu.be

そこでガズマンが、トランティニアンにレコードをかけてと手渡しながら、こんなセリフを口にしている。

モドゥンニョはどれもいいよな。この『タキシードを着た男』( Uomo in frac)〔正式なタイトルは Vecchio frack 〕なんて最高だ。だってよ、なんてことはない歌のようで、すべてがある。孤独、コミュニケーションの不在、それからなんだっけ、もうひとつあったよな。そうそう、疎外だよ、ほら(ミケランジェロ)アントニオーニの映画に出て来るやつ。『太陽はひとりぼっち』は見たかい。おれは眠っちまった。そりゃもうぐっすりね」

A me Modugno mi piace sempre, questo "Uomo in frac" me fa impazzi', perché pare 'na cosa de niente e invece c'è tutto: la solitudine, l'incomunicabilità, poi quell'altra cosa, quella che va di moda oggi... la... l'alienazione, come nei film di Antonioni. Hai visto "L'eclisse"? Io c'ho dormito, 'na bella pennichella... *2

『太陽はひとりぼっち』は、この映画の直前に発表された作品だが、1960年代においてアントニオーニ映画のインパクトはかなり大きかったことがよくわかる。それにしても、「孤独」「コミュニケーションの不在」「疎外」なんてテーマさえも含んだモドゥンニョの曲とは、いったいどんな曲なのだろうか。

 

そう思って歌詞をじっくり聞いてみると、これがなかなか味があって意味深な曲ではないか。もっと知りたいとおもって、以下に訳してみたので、雰囲気は伝わるかな。ともかくもご笑覧。

 

www.youtube.com

もう真夜中
喧騒はやみ
最後のカフェの
明かりも消えた
通りに人影はない

その静かな通りを

最後の辻馬車が一台
車輪をきしませ消えてゆく

E' giunta mezzanotte
si spengono i rumori
si spegne anche l'insegna
di quell'ultimo caffè
le strade son deserte
deserte e silenziose
un'ultima carrozza
cigolando se ne va.

静かに流れる川
橋のたもとのせせらぎ
空には月が輝き
街がすべて眠るとき
ただひとり行く
燕尾服の男

Il fiume scorre lento
frusciando sotto i ponti
la luna splende nel cielo
dorme tutta la città
solo va
un uomo in frack.

頭には山高帽
カフスボタンはダイヤモンド
クリスタルのステッキ
胸にクチナシの花
純白のベストに
蝶ネクタイは
ブルーのシルク

Ha il cilindro per cappello
due diamanti per gemelli
un bastone di cristallo
la gardenia nell'occhiello
e sul candido gilet
un papillon,
un papillon di seta blu

ゆっくりこちらへ
歩いてくる優雅な姿
表情は呆然と
陰鬱にして心ここにあらず
いったいどこから来て
どこに向かうのか
燕尾服の男

s'avvicina lentamente
con incedere elegante
ha l'aspetto trasognato
malinconico ed assente
non si sa da dove vien
nè dove va
chi mai sarà
quell'uomo in frack.

ボンニュイ、ボンニュイ
ボンニュイ、ボンニュイ
おやすみなさいと
見るものすべてに挨拶してゆく男
街灯の明かりにも
通りを彷徨う
恋する猫にも

Bonne nuit bonne nuit
bonne nuit bonne nuit
Buona notte
va dicendo ad ogni cosa
ai fanali illuminati
ad un gatto innamorato
che randagio se ne va.

もはや夜明け
街灯は消え
街のいたるところで
人々が目覚め
うっとり浮かぶ月は
驚いたように蒼白になると
ゆっくり色あせながら空に消える
眠そうに窓がひとつ開けば
静かに流れる川に
薄明のなか
漂ってゆく
山高帽と
一輪の花と燕尾服

E' giunta ormai l'aurora
si spengono i fanali
si sveglia a poco a poco
tutta quanta la città
la luna s'è incantata
sorpresa ed impallidita
pian piano scolorandosi nel cielo sparirà
sbadiglia una finestra
sul fiume silenzioso
e nella luce bianca
galleggiando se ne van
un cilindro
un fiore e un frack.

