雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

朝カル立川セミナー「映画で旅する南イタリア」

以下に、土曜日のセミナーについて備忘のためツイートしたものまとめておきますね。

 

* * * 

土曜日の立川のセミナーには大勢のみなさんに来ていただいて有り難かった。ただ、準備不足というか、準備を始めると次々とネタが出てきて収拾つかず。南イタリアと映画というテーマは、面白いけど、ハマれば泥沼。

発見のひとつはデ・シーカの Un Garibaldino al convento (1942)。ガリバルディの千人隊シチリア上陸を扱った軽喜劇なんだけど、これが思いがけず面白い。まるで西部劇なんだけど、ブルボンの兵士のへなちょこぶりと赤シャツ隊のかっこいい隊長役になんとデ・シーカ本人が!

youtu.be

若い赤シャツ隊の兵士に惚れる寄宿舎の女子学生をマリア・メルカデルが演じているんだけど、デ・シーカとは事実婚状態。なるほど可愛く撮るはずだわさ。作曲家マヌエルと俳優のクリスチャンの二人は彼女との子なんだね。

https://qph.fs.quoracdn.net/main-qimg-0927c6ef9a07d5e7c1878bf915de11b5-c

もうひとつの発見はロッセリーニの『戦火のかなた』のシチリアのエピソードは、アマルフィの隣にあるマイオーリで撮影されたってこと。アッペンニーノの修道院のシーンが撮影されたのは知ってたけど、実は彼、シチリアまで行っていなかったんだね。

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マイオーリといえば、マンニャーニと髪を金髪に染めたフェリーニが共演した『奇跡』が撮影された場所だし、バーグマンの『イタリア旅行』の見事なラストシーン、聖母マリアの行進もここ。マイオーリという海の保養地は、ロッセリーニのお気に入りの場所だったというわけらしい。

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『イタリア旅行』の主な舞台はナポリだけど、ちょっと気になった場所がポッツォーリのソルファターラ(硫気孔)。箱根でかつて「地獄谷」と呼ばれた場所なんだかけど、そこをバーグマンが訪ねるシーンがちょっと面白い。

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実はこの映画、もともとはシドニー=ガブリエル・コレットの『Duo』(1934)を原作に考えていたらしいのだけど、撮影間近にして許可がおりないことがわかって、それでも撮影を決行しちゃったというもの。だから脚本もなにもない状態で、とにかくバーグマンに観光地を訪ねさせて、フィルムに収めてしまえということだったらしい。なるほど、だからバーグマンの髪がぐちゃぐちゃなわけだ。

(ところでコレットの『Duo』って和訳はあるのかしらね?ちょっと検索したけど見つかりませんでした。ちょっと読んでみたいよね。それにコレットという作家もすごく気になるところ)

 

しかも、このころには付き合って数年になるロッセリーニとバーグマンには、じつのところ倦怠期にあったのだといも言われている。それがナポリの地に映画の撮影に来ればなんとかなると、本人が思ったかどうかはしらないけれど、興味深いことではある。なにしろナポリは、あのゲーテをして驚かせた場所。このドイツの文豪曰く「ナポリは天国みたいだ。ここではだれもが陶酔した自己忘却のようなもので生きているのだから」。ロッセリーニもおそらく、この地の人々に同じような何かを感じたのだろうか。

それから土曜日には、以前別の場所で話したパストローネの『カビリア』と、ヴィゥコンティの『揺れる大地』『山猫』のことに触れたのだけど、そのあたりで時間切れ。面白いと思ったアントニオーニの『情事』とパゾリーニの『奇跡の丘』を話せなかったのが残念。

とりわけアントオーニがシチリアを撮る不思議。故郷とは光が違いすぎるから嫌だと言っていたのに、エオリア諸島岩礁の島リスカビアンカでの苦しい撮影と、シチリア島をめぐる旅のなかで、アントニオーニ的な風景が前面化。まさに新しい風景、新しい映画の発見だったわけだ。

 ただ、そんなアントニオーニの風景を、じつのところロッセリーニの『イタリア旅行』が先取りしていたというのが、今回の驚きであり、ぼくの個人的な発見だった。そして、その驚きはパゾリーニの『奇跡の丘』へとつながってゆく。

『奇跡の丘』の舞台はイタリアではない。しかしパゾリーニは、古のガラリア湖周辺を南イタリアの洞窟住居で知られるマテーラに見出す。おそらく映画のロケに使われたのは初めて。今でもこそ復興し観光地化した洞窟の街だが、当時はまさにパゾリーニの求める原初的な状況が残っていた。

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この異他なる地に、パゾリーニは自分の母や友人を連れてきてイエスの周りに配置すると、地元の住人たちをエキストラに起用、その対比がそのまま映像としてのダイナミズムを生むことになる。そして、それはまた、南イタリアの発見でもあったというわけだ。

 

 

 

