音楽との出会いはほんとうに偶然。G.Love & special sauce はCDショップで聞いたスネアの響きで、ピンク・フロイドはヒプノシスの奇妙な牛、そしてわがスージー・クワトロはもちろんジャケットのジャンプスーツ姿が大きかったにしても、ラジオから流れてきた「キャン・ザ・キャン」のフレーズとの相乗効果。
そんなクアトロは、その後も活躍していることは知っていた。けれども新しいアルバムを買ったのはせいぜい高校生までで、その後、彼女とその音楽とはずいぶんご無沙汰していたのだ。ところが、2019年に『Suzi Q』というドキュメンタリーを見ることになる。なんだかすごく感動した。ぼくのかつてのアイドルが、ひとりの人間として浮かび上がってきたからだ。
字幕もない NTSC のノーリージョンのDVD。画質もわるくない。付録にたっぷりインタビューが収録してある。ライブ映像は1977年のメルボルンでの DAVIL GATE DRIVE 。イギリスのプロデューサーが黒い皮のジャンプスーツで『バーバレラ』風を狙ったのに、デトロイトから来た小娘のスージーは「エルビス」みたいでカッコいいと思ったのだという。そのギャップを生き抜いたのがスージーだったという。なんてこった、そうだったのか。
カソリックの家庭で4人の姉妹の1人の兄のあいだに育ち、家族で「プレジャー・シーカー」なんてガールズバンドをやってそこそこ売れていたなんて知らなかった。ところが彼女だけが引き抜かれ、イギリスに渡って売り出すチャンスを狙っていたところ、ギターのレン・タッキーと出会ってバンドを組み、自分の背丈ほどかるベースを振り回すフロントパーソンとなって、あの『キャン・ザ・キャン』をヨーロッパで大ヒットさせるというわけだ。
そんなスージーだけどアメリカではなかなかヒットを飛ばせない。早すぎたのだ。カソリックの女の子が黒いジャンプスーツでベースを振り回して、日本のキャッチコピーを使うなら「股間に響く」サウンドをくりだす姿は、時代を先取りしすぎていたというわけ。イギリスでだって、男どもに煽てられた可哀想な女の子なんて批判されていたという。
いやはや、けれどもランナウエイズやブロンディなんかが登場して時代が彼女に追いついてきた頃には、スージーの影は薄くなる。アメリカでは「ハッピーデイズ」というTVシリーズに出演して人気を博すけど、もはやスージーではなくスージーにあこがれていたジョーン・ジェット(ランナウエイズ)に間違えられるほど。ジョーンが似ているのであって、スージーが元祖であるにもかかわらずだ。
そうこうしているあいだに結婚し、二児の母となる。子育てをして、やがて離婚するけれど、スージーはスージーQであることをやめない。ミュージカルをやり、詩集を発表し、いつのまにか25歳に成長した息子が書いたロックンロールをシャウトするのが、ほんの去年のこと。
なんてこった。ぼくのアイドルのスージーが、そんな人生を送っていたなんて。いいおばちゃんになっても、まだまだシャウトして、ベースを響かせ、ロックを続けている。
なんてこった。大切な家族も、家族と過ごせたはずのデトロイトでの子供時代も、なにもかも捨ててひとりイギリスにやってきた女の子のロックンロール人生。それは、フェミニズムも、ポリコレも、グローバリズムも、アンチグローバルもぶっ飛ばすような、シンプルなビートに貫かれている。
なんてこった。うう、泣けたぜ。