雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

イン・ジ・エンド(ザ・クランベリーズ)訳してみた

イン・ジ・エンド

 

来週の26日にザ・クランベリーズの最後のアルバム『イン・ジ・エンド』が発売になる。ドローレスが亡くなったのは昨年のはじめ(2018年1月15日)。英語版の Wikipedia によると、このアルバムに収録されている彼女の歌声は、2017年の3月ごろから書かれ、少しずつデモ録音していったもの。ドローレスの急死によって作業は中断したけれど、バンドメンバーは彼女の家族と話し合い、録音されていたヴォーカルトラックを使いながら、アルバムへと仕上げていったのだという。

そんなアルバムタイトルにもなった曲が「In the end」なのだけど、YouTube にオフフィシャル・オーディオがアップされていた。聞いた。まいった。彼女の歌声に胸をかきむしられた。なんなんだこの歌は、という思いで、以下に訳出してみることにします。


The Cranberries - In The End (Official Audio)

 

不思議じゃない?
あんたの望んだすべてが
ぜんぜん望んだものじゃなかった
終わりの時
Ain't it strange
When everything you wanted
Was nothing that you wanted
In the end

 

不思議じゃない?
あんたの夢見たすべてが
ぜんぜん夢見たものじゃなかった
終わりの時

Ain't it strange
When everything you dreamt of
Was nothing that you dreamt of
In the end

 

わたしから家を奪うがいい 車だって 着るものだって
でもスピリットは奪えない スピリットは スピリットは
あんたに奪えない

Take my house, take the car, take the clothes
But you can't take the spirit, take the spirit, take the spirit
But you can't

 

 

 

イン・ジ・エンド

イン・ジ・エンド

 

 

タヴィアーニ兄弟の未公開作品 『Il prato(草原)』 について

Die Wiese [Import allemand]


 ドイツ語版のDVDが届いたので、タヴィアーニ兄弟の「Il prato (草原)」(1979)を見る。『パードレ・パドローネ』の成功に続く野心作、日本未公開。音声はドイツ語かイタリア語が選択できるので、イタリア語で鑑賞。

 主演は『パードレ・パドローネ』のサヴェリオ・マルコーニ(ジョヴァンニ)、これが本格的な初の映画出演となるイザベッラ・ロッセリーニ(エウジェニア)、そして当時の舞台俳優としての演技力を買われたミケーレ・プラチド(エンツォ)。

 タヴィアーニ兄弟がこの作品を撮った背景にあるのは、70年代の後半に目立ってきた若者のたちの自殺のニュース。なぜ彼らは自ら命を絶たなければならないのか、その探求がこの映画を動かしている。

 兄弟が参考にしたのは、まずはゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774年)。ご存知のように叶わぬ恋に絶望してピストル自殺する若者ウェルテルを描く古典に加えて、ツルゲーネフの『父と息子』(1862)のラストシーン(主人公のバザーロフが感染症をわざとそのままにして死にいたる)は、この映画の主人公ジョヴァンニが狂犬病の犬に噛まれたのをわざと放置するプロットに重なるもの。

 映画の引用がまたすごい。もっとも印象的な自殺のシーンを探していたタヴィアーニ兄弟は、溝口健二の『山椒大夫』(1954)を考えたというが、なにしろ東洋の映画を引用するのでは距離がありすぎる。そこで、たまたま話をすることができたマーティン・スコセッシの意見を聞いたところ『ドイツ零年』を勧められたのだという。

 もちろん、タヴィアーニ兄弟はロッセリーニの作品に触発されて映画の道に入ったわけだから、『ドイツ零年』を知らないはずがない。しかし、そのロッセリーニの娘であるイザベッラをキャスティングしたときは、まさかあのエドムンド少年のシーンを使うなんて思ってもみなかったらしい。もちろん結果的には、映画ファンにはたまらないような、じつに感動的なシーンが出来上がる。

 

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 それから音楽。タヴィアーニ兄弟がエンニオ・モリコーネと組むのは『アロンサンファン』(1974)に続く2本目で、これが最後になる。『アロンサンファン』がオペラ的な映画だとすれば、この映画にもまた音楽には大変重要な役割がある。

