雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ブドウ畑の階級闘争

エスプレッソ誌のサイトから、ブドウ畑のルポルタージュが飛び込んできた。

espresso.repubblica.it

 実は、以前にトマトの収穫について似たようなルポを見たことがあるのだが、どうやらワインのためのブドウ畑でも同じようなことになってきたようなのだ。

どういうことか。

日本のスーパーでは、少し前からイタリアのトマト缶がとても安く手にはいるようになっていたけれど、ここのところワインも美味しくて安いものが出回るようになった。ぼくはトマトソースも作るし、ワインだって嫌いじゃない。だから安くて美味しいものが出回ることは歓迎したいところ。

けれど、安いものにはワケがある。そのワケは、以下のルポを読んでいただければわかるのだけれど、読んでしまうと、これから安いワインを買うときに心が痛むことになる。

心を痛めたくないという人は、さしあたりジョヴァノッティの次の曲でも聴いていただこう。

 

www.youtube.com

 

1997年の曲、タイトルは Occhio non vede, cuore non duole. 

日本語にすると「目が見えなければ 心は痛まない」。

そうなのだ。知らずいれば、心は痛まないかもしれないけれど、心を痛めることのないまま、ぼくたちは自分たちの壁のなかに閉じこもってしまうことになる。安く美味しいワインを味わって、テレビで美しいイタリアの風景を見る。ああ、イタリアっていい国だなと思う。それはそれでいい。けれど、少し目を開けてみれば、そのいい国であるイタリアで起こっている現実に、心を痛めないではいられない。

以下に訳出したルポは、ワイン用のブドウの収穫の話だ。かつて葡萄の収穫といえば、農家が家族総出でかかり、ほとんどお祭りのような有様だったという。けれども、そんな良き時代はどうやら終わったようなのだ。

 

 

葡萄畑の奴隷たちはどんな暮らしをしているのか?

モンフェッラート(ピエモンテ)からシチリアまで

 

炎天下で12時間の労働。夜は野外で眠る。ときには死者も。しかし翌日には同じ仕事がまた始まる。

 

ミケーレ・サッソ

2015年9月4日

 

葡萄並木に屈み込んでの作業。太陽の照りつける畑は35度になる。朝7時から夜19時まで、ぶっとおしで働く12時間。ぶどうは熟したらすぐに刈り取らなければならない。 ぼやぼやしてはいられないのだ。

 

仕事が終わっても眠る場所はない。「きのうと同じ、今日も道端で夜を過ごした」、50歳のブルガリア人のストイル Stoil はいう。ヒゲは伸び放題、足は土とぶどうの汁で汚れている。 妻は幸運にも簡易ベッドとシャワー、そしてツナとビスケットの配食にありついた。 3人の慈善団体のヴォランティアのもとに迎えられたのだ。 しかし、そこは20人しか収容できない。あぶれた人には何もないのだ。

 

ストイルは、今年ピエモンテにやってきたぶどうの収穫の移民労働者千人のなかのひとりだ。彼のような労働者はイタリア全土で2万人ほどになる。ストイルは、ピエモンテ州のカネッリにたどりついた。アスティ・スプマンテとモスカート・ダスティの里であり、 毎年市場に一億本のボトルを出荷している町だ。その周囲に広がる葡萄畑は1ヘクタールあたり約1万1千ユーロの収益を上げる。1シーズンで1億ユーロ。しかし、豊かな品種が生産されることは、すべての労働者の権利と労働条件を保証するものではない。むしろ、そのことによって葡萄の収穫は、非情な手配師、不法労働者、そして違法契約の舞台に変えられてしまうのだ。

 

こうして葡萄の里は、ここ10年来、「葡萄の奴隷たち」の目的地となっている。最初はマケドニアから、今はブルガリアからの季節労働者たちが、1,700キロのかなたから、時給3ユーロから5ユーロを稼ぐために来るのだ。それでも、30日働くと、ブルガリアでの5、6ヶ月分の仕事に匹敵する稼ぎになる。ブルガリアの平均月収は200ユーロを超えないからだ。 

 

ブルガリアを出発するのに、それほどお金はかからない。ガソリン代と高速代を用意するか、さもなければ70ユーロのバスのチケットを買えばよい。労働者たちの多くは、仕事先がどんな状況かわかっており、マットレスを持参するのだが、なかには着の身着のままで来てしまう輩もいる。そんな3人の若者たちに出会ったのだが、彼らは慈善団体に空きベッドがなく、広場で夜を待つはめになっていた。最初の日、4時間働いてそれぞれ20ユーロ稼いでいた。しかし、なかのひとりがうなだれて口にする。「もしも道端で寝るはめになることがわかっていたら、ここには来なかったのに」。

 

多くの労働者は、口コミによってやって来るが、結局、夜を過ごすことになるのが、道端であったり、廃屋であったり、小さなアパートで20人余りがつめこまれた状態であったりするわけだ。もっとも悲惨なの者は、ベルボ川沿いの界隈にたどり着く。都心から離れ、住民の目にふれることがないからだ。

 

