雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

Vecchio frack (1955) を訳してみた

 

ドメニコ・モドゥンニョといえば『ヴォラーレ Nel blu dipinto di blu』(1958)が有名だけど、その前に発表された『ヴェッキオ・フラック Vecchio frack』(1955)に触れる機会があった。なんとなく知ってはいたのだけれど、ちょっとじっくり聞いてみると、これがなかなかよいのだ。

きっかけはディーノ・リージの『追い越し野郎  Il sorpasso 』(1962)だ。ヴィットリオ・ガズマンが演じる40代の無職にして車好きで女好きのブルーノが、ふとしたことで若くて真面目な法科の大学生ロベルトを、そのランチャのオープンカーに乗せてドライブするというだけの話。大学生を演じるのはジャン=ルイ・トランティニアン。彼が「まるでイギリスの道路を走るようだ」と口走るのは、ガズマンのランチャが常に追い越し車線を走って(il sorpasso)、次々と前の車を抜き去って行くから。

この映画に、これといったストーリーはない。ふたりの少しばかり度を越したふざけっぷりを描くだけのロード・ムービーだが、実はこれ、アメリカンニューシネマにおおきな影響を与えている。『追い越し野郎』の英語タイトルは「イージー・ライフ」だけれど、『イージー・ライダー』(1969)なんて、タイトルからしてこの映画へのオマージュ。とりわけ、血の気がすっと引くような、あの驚きのラストシーンなんて、このディーノ・リージの傑作がなければ生まれなかったのかもしれない。

 

さた、その『追い越し野郎』のシーンのなかに、フィリップス製の車載レコードプレーヤーが登場する*1。この映画でその存在を初めて知ったのだけど、そこでかけるレコードが、モドゥンニョの『ヴェッキオ・フラック』なのだ。そのシーンがこれ。1.27あたりをご覧ください。

 

youtu.be

 

そこでガズマンが、トランティニアンにレコードをかけてと手渡しながら、こんなセリフを口にしている。

モドゥンニョはどれもいいよな。この『タキシードを着た男』( Uomo in frac)〔正式なタイトルは Vecchio frack 〕なんて最高だ。だってよ、なんてことはない歌のようで、すべてがある。孤独、コミュニケーションの不在、それからなんだっけ、もうひとつあったよな。そうそう、疎外だよ、ほら(ミケランジェロ)アントニオーニの映画に出て来るやつ。『太陽はひとりぼっち』は見たかい。おれは眠っちまった。そりゃもうぐっすりね」

A me Modugno mi piace sempre, questo "Uomo in frac" me fa impazzi', perché pare 'na cosa de niente e invece c'è tutto: la solitudine, l'incomunicabilità, poi quell'altra cosa, quella che va di moda oggi... la... l'alienazione, come nei film di Antonioni. Hai visto "L'eclisse"? Io c'ho dormito, 'na bella pennichella... *2

『太陽はひとりぼっち』は、この映画の直前に発表された作品だが、1960年代においてアントニオーニ映画のインパクトはかなり大きかったことがよくわかる。それにしても、「孤独」「コミュニケーションの不在」「疎外」なんてテーマさえも含んだモドゥンニョの曲とは、いったいどんな曲なのだろうか。

 

そう思って歌詞をじっくり聞いてみると、これがなかなか味があって意味深な曲ではないか。もっと知りたいとおもって、以下に訳してみたので、雰囲気は伝わるかな。ともかくもご笑覧。

 

www.youtube.com

もう真夜中
喧騒はやみ
最後のカフェの
明かりも消えた
通りに人影はない

その静かな通りを

最後の辻馬車が一台
車輪をきしませ消えてゆく

E' giunta mezzanotte
si spengono i rumori
si spegne anche l'insegna
di quell'ultimo caffè
le strade son deserte
deserte e silenziose
un'ultima carrozza
cigolando se ne va.

静かに流れる川
橋のたもとのせせらぎ
空には月が輝き
街がすべて眠るとき
ただひとり行く
燕尾服の男

Il fiume scorre lento
frusciando sotto i ponti
la luna splende nel cielo
dorme tutta la città
solo va
un uomo in frack.

頭には山高帽
カフスボタンはダイヤモンド
クリスタルのステッキ
胸にクチナシの花
純白のベストに
蝶ネクタイは
ブルーのシルク

Ha il cilindro per cappello
due diamanti per gemelli
un bastone di cristallo
la gardenia nell'occhiello
e sul candido gilet
un papillon,
un papillon di seta blu

ゆっくりこちらへ
歩いてくる優雅な姿
表情は呆然と
陰鬱にして心ここにあらず
いったいどこから来て
どこに向かうのか
燕尾服の男

s'avvicina lentamente
con incedere elegante
ha l'aspetto trasognato
malinconico ed assente
non si sa da dove vien
nè dove va
chi mai sarà
quell'uomo in frack.