 注目すべきはイザベッラ/エウジェニアの夢のシーンだろう。そこには「ハーメルンの笛吹き男」さながらの美しくも残酷なシーンが展開される。彼女が笛を吹くと町中の人々は踊らざるをえない。笛がひびくあいだは踊るほかなく、驚愕の眼差しで自分の足のステップを見つめながら、夜明けが来る頃には誰もが倒れてしまう(もしかすると死んでしまったのかもしれない)。そんな場面で流れる激しく魔術的な旋律に続いて、彼女が美しい旋律を奏でると、街の子供たちは彼女につて街をでて、森の中のユートピアへと導かれるのだけれど、そのときの素朴で牧歌的な美しい旋律。このふたつの旋律の対比は、まさにタヴィアーニ流の音楽劇の真骨頂ではないだろうか。

 YouTube に、牧歌的なほうの旋律が聞こえるシーンがあがっていたので、ご覧あれ。

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 ともかくも、ぼくたちが考えておかないとならないのは、この映画が公開される前年の1978年には、赤い旅団によるモーロ元首相誘拐殺害事件が起きていることだ。そんなテロリズムが吹き荒れる時代だからこそ、若者の多くはそんな過激なイデオロギーに馴染めず、だからといって将来への希望を抱くこともできず、ある種の絶望のなかに生きていたというわけ。

 そんな絶望を象徴するのが、ゲーテのヴエルテルでありツルゲーネフのバザーロフ。こうした古典の登場人物の道ならぬ恋ゆえに絶望せざるを得ないという状況は、集団的で公的なイデオロギー(赤い旅団のものであれ何であれ)に対して、あくあでも個人の「私的な問題」にすぎないのだが、その「私的な問題」が「公的な問題」に衝突するときに生じる時代的なピットフォールというか、出口なしの状況というものを、ここでタヴィアーニ兄弟は見つめようとしているのに違いない。

 その意味でジョヴァンニ(サヴェリオ・マルコーニ)の父を演じるジュリオ・ブロージの存在が大きな意味を持つ。60年代の後半から70年代の前半にかけて、怒れる若者=革命家の演じさせては右にでる者のいない俳優が、ここでは自己実現した父親を演じているのだが、その父親が、みずからの息子の絶望に打つもなく、自らもまた絶望の淵に立たされるラストシーンの秀逸なこと。曰く:「かつておれは、もう反抗してやるという言葉は口にしないと言った。だがやめだ。反抗してやる。反抗してやる。反抗してやる... 」

 もう打つ手のない息子の死を前にして、革命世代の父が口にする言葉の虚しい響き。それに対して、緊急搬送のために手配されたヘリコプターが、ジョヴァンニの故郷でありエウジェニアとも出会いの場所である美しいサン・ジェミニアーノの風景と、そしてあの「草原 il prato 」を俯瞰で映し出すときに、聞こえてくる彼の断末魔の喘ぎ声こそは、どうしもなく深い絶望に襲われた世代の抱える闇への、タヴィアーニ兄弟による探求の成果なのかもしれない。

 そういうかたちの絶望もあるのだ。そういうかたちの死もあるのだ。その絶望的な状況を前に、人はなにもすることができないのだという、ある種の美しい諦念。だからこそこの映画は「死についての映画というよりは、死の映画だ」ということになる。

 しかし、それで話が終るわけではない。エンドクレジットを超えて響き渡る、ジョヴァンニの絶望の喘ぎ声は、そのまま『サン・ロレンツォの夜』における絶望のなかの生の賛歌へとつながってゆくことになる。

 

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

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父と子 (新潮文庫)

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ドイツ零年 [DVD]

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サン★ロレンツォの夜 [DVD]

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Il Prato (The Meadow)

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タヴィアーニ祭り

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ここのところタヴィアーニ兄弟の映画をずっと見てきました。そろそろ、まとめにかからないといけないのだけれど、そのまえに、メモを整理しておこうと思います。

 

1)まずはデビュー作ね。これは最初、フィルマークスにタイトルがなかったんだけど、なぜかイタリア語版DVDと原題をあげてもらました。未公開だと思うのですが、どこかで公開されてたのか。ジャン・マリア・ヴォロンテが演じる労働運動家に、これでもかというほど矛盾を抱えさせる演出、それに応えるヴォロンテの演技がよいのよね。