優しく漂い
ゆらゆらと揺られながら
ゆっくり下ってゆく
橋のたもとの流れは海へ
海へと消えて行くのは
一体誰、誰なのか
あの燕尾服の男

Galleggiando dolcemente
e lasciandosi cullare
se ne scende lentamente
sotto i ponti verso il mare
verso il mare se ne va
chi mai sarà, chi mai sarà
quell'uomo in frack.

アデュー、アデュー
アデュー、アデュー

さよなら、世の中
過去の思い出
つかの間の愛
決して帰ってはこない愛

ラララーラー、ラララーラー

Adieu adieu adieu adieu
addio al mondo
ai ricordi del passato
ad un sogno mai sognato
ad un attimo d'amore
che mai più ritornerà. 

Lala la la lala la la...

それにしても、この燕尾服の男ってなにもかと思えば、どうやらモドゥンニョの友人でもあり、1954年にローマで自殺したと伝えられる貴族ライモンド・ランツァ・ディ・トラビーアのことらしい。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/3/34/Raimondo_Lanza_di_Trabia.jpg

ライモンド・ランツァ・ディ・トラビーアは、1915年生まれで亡くなった時は39歳。スペイン内戦のころはファシズムに組するものの、その後はレジスタンスの活動を助け、どうやらイギリスのスパイだったとも言われるだけではない。シチリアのサッカーチームに肩入れして優秀な選手を招聘し、自らオートレースに出場するかと思えば、アラブの大富豪なみの夜会を開催。その友人は、ペルシャのシャー、貴族にして作家のジュゼッペ・トマージ・ランペドゥーザギリシャの海運王アリストテレス・オナシス、赤い貴族ルキノ・ヴィスコンティ、財界のジャンニ・アニェッリ、写真家のフランク・キャパにおよび、浮名を流した相手は、貴族にして政治家・企業家のスザンナ・アニェッリムッソリーニの娘にして貴族と結婚したエッダ・チャーノアメリカの女優リタ・ヘイワース、そしてやはり女優だったオルガ・ヴィッリが彼の妻となる。

いやはや、すごい人物。まさに最後の貴族、「最後のダンディ」なわけだけど、自殺の理由ははっきりしていないらしい。うつ症状に悩まされていたともいわれるが、自殺する理由なんてなかったという証言もある。そんな彼の娘と孫は、最近『踊る番が来るだろう。トラビーアの最後の公爵 (Mi toccherà ballare: L'ultimo principe di Trabia)  』という本を出していた。そこでは、ライモンドの死は自殺ではなく、当時シチリアで台頭して来たマフィアがからんだものではなかったとほのめかされているようだ。

 

真相はともかくも、ディーノ・リージの『追い越し野郎』から、モドゥンニョの『ヴェッキオ・フラック』と出会い、さらにそこからひとりのシチリア貴族の自殺を通して、なにかとんでもない歴史の淵をのぞいてしまった。

 

ああ8月は、もう終わりだな。

 

Vecchio Frac [Digitally Remastered HD]

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Vecchio frac

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  • provided courtesy of iTunes
Mi toccherà ballare. L'ultimo principe di Trabia

Mi toccherà ballare. L'ultimo principe di Trabia

 

*1: キャプチャした画像がこれ。

f:id:hgkmsn:20180830160902j:plain

いやはや、車載型のレコードプレイヤーなんてものが実際にあったんだね。知らんかったです。詳しくはこんな記事などを参照のこと:

www.hagerty.com

さらにググってるとこんな映像も出てきました。

www.youtube.com

この映像はこの記事から:

www.soundandvision.com 

*2: 引用はここから: Il sorpasso - Wikiquote