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Rock'n'Roll のイントロ・ドラムリフ再訪

5年前、この曲をスタジオでやろうということになったときだ。ぼくはイントロのドラムリフに手こずって、こんな記事を書いている。

hgkmsn.hatenablog.com

 まあ、この記事では複雑なことを書いているけれど、それからぼくはこんなカウントを思いついた。

1234|1234
    | イウ
イウエ|オイウ
イウエ|オイウ
イウエ|イウ
イウエオ

これでなんとか演奏してきたきたのだけど、どうもピンとこないところがある。ところが昨日のことだ。アルジェント研究会の二次会で、ある秘密を教えてもらった。というか、その筋では有名な話でもあるようなのだけど、ぼくにとっては「えっ、そうだったんだ」と目からウロコ。

じつはあのドラムリフは、チャック・ベリーの "Johnny B. Goode" のイントロのリフとぴったり合うというのである。実際、YouTube で検索をかけてみると、こんな投稿がヒットした。

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なるほどピッタリだ。ボンゾのドラムリフは、実のところチャック・ベリーのロックンロールに捧げられていたのだ。そう考えるのが、自然な気がしてきた。実際LZにはチャック・ベリー のカヴァーもある。

そんなことを思いながら検索していたら、ロシアのユーチューバーがこんな演奏を披露してくれている。イントロでは、明らかに Johnny B.Goode をフィーチャーしているのが聞こえると思う。

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いやはや、何気なく聞いている時には全く問題がない。ところが真似してみようとするととんでもなく難しい。がんばってリズムをブレークダウンしたのはよいけれど、どうしてこんなことになったのかさっぱりわからない。ところが、あのチャック・ベリーの有名なリフが背後になったと言われると、すべての謎が溶けてゆく。

それって単なるリップオフではない。ルーツへのリスペクトなんだよね。ボンゾだけじゃない。キース・リチャードやエリック・クラプトンのようなイギリスの若者たちが、遠いアメリカから聞こえてきたあのギターリフにやられてしまったのだから、これはすごいことなのかもしれないよな。

これがチャック・ベリーのオリジナル。

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この人もカヴァーしてるんだよね。

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もちろん忘れてはならないのは、あの映画でのこの人のカヴァー。

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まあ、このネタにチャック本人は怒っただろうけど... 

さて、こちらはLZのロックンロール。

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でもLZはやっぱりライヴが最高。

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Led Zeppelin IV [REMASTERED ORIGINAL1CD]

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Johnny B. Goode

Johnny B. Goode

 

 

 

Azzurro (1968) 訳してみた

AZZURRO / 2012 REMASTER

 

この曲には個人的な思い出がある。

イタリア語を習い始めの頃だ。ローマから来た留学生に『Azzurro』が入ったアルバムをプレゼントしてもらった。自分はそんなに好きじゃない。そういいながら彼女は、でもイタリア語やるなら持っておいてよいと思う。たしかそんな言葉とともに。LPに針落として聞く。なんだか不思議な音だ。なかでも耳に残ったのがこの曲だった。

アドリアーノ・チェレンターノの1968年のヒット曲。シングルのA面は『Una carezza in pugno』で、こっちはB面だったらしいけれど、どちらも印象的な曲で、どちらも大ヒットしたという。ぼくが聞いたのは1980年代だけれど、古いという感じはない。ただ不思議な音だった。

曲を提供したのはパオロ・コンテ。歌詞にも彼の手が入っているのではないかという人もいる。じっさい、コンテがセルフカバーしたヴァージョンもあって、それはそれで印象的だ。コンテに言わせると、チェレンターノの良いところは、そのころ流行りの甘っちょろい高音で歌わないところだという。低い地声で、ふつうに話すように歌うチェレンターノの歌声は、たしかに聴きやすく、イタリア語の一語一語がはっきりとした輪郭をもって伝わって来る。それだからだろう。メロディーラインがじつにイタリア的な響きを持つのだ。

もともと音楽的だと言われるイタリア語。しかしポップスでは、英語に合わせたメロディーラインに無理やりイタリア語を載せたものが、しばしば見られた。そういうポップスが、パオロ・コンテはきらいだったのだろう。しかし、チェレンターノは違った。彼自身はビル・ヘイリーやプレスリーのコピーからキャリアをスタートさせているが、その独特のダミ声で、ロックンロールにイタリア語を乗せてゆくのだ。

そして1968年という異議申し立ての時代に登場したのが『Azzurro』。当時の時代を反映するというよりは、当時にあって少し時代遅れのように見える歌詞とメロディーだった。それがヒットの原因だったのかもしれない。

この曲が歌うのは、イタリア人の誰もが待望している夏のヴァカンスのこと。それは一年を働いたご褒美であり、誰もが仕事を休んで海に、山に長期の休暇にでかけてゆく。とりわけ、戦後の経済発展を経たイタリアでは、ヴァカンスがまさに国民的な行事になっていたころ。しかし、チェレンターノの言葉は、そんな夏のヴァカンスから取り残された男の姿を描き出す。その妻か、あるいは恋人はもうビーチに出かけてしまった。しかし、彼は街に残っている。仕事があるからか。それとも別の理由か。