ボンニュイ、ボンニュイ
ボンニュイ、ボンニュイ
おやすみなさいと
見るものすべてに挨拶してゆく男
街灯の明かりにも
通りを彷徨う
恋する猫にも

Bonne nuit bonne nuit
bonne nuit bonne nuit
Buona notte
va dicendo ad ogni cosa
ai fanali illuminati
ad un gatto innamorato
che randagio se ne va.

もはや夜明け
街灯は消え
街のいたるところで
人々が目覚め
うっとり浮かぶ月は
驚いたように蒼白になると
ゆっくり色あせながら空に消える
眠そうに窓がひとつ開けば
静かに流れる川に
薄明のなか
漂ってゆく
山高帽と
一輪の花と燕尾服

E' giunta ormai l'aurora
si spengono i fanali
si sveglia a poco a poco
tutta quanta la città
la luna s'è incantata
sorpresa ed impallidita
pian piano scolorandosi nel cielo sparirà
sbadiglia una finestra
sul fiume silenzioso
e nella luce bianca
galleggiando se ne van
un cilindro
un fiore e un frack.

優しく漂い
ゆらゆらと揺られながら
ゆっくり下ってゆく
橋のたもとの流れは海へ
海へと消えて行くのは
一体誰、誰なのか
あの燕尾服の男

Galleggiando dolcemente
e lasciandosi cullare
se ne scende lentamente
sotto i ponti verso il mare
verso il mare se ne va
chi mai sarà, chi mai sarà
quell'uomo in frack.

アデュー、アデュー
アデュー、アデュー

さよなら、世の中
過去の思い出
つかの間の愛
決して帰ってはこない愛

ラララーラー、ラララーラー

Adieu adieu adieu adieu
addio al mondo
ai ricordi del passato
ad un sogno mai sognato
ad un attimo d'amore
che mai più ritornerà. 

Lala la la lala la la...

それにしても、この燕尾服の男ってなにもかと思えば、どうやらモドゥンニョの友人でもあり、1954年にローマで自殺したと伝えられる貴族ライモンド・ランツァ・ディ・トラビーアのことらしい。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/3/34/Raimondo_Lanza_di_Trabia.jpg

ライモンド・ランツァ・ディ・トラビーアは、1915年生まれで亡くなった時は39歳。スペイン内戦のころはファシズムに組するものの、その後はレジスタンスの活動を助け、どうやらイギリスのスパイだったとも言われるだけではない。シチリアのサッカーチームに肩入れして優秀な選手を招聘し、自らオートレースに出場するかと思えば、アラブの大富豪なみの夜会を開催。その友人は、ペルシャのシャー、貴族にして作家のジュゼッペ・トマージ・ランペドゥーザギリシャの海運王アリストテレス・オナシス、赤い貴族ルキノ・ヴィスコンティ、財界のジャンニ・アニェッリ、写真家のフランク・キャパにおよび、浮名を流した相手は、貴族にして政治家・企業家のスザンナ・アニェッリムッソリーニの娘にして貴族と結婚したエッダ・チャーノアメリカの女優リタ・ヘイワース、そしてやはり女優だったオルガ・ヴィッリが彼の妻となる。

いやはや、すごい人物。まさに最後の貴族、「最後のダンディ」なわけだけど、自殺の理由ははっきりしていないらしい。うつ症状に悩まされていたともいわれるが、自殺する理由なんてなかったという証言もある。そんな彼の娘と孫は、最近『踊る番が来るだろう。トラビーアの最後の公爵 (Mi toccherà ballare: L'ultimo principe di Trabia)  』という本を出していた。そこでは、ライモンドの死は自殺ではなく、当時シチリアで台頭して来たマフィアがからんだものではなかったとほのめかされているようだ。

 

真相はともかくも、ディーノ・リージの『追い越し野郎』から、モドゥンニョの『ヴェッキオ・フラック』と出会い、さらにそこからひとりのシチリア貴族の自殺を通して、なにかとんでもない歴史の淵をのぞいてしまった。

 

ああ8月は、もう終わりだな。

 

Vecchio Frac [Digitally Remastered HD]

Vecchio Frac [Digitally Remastered HD]

 
Vecchio frac

Vecchio frac

  • provided courtesy of iTunes
Mi toccherà ballare. L'ultimo principe di Trabia

Mi toccherà ballare. L'ultimo principe di Trabia

 

