雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

パオロ・ヴィルツィー『見わたすかぎり人生』(2008)

 雑誌 Musicavita Italia のためのコラムの草稿ができた。塩漬けして明日には送付の予定。で、前回の記事で、そこに挙げたおいたヴィスコンティの論文は、このコラムのための準備だと書いていたのだけど、マッテオ・ガッローネの『リアリティー』に絡めて考えるつもりが、いざ書き始めてみると、どういうわけかパオロ・ヴィルツィー監督のこの作品の話になってしまった。とはいえ関係がないわけではない。実はどちらの映画も、イタリアでは誰もが知っているTVのリアリティー・ショー《Grande Fratello》を扱っているのだから。Musicavita のコラムのほうには、このリアリティー・ショーのことなど、もう少し詳しく書いてみたのだけど、そのイントロということで、以下にちょいと昔に日伊協会の会報「クロナカ」に書いた記事を再掲しておきます。

 

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『見わたすかぎり人生』

Non potevano né uscire, né liberarsi,
né vedere quel che succedeva all’esterno
その人たちは洞窟から出ることも、鎖から逃れることも、
外の世界の出来事を見ることもできなかったのよ。

(マルタのセリフより) 

 

 故郷パレルモをあとにしたマルタ( I・ラゴネーセ)は、はるばるローマ大学に哲学を学び、優秀な成績で卒業したばかり。まさに「人生はこれから tutta la vita davanti 」という彼女が、あの不思議な世界に迷い込んだのは、ひとりの少女との出会いがきっかけだった。
 就職活動中のマルタ。地下鉄の座席に腰を下ろし、憂うつな表情で、何枚もの不採用通知に目を通していた。そこに近づいて来た幼い少女(G・サレルノ)が、彼女に一枚のチケットを差し出すではないか。そこにはピンクのペンで、こう書かれていた。

“LARA E SONIA / VIA F. BORROMINI 18 / 340.483224”

 手書きのブロック体の最初の2語は、「ラーラとソニア」という女性の名前。続く VIA ... (〜通り)で始まるのは住所。すべての通りに名前がつけられたイタリアでは、「F・ボッロミーニ通り18番」だけでこと足りる。そして「340. 」に始まる数字は電話番号。ただし固定電話ではない。携帯のものだ。

Grazie, è per me?

 戸惑いながらも微笑んでみせたマルタのセリフだ。「ありがとう、これわたしに?」とたずねたのだが、少女は返事をする間もなく、こんな声とともに、いるべき場所に引き戻される。

Lara, vieni qua. T’ho detto che devi sta’ attaccata a mamma.

 「ラーラ」はチケットに書かれていた名前のひとつ。T’ho detto che... には、自分の言うことを聞かない相手に対して、「〜と言ったのに」という非難の意が込められたもの。また devi 「〜しなければならない」に続く sta’ は、しばしばローマ方言に聞かれるように、不定詞 stare を約めた形。つまり声の主は「ママのそばにいなきゃだめじゃない」と言うわけだ。
 少女が連れ戻された方を見れば、そこにはローライズのジーパンから赤い下着とタトゥーをのぞかせた、見るからに若い母親の背中が見えた。チケットに書かれたソニアという名前は、この母親( M・ラマッゾッティ)のものなのだ。そんな母娘が車両から降りたとき、その背後で閉まったドアのガラス窓には、こんな張り紙が見られた。そこには、あのチケットと同じピンクの文字で、こう書かれていた。

“CERCASI BEBY-SITTER (SERIA)”

 冒頭の cercasi は求人広告によく見られる定型の表現。これは動詞 cercare 「求める」が、いわゆる「受け身の《 si 》」を伴った形で、ふつうの語順では si cerca ... 「〜が求められている」となるところ。求人は BEBY-SITTER だが、もちろんこれは BABY-SITTER の誤り。くわえて、ここに強調の下線とともに書き添えられた SERIA 「まじめな女性」という言葉からも、広告主の人となりが知れよう。この「ベビーシッター求む(ただしまじめな方)」という文言は、さらにこう続いていた。

“ANCHE ALLA PARI (C’Ò UNA STANZA IN + )”

 まずは ALLA PARI という表現。しばしば RAGAZZA ALLA PARI とも表記されるもので、本来は、家事を手伝うかわりに宿泊と食事を提供してもらう女子留学生のこと。続く括弧のなかの C’Ò は、ci ho 「〜を持つ」という口語表現を発音そのままに綴ったもの。また IN + は in più「余分に」のくだけた書き方。つまり、ベビーシッターの仕事の交換条件として「住み込みにしてもあげられます(一部屋空いてますから)」ということだ。少女から手渡された手書きのチケットは、この求人広告から切り取られたものだったのだ。
 さすがにマルタは、すぐにでもベビーシッターよりマシな仕事が見つかるだろうと思うのだが、現実は甘くない。じつは、それまで借りていた部屋を追い出されたばかりの彼女。やがて背に腹を代えられなくなると、けっきょく、少女と若い母親のアパートを訪ねてゆく。そこで見つけるのは、新しい部屋だけではない。思いがけずマルタは、ソニアの務めるコールセンターのオペレーターの仕事を得るのだった。
 その職場は、一見、まるでミュージカルの舞台のように、陽気で華やかなパラレルワールドだった。しかし、その心地よさと充実感は、やがて、あのプラトンの洞窟の壁に映された外の世界の影にすぎないことが明らかとなり、ついには真実がそのグロテスクな姿をさらけ出す。はたしてそのとき、このブラックな笑いに満ちた物語の主人公たちは、なおも「人生はこれからだ」と信じられるのだろうか。その微笑ましくも哲学的な結末を、ぜひお見逃しなく。

 


Tutta la vita davanti -Trailer - YouTube

 

 

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