あとは、農地を象徴的に占拠する農民たちのもとに、マフィアの若者がまぎれこんできたときの演出がよい。闇から現れ闇に消える群像劇。すでにタヴィアーニ兄弟らしさが出てる。
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2)次に見たのがこれ。「ああ結婚」って邦題ついてるけど、劇場未公開でテレビ放映ということ。原題は「結婚のアウトローたち」(i fuorilegge del matrimonio)。

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3)これは実質的にタヴィアーニ兄弟のデビュー作で、ふたりだけの監督作品としては最初のものになるわけ。これが実によい。新しい世代とそれまでの世代の葛藤というか、意思疎通の齟齬がテーマにあるのだけれど、それを描く脚本と映像がまたすばらしい。

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 アマゾン jp にも出品されてますね。これです。

 

 

4)これもまたなかなかよいのですよ。アバンギャルドって感じで、時代を感じさせてくれるのだけど、タヴィアーニ兄弟らしさはきっちり出してきている。映画言語的にもすごく進化したんじゃないかな。ジャン・マリア・ヴォロンテとジュリオ・ブロージの共演が見もの。それにルチーア・ボゼーの年増役がまたかっこいいのよね。

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 これね。

Sotto Il Segno Dello Scorpione [Italian Edition]

Sotto Il Segno Dello Scorpione [Italian Edition]

 

 

5)これはフィルマークスにタイトルがなかったので、フェイスブックからのリンク。ジュリオ・ブロージの鬼気迫る演技。原作はトルストイ。でも宗教は抜き。

www.facebook.com

 これはスペイン語版しか見当たらない。

 

6)いちおう歴史劇。しかしタヴィアーニ兄弟は、文学もそうだけど、歴史も思いっきり裏切ってしまいます。ガリバルディの赤シャツを、時代を遡ってカルロ・ピサカーネの義勇兵たちに着せてしまう。『聖ミケーレの雄鶏』の帆船の赤い帆だってそうだけど、絵としてはそういう絵がほしかったというのはよくわかる。なにしろ、このピサの兄弟の父親は筋金入りのマッツィーニ主義者で共和主義者であり、その息子の彼らは、共産党も真っ青にするマルクス主義者なのだから。

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日本からも注文できる!

 

7)テレビ映画です。テレビとしてはそこそこできたと、タヴィアーニ兄弟本人も気に入っているみたい。

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復活(上) (新潮文庫)

復活(上) (新潮文庫)

 

 
8)これはアルメニア系イタリア人作家の『ひばり館』が原作。フィクションでもあり、歴史的な問題を扱う内容だけに、タヴィアーニ兄弟にはぴったりの題材だったのかもしれない。
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 原作の日本語訳です。

ひばり館

ひばり館

 

 
9)これは最高です。タヴィアーニ兄弟みごとに復活!

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10)これも見事。前作がシェークスピアならこちらは兄弟の故郷の作家ボッカッチョのもの。誰がなんといっても傑作です。

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11)兄のヴィットリオは体調がすぐれず、監督にはクレジットされず。映画の構想はもちろんふたりのもの。彼らがファシストを描くのはこれで2度目だけど、そうしなければならない背景には、ふたりが時代に対してもっている強い憤りがある。

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amazon jp にはサントラしか見当たらない。 

Milton, Pt. 2

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 原作はこれね。

Una questione privata

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もちろん、名作の誉れ高い『パードレ・パドローネ』、『サン・ロレンツォの夜』、『グッドモーニング・バビロン』などは忘れられませんが、とりあえずはタヴィアーニ兄弟のフルモグラフィを概観できたかなというところ。

 

それにしても、通してみるとなおのこと、彼らの作品には一貫したスタイルが見えてくる。それをどう言葉すればよいか、これから数日悩むつもり。

その間、風邪さんが治ってくれますように。

追記:
この作品にもようやくキャッチアップ。いやあ、たんなる伝説ではなくて、非常に現代的な問題意識から立ち上がった寓話なんだよね。

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