*1: キャプチャした画像がこれ。

f:id:hgkmsn:20180830160902j:plain

いやはや、車載型のレコードプレイヤーなんてものが実際にあったんだね。知らんかったです。詳しくはこんな記事などを参照のこと:

www.hagerty.com

さらにググってるとこんな映像も出てきました。

www.youtube.com

この映像はこの記事から:

www.soundandvision.com 

*2: 引用はここから: Il sorpasso - Wikiquote 

「結婚演出家」を楽しむために


『Viva!イタリアvol.4』予告編

 

昨日の日伊協会でのベロッキオの話、備忘のためにざっと概略を。

 

まずは「結婚演出家」のイタリア語タイトル il regista di matorimoni を解説。regista は確かに「演出家」なんだけど、映画なら「監督」。ついでに matorimonio が複数形になっていることに注意を向ける。言語のイメージの問題ね。たとえばデ・シーカの「自転車泥棒」は泥棒 ladri も、自転車 biciclette も複数形なんだよね。でもジャンニ・アメーリオの「小さな旅人」(邦題)は「子ども泥棒」が原題で、こっちは泥棒は定冠詞付きの単数系 il ladro で子ども bambini は複数形。

 それからシチリアの巨匠たちの紹介。巨匠はイタリア語で maestro なんだけど、小学校の先生も maestro 。その理由は、たしかこのブログでも書いたよね。

hgkmsn.hatenablog.com

 

それでシチリアを描いた映画をみんなで写真見て当ててもらうクイズ大会。ヴィスコンティ、ジェルミ、アントニオーニ、タヴィアーニらの、例のあの映画をすこし紹介。おわかりですよね、みなさん。

 次に、ベロッキオのフィルモグラフィーを概観。出身地のボッビオを紹介しながら、彼がどんなデビューをしたかを知ってもらうために「ポケットの中の握り拳」の予告編。ポケットの中で拳を握りしめているのが、ベロッキオに通底する抗いの姿勢なんだけど、けっこう初期のころはポケットから拳を出して振り回していたんだよね。

 お題になっている「結婚演出家」に入る前に、シチリアがらみのベロッキオ作品として「エンリコ4世」と「乳母」の原作者ルイージピランデッロについて。当日紹介したのは、このシチリア人劇作家のこんな言葉。たしかこれ、タヴィアーニ兄弟の「カオス」でも触れられていたっけ。

“Io son figlio del Caos; e non allegoricamente, ma in giusta realtà, perché son nato in una nostra campagna, che trovasi presso ad un intricato bosco denominato, in forma dialettale, Càvusu dagli abitanti di Girgenti, corruzione dialettale del genuino e antico vocabolo greco «Kaos» ”

 

わたしはカオスの息子。寓意的に言っているのではない。まったくの事実として、わたしたちの村の近くに深く生い茂った森があり、その名前がグリジェントの住民たちの方言で「カーヴス」と言い、それはかつて正真正銘古代ギリシャ人たちの言葉で「カオス」とよばれたものが形を崩して今に伝わるものだということなのだ。

 

ようするに、ピランデッロのなかにある、シチリア的なものの根っこの深さを言いたかったわけ。イタリアの巨匠たちは、どうしたって共鳴してゆくんだよね。

 このあたりで、ようやくお題になっている「結婚演出家」の話へ。ともかく、冒頭の結婚式のシーンの背後にある新しい宗教運動を説明。出版された脚本によれば、主人公エリカの娘である花嫁は「fervente catecumenale convertita dal fidanzato」(新郎によって改宗させられた熱心な共同運動の信者)とあるから、あの少し風変わりなところのある結婚式は、戦後になってできた新しいカトリックのなかの宗教運動「新求道共同体の道」(Cammino neocatecumenale)が想定されているのだろう。ちなみに、この運動は2008年にベロッキオの映画が公開された2006年には、この運動は「2008年にその規約が教皇庁信徒評議会によって認証され、昨年末には《道》のカテキズムも教理省によって認証を受け」「カトリック教会における公式の認可を受けた存在」*1 となっているけれど、「結婚演出家」の公開は2006年だということに注意しておこう。

 それから主人公フランコ・エリカが、映画監督として「いいなずけ」を準備中であったことを確認。そもそもアレッサンドロ・マンゾーニのこの歴史小説の意味はどういうものだったのかを確認するために、イタリア王国が生まれる前の作品だったことを指摘。物語の主要な筋は「婚約したレンツォとルチーアが数々の困難を経て結婚する話」なのだけど、重要なのは「数々の困難」 なんだよねとか言いながら、マリオ・カメリーニの手による映画化が、この歴史小説のトーキーとしては初の映画化だったこと、それがベロッキオに影響を与えていることなどを説明しながら、ベロッキオが一番怖かったというペストのシーン、それが「結婚演出家」のなかで引用されているのだよねということで、そのシークエンスを、ちょっと厳密に説明。