本誌が発見したのは、ある洗車場から150メートルほどのところにあるバラック群だ。舗装されていない道に、タオルがかけてあり、プラスチックのボトルやゴミが散乱している。1日の収穫の仕事が終わったとき、もっとも心配なのは身体を洗う場所と食べることだ。歩いてすぐのところに川の土手がある。木の下には底の抜けたソファ、残飯を料理する地炉、調理器具があり、湿気から身を守るため地面には木の板がしかれている。屋根のかわりにテントは、プラスチックと布で作られたものだ。すべての材料は、その場所でひろったもの。木に吊るされたカレンダーもそうなのだが、そこには元の持ち主によって月半ばまで「休み」と記されていた。

 

一年間まで、市は駐車場にシャワーなどを整備していた。 しかし、多くの移民がイタリアに向かったことで態度が硬化。 中道右派のカネッリの市長マルコ・ガブーシは言う。「手配師が(違法労働者を呼び込んで搾取する)問題は解決できないが、不法なキャンプを閉鎖することはできます。ですから、公共のお金を投入することをやめたのです。さもないと不法労働者を呼び込むことになりますからね。わたしが状況の悪化を防ぐためにできることは、違法状態を取締ることなのです」。こうして市長は、外国からの季節労働者たちの一時的な滞在地に5千ユーロ(1ユーロ130円として65万円)を支出を停止し、代わりにパトロールを強化することを選んだのだ。まさにゼロ・トレランスの政策である。 こうして、労働者たちは葡萄畑で12時間の労働のあとで姿を隠すことになる。彼らは姿の見えない存在となったのだ。 

 

その一方で、労働組合はなんとかしようとしているが、困難がともなう。例えば、イタリア労働総同盟 Cgil (Confederazione Generale Italiana del Lavoro) は、キャンピングカーを手配し、道端の労働者たちを助け、情報を与えようとしている。 しかし労働市場は正規の労働と搾取された労働に分断されている。その結果、時給が3ユーロまで下落してしまったのだ。そして彼らが結ぶ契約には、あるべき契約条項がない。労働日数も、労働時間も記されていないのだ。広場で直接声をかけられて仕事にありつくのだが、その給料からは手配師たちによって、畑までの移送費、水のボトル代までが差し引かれてしまう。

 

眠るところも問題だ。しばしば労働者は、くたびれた古屋で、一ヶ月のベッド代に200ユーロを払うことになる。払わないものは、ベッドがない。こうして、搾取されたものは、ランゲ、ロエーロ、モンフェッラートの丘に溢れる。ところがこの地域は、1年前、そのすばらしい農村文化が評価されてユネスコ世界遺産となったばかりなのだ。

 

収穫ビジネスは土地を持たない数々の協同組合がおこなっており、この(人件費など)すべて込みで収穫を保証している。こうして、昔からの貧者と新しい貧者のあいだで戦争が始まることになる。 マケドニア人が最初にやってきたのだが、今や彼らの中の一部が、ブルガリアの南部からやってきた隣人を搾取しているというわけだ。 「そうさ、俺たちの同国人の組合は最大の搾取者なのさ」、 そう説明するのはマケドニア人のフリストフ Hristov だ。「収穫のために声をかけて人を雇うのだが、封筒に入った給料はわずか2日分。たとえ20日以上働いたとしてもだ。そうやって結局は1年に10日分の給料しかなくて、失業手当もなにももらえないってことになる」

 

そんなやりかたは税務警察に疑いを持たせる。ピエモンテで一件を捜査してみると、144の農業事業体にわたり106名もの不法労働者が見つかったのだ。 

 

こうした労働者の売買からは女性も免れてはいない。むしろ、女性たちの給金はさらに微々たるものなのだ。そしてたいていの場合それは北と南でも、移民でもイタリア人でも違いはない。プーリアでは今年、パオラ・クレメンテのケースが大問題となった。49歳の労働者で、こどもが3人いる彼女は、7月13日、小さな種取り作業中に暑さのために脂肪したのだ。朝の4時に起きて、時給2ユーロの仕事だった。ザッカリアにも同じことがおこった。50歳のチュニジア人の労働者は、バーリ近郊のモドゥンニョで、午前中のぶどうの箱の運搬作業の後で亡くなったのだ。 

 

トラーパニはイタリア半島のなかでもワイン畑がもっとも多くある場所だ。 この地のワイン蔵では、マルサラ、エリチェ、デリア・ニヴォレッリなどの DOCワインが生まれる。 しかし、このトラーパニもまた移民労働者を受け入れる場所がいくつもある。 ここで労働者は、通りや広場で選別されらる。朝の6時に季節労働者が集合する。彼らは東ヨーロッパ、モロッコチュニジア、そっしてサハラの南からの難民たちだ。 「今や、季節労働者と難民労働者のあいだで対立が起きている」 そう説明するのは、非営利団体ボーダーライン・シチリアのアルベルト・ビヨンドだ。なぜならば、難民たちは救護施設で寝泊まりし、食事も与えられている。だから、安い給料でも仕事を引き受けるのだ。こうして給料が安くなると、宿代と食事代を自分で持たなければならないものは不利益を被ることになる。こうして、ワイン畑の太陽のもとでは、もっとも新しいかたちの階級闘争が勃発する。それは、極貧民と別の極貧民との間の階級闘争なのだ。