雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

イタリア語

99 posse『撃て』 (1996)

Spara 99 Posse - YouTube 機会があって99ポッセの「Spara」を聴き直した… なんというアクチュアリティ! もちろん音楽も悪くないのだけれど、やはり圧倒的なのはその歌詞。 いかに世界が今、W杯の話題で麻痺しているかが痛感させられる。 クリミア情勢は…

男と女をめぐるイタリア語の悩み…

英語しか学んだことがない学生が、イタリア語に接して最初に驚くのが、名詞に男性名詞と女性名詞があることだ。形容詞や冠詞にもこの性の違いに応じて形を変えることになる、そんなふうに説明すると、「どうして?」と質問されるから、そのあたりをなんとか…

パゾリーニ「わがネーションよ」

パゾリーニの詩はどれもそうなのですが、この詩も強烈です。Facebook に投稿されているのを見かけて、おもわず日本語に訳してみることにしました。 わがネーションよ アラビアの民でもなく、バルカンの民でもなく、古の民でもない 生きているネーションにし…

殉教の子どもたちと動物の尊厳

先日、『イスタンブールの赤 Rosso Istanbul』という小説(あるいは随筆?)を発表したフェルザン・オズペテク。トルコ生まれにしてイタリア映画を代表する監督である彼が、とても興味深いフレーズをツイートをしていたので、ここで紹介してみたい。 Ci sare…

ある詩人の言葉

あるナポリの詩人のフレーズがぼくをとらえた。こんなフレーズだ。 È la più certa prova d'amore quella di un uomo che cambia parere per essere d'accordo con la donna. (Erri De Luca [1950- ] ) 【男が見解を変えて女と合意しようとすることほど確実…

移民たちの船

10月3日、哀しいニュースが飛び込んで来た。 シチリア島とチュニジアの間に浮かぶランペドゥーザ島の沖で、アフリカからの難民を船が火災を起こして沈没したというのだ。全長20メートルの船には500人以上がすし詰めになっていたという。2日前に乗っ…

ドキュメンタリー映画の可能性

Sacro Gra - Official Trailer - YouTube 第70回ヴェネツィア映画祭の金獅子賞は、なんと劇映画ではなくドキュメンタリー映画に贈られるたという。しかもイタリア人監督ジャンフランコ・ローシによる国産のドキュメンタリー作品で、タイトルは『 Sacro GRA…

『カビリア』と想像の共同体

なかなか風邪が抜けない。だからタバコが旨くない。旨くないからあまり吸わない。こういうのが健康的なのだろうか?でもまあ、不健康なことのできる健康のありがたみがよくわかる。はやく不健康なことができる健康を取り戻さなければ… ともかくもそんな状態…

映画のなかの詩人たち:パゾリーニとダンテ、それからベニーニ

週末にカゼをひいた。 木曜日あたりから調子が悪かったのだけれど、金曜日の午後に帰宅、熱が少々あるのでそのままダウン。なんとか夕食をとってまたダウン。土曜日の早朝、なんとか熱が下がったので飛び起きる。正午前から横浜の朝日カルチャーセンターで映…

追悼リトル・トニー

イタリア人にとってはキング・オブ・ロックンロール、おらが国のエルヴィス Elvis di noialtri 。ぼくの歳ぐらいのイタリア人で知らないヤツなんていない。 そんなリトル・トニーの訃報がはいった。 あれはたしか、初めて訪れたヴェネツィア映画祭でのこと。…

エンツォ・ヤンナッチ『王さまに会ったよ』

エンツォ・ヤンナッチの歌う『王に会ったよ Ho visto un re 』を日本語にしてみました。もともとは、ダリオ・フォーの舞台『おいらは考えて歌うぜ Ci ragiono e canto 』(1966年)のための曲だそうです。作詞はフォー、作曲はパオロ・チャルキ。 歌の内容に…

ブルフォードのドラムレッスン

ビル・ブルフォードは大好きなドラマーだ。そのドラミングは「ジャズにしてはロックの要素が強く、ロックにしてはジャズの要素が強い」と言われる。特徴的なのはスネア。硬くチューニングされた高音が、子気味よく変則的に打ち込まれてゆく。本人によれば、…

Pensiero stupendo

新しくできたイタリアポップスの専門誌に映画のコラムを書きました。 フェルザン・オズペテクの『明日のパスタはアルデンテ』を取りあげ、そのなかで歌われるパティ・プラーヴォの Pensiero stupendo という曲が映画のなかのシーンと見事にシンクロしている…

イタリア映画への誘い(2)

フェルザン・オズペテクの『向かいの窓』は、具体的にはどんなふうに「すばらしいイタリア映画」なのだろうか。どうして多くのイタリア人をうならせたのだろうか。そのあたりを考えてみよう。 まずは映画の冒頭、こんなシーンから。 暗い通りに人影が現れる…

イタリア映画への誘い(1)

千葉での講座「イタリア映画への誘い」が無事終了。 朝までバタバタとスライドの準備をして、京葉道路をぶっ飛ばして、到着するや90分ぶっとおしで喋りまくる。映画のシーンをちらりと見せるところで、水を口に含んでしばし喉休め。その間も頭の中はぐるぐ…

千葉、渋谷、そして横浜(イベントのご案内)

来週から3週連続3カ所でイタリア映画のセミナーをやります。 第1弾は千葉。 来週2月26日(火)、千葉市民文化大学というところで「イタリア映画への誘い」という講座をやります。じつはこれ、7月に予定されているイタリア映画の講座の予告編なのです…

クリアレーゼ『海と大陸』(2)

クリアレーゼはメッセージを持つ映画は撮りたくない言う。しかし同時に、観客が想像力を働かせる余地のある映画を撮りたいとも言う。おそらく彼は、映画によって物語を起動させたいのだと思う。うまく物語がうまく動きだせば、あとはぼくたちが想像力を働か…

クリアレーゼ『海と大陸』(1)

一昨日、『海と大陸』の試写に行ってきた。最初に言ってしまうおう。これは傑作だ。少なくともぼくは、しばらくこの映画について機会があるごとに何度も言及することになると思う。 1965年ローマ生まれのエマヌエーレ・クリアレーゼは、モレッティではないけ…

子どもを打つのは3歳まで

体罰のことを考えていて思い出したことがある。「子どもを打つのは3歳まで」。ぼくに子どもができたとき、大学時代の剣道の恩師から教えられた言葉だ。 躾のため子どもを打つのは3歳まではかまわない。3歳をすぎたら慎むべき。なんだかとても合点のいった…

「教えること」と「学ぶこと」

最近話題になっている体罰の問題は、「教える」ことを仕事にする者にとっては、ちょっと考えさせられる。必要なのは、少し下がったところから考え直すことなのだろう。そこで、ちょっとイタリア語から考えてみようと思う。 何はともあれ、最近愛用のイタリア…