新しい年が始まってまだ5日目なのに、悲しい訃報が飛び込んできた。ピーノ・ダニエーレが亡くなったというのだ。
日本ではあまり知られていないかもしれない。けれど、彼はイタリアを代表する歌手だ。ナポリ生まれで、ナポリの方言で歌い、ナポリの音楽シーンを代表しながらも、イタリア中で愛されたピーノ。その少し甲高いけれど透明な歌声は、モダンな楽曲のなかに郷愁を感じさせる響きがあった。その声はもはや録音でしか聞けなくなってしまったのだ。
ぼくがピーノのことを知ったのは、ナポリに遊学していたときのこと。当時はまだCDなんてなくて、路上で不法コピーされたカセットを買ったものだ。ブルースに影響を受けたリズムとメロディに、そのナポリ方言がしっくりと馴染んでいるのを聞いたとき、ああナポリの今なのだと思ったものだ。
そんなピーノの訃報を伝えてくれたナポリの友人は、FBにこうコメントしている。
Grande lutto per la musica, per l'Italia, per Napoli e per i napoletani della mia generazione.
この大きな悲しみを、ぼくも共にしたいと思う。そこで哀悼をこめて、ぼくの大好きな曲であり、彼の代表作でもある『 Napule è 』を紹介したいとおもう。この曲は、ピーノのデビューアルバム『Terra mia (わが故郷)』(1977) に収録された美しいバラードだけど、その歌詞のなかに浮かび上がってくるのは、悲しみと喜び、恐怖と希望、生と死が隣り合わせに入り混じっているナポリの矛盾に満ちた姿なのだ。
それはまさに、ぼくの記憶のなかにある風景と重なるナポリであり、おそらく故郷を離れたナポレターノたちの郷愁を誘ってやまないナポリなのだろう。けれどもピーノが歌うのは、そんな遠くに離れて想うだけの故郷ではない。自らが生まれ、自らが育ち、人々と共に生きる場所としての故郷なのだ。
しかし、故郷にあって故郷を歌うことは容易ではない。自分が生きている場所に埋没してしまうなら、その場所はどこまでいっても故郷として対象化されることのないものとなってしまう。ピーノが、そこで生きているにもかからわず、ナポリを故郷として歌うことができたのは、ある種の距離の感覚ではないだろうか。
考えてみれば、マグナ・グラエキアの新しい都市(Neapolis)にその名の由来を持つナポリには、常にそんな距離の感覚があったのかもしれない。そんな港町には、常に外からの新しい支配者とともに新しいものが入ってくる。1955年生まれのピーノにとって、それはおそらくギターとブルースだったのだろう。
なにせナポリには米軍基地がある。日本でもそうだけど、基地の街の若者は、アメリカ英語とともに、ロックやブルースの圧倒的な影響力のもとで育つ。そんな外国語と外国文化、音楽とギターは、じつに魅惑的なツールとして、古めかしく閉塞的な因習から離脱する手段を与えるものとなるわけだ。生まれた場所と環境からの離脱こそは、あの距離の感覚を可能にするというわけだ。
おそらくピーノは、そうやって故郷にいながらにして故郷を歌うための距離の感覚を身につけていったのだろう。そしてこの感覚から生まれた詩情こそが、ナポリ人だけではなく、遠い異国で生きるぼくたちをもまた強い郷愁に誘う響きの、その核心にあるものなのではないだろうか。
Pino Daniele Napul'è live The Place 2008 - YouTube
では、歌詞をどうぞ(スタンツァごと区切って、まずはナポリ語を挙げ、拙訳を続けることにする)。
"Napule è"
Napule è mille culure
Napule è mille paure
Napule è a voce de' criature
che saglie chianu chianu e
tu sai ca nun si sulo.
ナポリは千の色
ナポリは千の恐れ
ナポリは子どもらの声
少しずつ大きくなるその声に
ひとりじゃないとわかるだろ
Napule è addore 'e mare
Napule è 'na carta sporca
e nisciuno se ne importa e
ognuno aspetta a' ciorta.
ナポリは苦い太陽
ナポリは海の香り
ナポリは汚れた紙
だれにも構われず
だれもが運まかせ
Napule è 'na cammenata
inte viche miezo all'ato
Napule è tutto 'nu suonno
e 'a sape tutti o' munno ma
nun sanno a verità.
ナポリは歩む
入り組んだ路地をぬけ
ナポリはすべて夢
世界中に知られていても
本当のことはわからない