チェレンターノは、ヴァカンスを楽しめない男を歌う。夏の空を飛行機が飛び去るときの轟音は、彼にとって屋根の上から浴びせかけられるブーイングだ。ヴァカンスに行かないおバカさんというヤジのようなものなのだろう。しかし、一人で仕事をするのが楽しいわけではない。夏の抜けるような青い空のもと、仕事が終わった午後はひたすらに長い。しかも彼女はいない。彼女がいなければ、生きるためのリソースがないに等しいこの男は、すぐにでも列車に乗って、彼女のもとに向かおうとするのだが、どういうわけか、列車はヴァカンスへと向かってくれない。気持ちとは裏腹に、反対方向に走り出してしまうのだ。

このシュールな列車が何を表しているのか謎だ。けれども、素直にヴァカンスを楽しめない、楽しませない何ものかが、行く手を阻んでいる。阻むどころか、逆方向へと列車を走らせる。欲望の求めるものが、手を伸ばせば伸ばすほど遠ざかってゆく。そんな悪夢の1行が、リフレインのなかに繰り返される。

おそらくはそれが、1968年のイタリアの人々の琴線に触れたのだ。じっさい、パオロ・コンテが、アドリアーノが歌ったこの曲のデモ音源を家に持ち帰って母親と聞いたところ、母親が泣したというのではないか。なぜ泣いたのか。それはパオロにもわからなかったという。しかし、このエピソードはあきらかに、この曲のなかにあるひとつの時代精神のありかをマークしている。ぼくには、そんなふうに思えるのだ。

そういえば、この曲、今公開中のガブリエーレ・ムッチーノ『家族にサルーテ(A casa tutti bene)』のなかで、登場人物たちが声を合わせて歌ってくれるシーンがある。ムッチーノの作品にはほかにも『Una carezza in pugno』も登場する。1968年を生きた世代が感動した歌が、今だに歌い継がれるというシーンに、ぼくも思わずホロリとさせられたことを告白しておく。

filmarks.com

ではYouTube の映像に続いて、『Azzurro』の拙訳(対訳)をどうぞ。

www.youtube.com

 

空の青 Azzurro 

 

1. 

待ち焦がれた一年 そして突然の夏

彼女はビーチに出かけ 街にはオレひとり

頭上からのブーイング 遠ざかる飛行機

 

Cerco l'estate tutto l'anno e all'improvviso eccola qua.

Lei è partita per le spiagge e sono solo quaggiù in città, 

sento fischiare sopra i tetti un aeroplano che se ne va.

 

青い空、あまりに青くて長い午後

気づけば お前なしで なにもできないオレがいる

だから 列車に乗って そちらに向かおうと思うのに

欲望の列車は 気持ちの逆へと 走りだす

 

Azzurro, il pomeriggio è troppo azzurro e lungo, per me, 

mi accorgo di non avere più risorse senza di te, 

e allora io quasi quasi prendo il treno e vengo vengo da te.

Ma il treno dei desideri nei miei pensieri all'incontrario va.

 

 

2. 

思い出の教会の集会所 まぶしい太陽、何年も前のこと

日曜は教会の中庭を ひとりブラブラするしかなかった

でも今のほうがずっと退屈 おしゃべり相手の神父さえいないから

 

Sembra quand'ero all'oratorio, con tanto sole, tanti anni fa.

Quelle domeniche da solo in un cortile, a passeggiar.

Ora mi annoio più di allora, neanche un prete per chiacchierar.

 

青い空、あまりに青くて長い午後

気づけば お前なしで なにもできないオレがいる

だから 列車に乗って そちらに向かおうと思うのに

欲望の列車は 気持ちの逆へと 走りだす

 

Azzurro, il pomeriggio è troppo azzurro e lungo, per me, 

mi accorgo di non avere più risorse senza di te, 

e allora io quasi quasi prendo il treno e vengo vengo da te.

Ma il treno dei desideri nei miei pensieri all'incontrario va.

 

3. 

庭にアフリカを探してみる キョウチクトウバオバブのあいだで

小さい頃にそうしたように でもここには人がいて もう無理か

水をやるのはおまえのバラ、でもライオンはいない、どこにいったのか

 

Cerco un po' d'Africa in giardino, tra l'oleandro e il baobao,

come facevo da bambino, ma qui c'è gente, non si può più,

stanno innaffiando le tue rose, non c'è il leone, chissà dov'è.

 

青い空、あまりに青くて長い午後

気づけば お前なしで なにもできないオレがいる

だから 列車に乗って そちらに向かおうと思うのに

欲望の列車は 気持ちの逆へと 走りだす

 

Azzurro, il pomeriggio è troppo azzurro e lungo, per me, 

mi accorgo di non avere più risorse senza di te, 

e allora io quasi quasi prendo il treno e vengo vengo da te.

Ma il treno dei desideri nei miei pensieri all'incontrario va.

 

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