雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ランペドゥーサ難民収容所からの声

ごく最近、またしても300人もの難民が地中海で命を落とした。以前にも『海と大陸』という映画を紹介するときに、同じような話を書いたことがあるけれど、いったい悲劇はいつまで繰り返されるのだろう。

以下に訳出するのは、セイブ・ザ・チルドレン(イタリア)のブログの記事だ。ランペドゥーサの難民キャンプをおとずれたスタッフのレポートなのだけれど、日本には伝わらないこの悲劇の一端でも紹介できればと思う。

原語の記事のサイトはこれ:


Voci dal campo, minori migranti: i bambini salvati dai naufragi arrivano in Italia esausti, sconvolti e disorientati - Save the Children - Blog

 

では以下に、さっと訳した日本語を掲載する。
 

ランペドゥーサの難民収容所からの声

未成年の移民たち:漂流から救われた子供たちは

イタリアに来たとき憔悴と混乱と自失のなかにある

 

ここ数週間のあいだ、様々な国籍のわたしたちの同僚がランペドゥーサを訪れ、海をわたってやってくる未成年者の移民たちの状況をもっとよく知ろうとした。ここに発表するのは、セイブ・ザ・チルドレン(イギリス)のジェンマ・パーキンの証言である。

 

わたしがナウフェル Naouffel に会ったとき、彼は疲れきっていました。4日間で8時間しか寝ていなかったからです。セイブ・ザ・チルドレンに働き始めて1年、そのあいだに彼は子供たちを乗せてイタリアにくる難民船を500槽も見てきたのです。そのすべてがヨーロッパを目指しているところを救助されたものです。

先月300人の難民が溺れたり低体温症によって亡くなったとき、ナウフェルはこの事態に対応するチームに参加していました。生存者のなかの4人は11歳から13歳の子供で、それぞれ単身で船に乗りんでいました。1人はマリ共和国の出身で、あとの3人はコートジボワール共和国から来ていたといいます。

「まるで子犬のようだったよ(とナウフェルは語ってくれました)。ほかにも16歳になったばかりのソマリアの少女が、自分の赤子をかかえて乗っていたんだ。難民収容所で事情聴取をしたとき、彼らは憔悴しショックを受けていた。子供たちはこの1年のうちに、多くの大人が一生かかって見るよりも多くを見ていたのさ。彼らの顔を見れば、どんな経験をしてきたか察しがつく。たとえ何年もこの仕事をしていても、漂流というものの恐怖が頭を離れることはないね。いくら考えないようにしても、そいつを見るときはいつだってまるで初めてのことのように感じてしまうんだ。どこか別の違う場所に離れたとしても、彼らの顔を思い出さないではいられないだろう。きっと他のことなんて考えられないよ」

ナウフェルにとってもっとも重要なことは、子供たちが安心していられるようにすることです。
「彼らの信頼を得なければ、どのような仕事も不可能なんだ」

感動的なのは、どのように文化的仲介者が上陸してきた未成年たちを相手に、彼らが従うべき法的手続きを説明するときの仕事ぶりです。貨物のように扱われてきた子供たちは、官僚や権威をなかなか信じようとはしません。だから、法律に従って生きることが大切だと説得することは、とても難しいのです。

「子供たちには法律なんてわからない。身分証明書も持っていないし、いつ乗船したかも、今どこにいるかさえわからないんだ。旅のあいだ、数々の恐怖を生き抜いてきたものだから、とくに青年たちは一人前の男のように振舞おうとするんだ。なんにも心配なんかない、自分は強いのだかと見せかけるんだよ。ヨーロッパではそうあるべきだと信じているからね。弱みを見せることは取り返しのつかない間違かもしれない、そう考えているんだよ」

わたしがランペドゥーサを訪れてから学んだことがあるとすれば、それは、よりよい生活を求めて二つの大陸を横断するような旅に出る子供は、全く希望の持てない状況から逃れるためにそうしたのだ、ということです。この旅は、砂漠や戦場を横断し、危険な海を渡ろうとします。旅の途中では、飢えと渇きに苛まれ、誘拐の危険にさらされ、監禁や強奪、拷問や奴隷化、人身売買や性的虐待の危険が待ち受けています。それをひとり家族のいないところで、乗り越えなければならないのです。旅の行程を仕切るのは悪徳商人です。残念ながら、人身売買は成長分野です。この問題は無視し続けることがゆるされないものなのです。

ナウフェルの第一の目標は、子供たちに自分たちがヨーロッパでどのような権利を持っているか、そして、もしも法的手続きを捨てればどのような危険が待っているかを説明することです。

「じつのところ、子供たちが法的手続きに従えば、少しはイタリア語を学ぶことができる。そうすれば多くの情報を得ることができるんだ。だから、彼らがやって来たとき、一枚のクレジット付きのテレフォンカードを手渡してやるのさ。それで家に電話して、自分が生きていることを伝えられるようにしてやるんだよ。全員にぼくたちの電話番号を与え、いつでも電話してこられるようにしてやるんだ。彼らが持っている唯一の番号が悪徳商人たちのものだったりするからね。彼らの手帳に安全な電話番号があると思うと、ぼくらは自分たちがやっている仕事に満足を感じられるんだよ」

ナウフェルが文化的仲介者になろうと思ったのには、胸を打つ動機がある。彼の幼なじみの親友のうち6人が、アラブの春のあとで、チュニジアから海を渡るときに亡くなっているのだ。だから彼が、海からやってくる未成年者たちに感情的な結びつきを持ってしまうことは驚きではないのです。

国際社会は、こうした悲劇をいったいあとどれだけの目にすれば、道義的な責任を感じて悲劇を食い止めるために介入してくれるのでしょうか。人命救助よりも国境の警備に重きを置くという政策は受け入れがたいものです。一ヶ月すこしの間に命がけで地中海を渡ろうとした移民は3500人にのぼり、その数は昨年の1月の数字を60%も上回っているのです。

大切なのは、地中海の移民の命を救うことがイタリアにとってもヨーロッパにとっても優先事項のひとつとなることであり、ヨーロッパ共同体がより多くの人命を救助できるような方策を強化することです。マーレ・ノストルム作戦は、今年の初めに中止されました。ヨーロッパ共同体は、海で救助されるという見通しを与えてしまうと、海を渡る危険を冒すことをそそのかしてしまうと表明しました。そこで今あるのはトリトン作戦なのですが、これはヨーロッパの海岸から30マイルまでしか活動することができず、その優先されるのは国境の警備なのです。この作戦は、ヨーロッパ沿岸の向こう側で人命を救うことを目的にするものではありません。それにもかかわらず、ボロ船で海に出るという命がけの行為に訴える者があとをたたないのです。

海をわたろうとするグループや家族の大部分はシリア人です。この問題は短期間で解決されるものではありません。実際、四百万の難民が、いわば地獄の縁のような場所に生きているのです。そして実際に世界が目の前にしているのは、第2次世界大戦から今日までのなかで、最大規模の難民流出の危機なのであり、この難民の半分は子供たちなのです。

難民は受け入れてもらえる場所を見つけるまで何年も待っていることはできません。子供たちが幼年期を難民キャンプで過ごすことになるなどというのは、とても許される話ではありません。希望を失ってしまうことで、多くの未成年者たちは危険な旅に駆り立てられるのです。それなのに、なぜ、豊かな国々は、もはや、そんな最も脆弱で傷つきやすい難民を受け入れようとしていないのでしょうか。

 

海と大陸 [DVD]

海と大陸 [DVD]