アルベルト伯爵(アルベルト・ラバッリャーティ)はカジノで財産を失って暗い顔をしている。それを見つめる眼光の鋭い男がいる。伯爵が薬を飲もうとするのを見て、男が止めに入る。自殺してはいけないと諭すのだが、じつは胃薬だった。しかし、自殺という言葉を聞いて、アルベルトはそれもいいかもしれないと言い出す。そこで男が自己紹介する。男の名前はルチェディウス博士(グアルティエーロ・トゥミアーティ)。新薬の血清を開発しており、人間の治験を探しているのだという。大変危険な治験なのだが、命を捨てるくらいなら、新しい血清の治験に協力してくれないか。どうせ死ぬのなら科学の進歩のために役立ってほしい。治験までの10日間を過ごすために、十分なお金も用意するという。 アルベルトは、博士の申し出を受けることにする。お金をもらい、一度は帰ろうとするのだが、ふたたびカジノに戻りすべてをすってしまう。失意の夜。雨が降る。雨宿りのために飛び込んだトラックの荷台で、アルベルトは放浪者のマッテーオ(ヴィルジーリョ・リエント)と出会い意気投合。ふたりは、突然に出発したトラックに乗せられて郊外に連れてこられてしまうが、「La vita è bella」を歌いながら、とある農場にゆきつくことになる。
人生の価値がわかるのは、それが失われるのが確実になったときだからね。そのとき初めて人生の価値のすべて、その美しさのすべてが理解されるのさ。 Perché la vita si apprezza soltanto quando si ha la certezza di perderla! Solo allora se ne comprendono tutti i valori, tutta la bellezza!
この3作を「排除された人々の三部作(trilogia degli esclusi)」と呼んだ人がいました。よくわかります。おそらく最も完成されていたのが『崖』(原題の「 il bidone」は「ペテン」の意味)だと思うのですが、これは興行的には失敗に終わっています。それでも、この作品がいちばん「排除された人々」という主題を明確にしているのではないでしょうか。ペテン師にだって「精神的な崇高さ」が垣間見えるときがある。そして、その「崇高さ」を言葉ではなく、映像と音楽的なモチーフで示して見せたのが、実にフェリーニらしいところ。
Tema A はカリヨンによる透明な演奏で、非常に精神性の高い美しいモチーフ。Tema B は躍動的に盛り上がるモチーフで、Tema C でジャジーで楽しい演奏。このふたつは、カビリアが新しい恋をしたり、自分で元気を出そうとするときに用いられます。いわば彼女の精神的な活力とでもいえばよいでしょうか。そしてTema D は別名「ラリリラー」(Lla Ri Lli Ra)というタイトルが付けられたダイナミックな曲。いわば「希望」と「裏切り」の両方を含み持つテーマであり、これこそがフェリーニの「排除された者たちの三部作」を締めくくるものだと言ってよいかもしれません。
さて、この Tema A が使われるもうひとりの人物が「托鉢の修道士ジョヴァンニ」は、カビリアに神の慈愛に包まれて幸せになることを説き、結婚して子どもをもちなさいと勧めます。こうしてカビリアは、そのときまでにデートを重ねていた恋人オスカーに、自分が娼婦であることを勇気を持って告白することになります。幸いというよりは不幸なことに、このオスカーという男は平然と、それでも結婚したいと応じるます。カビリアは心踊り Tema B と C が高鳴ります。実はこのオスカーが食わせものなのです...
今回のぼくの発見は Tema D です。これには「ラリリラ」という別名があり、ナポリ方言の歌詞までがついているのです。歌詞はあとからつけられたものではなく、その歌詞を劇中で実際にギターを抱えた男が歌っているのです。いやあ、何度も見た作品なのですが、今回音楽に注目しながら見直してみて、はじめて気がつきました。しかも、その歌詞がまたすごい。シーンのなかにいるカビリアに語りかけるような内容になっているではありませんか。これにはおどろきました。
ともかくも、最初にこの Tema D が聞かれるのは、映画の冒頭でテヴェレ川に突き落とされる直前にカビリア本人が口ずさんだもの。カビリアは、恋人のジョルジョとの将来に希望を持っているようすなのですが、サングラスをしたジョルジョは、大金の入ったバックを奪うと、彼女を川に突き落として逃げてゆく、そんなシーンです。まさに「希望/裏切り」のテーマといえばよいでしょうか。
この Tema D が歌詞つきで聴かれるのが、オスカーに結婚を申し込まれたカビリアが、家を売り、銀行から有り金をおろし、全財産を持って新しい生活に進もうとするときです。それはアルバーノ湖を臨む高台のトラットリーア。オスカーとカビリアの席の後ろで、ギターを抱えた男がこのテーマ「ラリリラ」を歌詞付きで歌うのです。
Lla ri lli ra, lla ri lli ra, n'ammore va, n'ato vene, nisciuno chiù te vo bene. Nun ce penzà, ll'uocchie asciuttate, torna a cantà comm' a me.
Lla ri lli ra, lla ri lli ra, l'ammore passa comme passa 'o viento. Te vasa pe' 'na vota e niente chiù. Tira a campà, nun suffri, nun te lagnà, se può capì, nun penzà ca ll'uocchie chiagnine.
Lla ri lli ra, lla ri lli ra, l'ammore te l'ha fatto 'o tradimento. Nun era comme t'o sunnave tu. N'ammore a ccà, n'auto a ll'à. Te pò spassà, nun te felì *1 che vuò fa si ll'uocchie chiagnine?
'O tiempo va, se pò scurdà pienza a canta
以下に拙訳です。
ラリーリラー ラリーリラー
愛がひとつ去り またひとつやって来る
もう誰にも 愛してもらえないの?
よくよしないで 涙を拭いて
また歌えばいいさ 僕みたいに
ラリーリラー ラリーリラー
愛は通り過ぎてく 吹く風のように
一度はキスもしてくれる けどそれで終わりさ
前を向いて 大丈夫だよ
嘆くのはおよし 気持ちはわかるさ
大丈夫 ただ涙が 流れてるだけだから
ラリーリラー ラリーリラー
愛があなたを 裏切ったのだね
夢見たものとは 違っていたんだね
ここにも愛がひとつ あそこにもひとつ
揶揄われても仕方ない めげてはダメ
しかたがないのさ 涙がながれても
時は過ぎる 忘れられるさ
歌っておくれよ ラリーリラー
愛は通り過ぎてゆく 吹く風のように
だから風のように 留まることはできないのさ
こうしてカビリアは、アントニエッタ・ロンゴのたどった最期を再現し、しずかに立ち上がって彼女を追悼すると、森の中へ歩き出します。するとそこには、ふたたび Tema D (Lla Ri Lli Ra) が流れてきます。それは「希望から絶望へ」のテーマだったのですが、ラストシーンでは「また歌えば良いさ」という歌詞にあるように、「絶望から希望へ」向かうテーマとなります。
Lla ri' lli ra' Lla ri' lli ra' N'ammore va, n'ato vene Nisciuno chiù te vo bene? Nun ce penzà, ll'uocchie asciutate Torna a cantà comm'a me
Lla ri' lli ra' Lla ri' lli ra' L’ammore passa comme passa 'o viento Te vasa pe' 'na vota e niente chiù. Tira e campà Nun suffrì Nun te lagnà [se può capì ] Nun ce penzà ca ll'uocchie chiagnine
Lla ri' lli ra' Lla ri' lli ra' L’ammore te l'ha fatto 'o tradimento Nun era comme t' 'o sunnave tu? N'ammore 'a ccà N'ato a ll'à. Te può spassà [nun te felì] Che ce vuò fa si ll'uocchie chiagnine?
'O tiempo va, se può scurdà pensa a cantà: Lla ri' lli ra' Lla ri' lli ra'.
Nun dice chiù: Casa mia! Nun tiene chiù cumpagnia E che vuò fa? Te vuò accidere? Torna a cantà 'nzieme a me Lla ri' Ili ra' Lla ri' lli ra'
この歌を祖母に歌っていたころのアンナ・マニャーニは10歳ぐらい。母親は18歳で彼女を産むが父親は不明 。後にアンナが調査したところ、彼女の父はカラブリアの裕福な貴族でデル・ドゥーチェ Del Duce という姓で、「Figlia Del Duce 」(ドゥーチェの娘)では様にならないと、調査をやめてしまったらしい。結局、母はひとりで育てられず、アンナを祖母に預けると、裕福なオーストリア人とエジプトのアレッサンドリアに渡ったという。