 

f:id:hgkmsn:20180609085253p:plain

「ペストに犯されたドン・ロドリーゴは、廊下に足音を聞いて、身を持ち上げる」

 

f:id:hgkmsn:20180609085348p:plain

現れたのはふたりのモナット(monatto)。モナットとは、17世のペスト大流行のとき「病人や死体を収容施設に運搬する作業人にことで、しばしば死刑囚がこの仕事に従事した」という *2

 上の二つのカットが、映画のなかでは実に効果的に引用されているのだけれど、「いいなずけ」を知っている人、カメリーニの映画化に通じている人ならわかりやすいのだろうけど、それを知らないと何が起こったのか少しわからないかもしれない。いずれにせよ、オーディションのエピソードは、映画界にはいつだって、アージア・アルジェントがハーヴェイ・ワインスタインを告発したような事件がざらにあるということを思い出させてくれるわけだ。

 まあ、そんなゴタゴタに巻き込まれた主人公のエリカは、映画の企画をうっちゃって、ローマから逃げ出すんだけど、ベロッキオはコモ湖のあたりに行かせたかったみたい。でもロケハンするとうまいところがない。北がだめなら南、ということでシチリアになったらしけれど、こういう偶然というか、事の成り行きにさっとのっかるあたりは、ベロッキオのベロッキオらしいところ。でも、そのおかげで、この作品にはグッと深みでたんだと思うな。

 あとは映画を見てもらえば良いのだけど、ひとつだけこの館について確認しとこう。

f:id:hgkmsn:20180609090507p:plain

これ、じつはジュゼッペ・トルナトーレの故郷でもあるバゲリーアにあるVilla Palagonia  、別名「怪物の館」。ここはアントニオーニの「情事」でも舞台になったところだけど、ベロッキオはここで2匹の黒い怪物を登場させると、みごとな演出でセルジョ・カステリット/エリカを館に招き入れるのだけど、そのシーンが実に映画的。コミカルでリズムがよいだけじゃない。謎めいていて意味深で、みごとなふくせんとなった、あとで回収されるのだからたまらない。ヒント。黒がいつのまにか白になるだ!

 あとは登場人物の名前をめぐるお話。

 主人公のフランコ・エリカ。 Elica は「らせん」のこと。ヘリコプターのエリカだからね。 フランコは、フランク族のことだけど、自由で開いたという意味でもある。彼はカトリックではなく、むしろアーテオ ateo 、無神論者。ベロッキオもまたそうだけど、ぼくらが思うようないい加減なのではなくて、どっぷりカトリッック教育、宗教教育にそまったところから抜け出してきた無神論者。

 そのエリカをひきつけるシチリア貴族の娘のなまえが Bona (ドナテッラ・フィノッキャーロ)。それってすごく直接的に「いい女」(Bona)ってことだよね。

 また映画に登場するもうひとりの映画監督の名前もおもしろい。 Orazio Smamma というのだけど、名は詩人ホラティウス Orazio を思わせるのだけど、その姓は smammare 「逃げ出す、ずらかる」という動詞を連想させるわけだ。じっさい彼はピランデッロの「故マッティーア・パスカル」さながらに、自らを死んだことにしてしまうのだけど、その理由が I morti comandano(死者たちに操られている・死者の命令には逆らえない)。

 そう、イタリアはたしかに死者たちに操られている国なのかもしれないけれど、それはぼくらの国だってかわらない。でもイタリアにはベロッキオがいて、ポケットのなかで拳を握りしめ、いつだってそいつを振り回す心構えができている。

 そうなんだよね。この映画には、いたるところに「死者たち」が登場して運命的な悪さをしようとしているのだけど、カステリット演じる主人公は、その運命に拳を握って立ち向かう。そうはさせるかという、当時67歳の、まだまだ若いベロッキオの演出によるラストシーンは、じつに感動的。その感動は、運命を裏切ったあの「夜よ、こんにちは」のラストシーンに通じるものでありながら、ぐっとスピード感をあげて、ある種の深みさえ感じさせる。

 それはもしかすると、ラストで歌いかけてくる「In cerca di te (perduto amore)」のメロディーが映像の底を抜いてくれるからかもしれない。なにしろこの曲、1945年、ネッラ・コロンバが戦後の混乱のなかで失われた大切なひとのことを探し求める心を歌って大ヒットしたものなのだ。ただし、ベロッキオが使っているのは(予告編のなかでも聞かれるバージョン)は、あのマリアンジェラ・メラートが歌ったもの。それはそれで、ぼくはぐっときちゃうんだよね。

その歌詞はこう歌っている。

Sola me ne vò per la città,
passo tra la folla che non sa
che non vede il mio dolore
cercando te, sognando te, che più non ho.

 

わたしはひとり街をゆく

通り過ぎる見知らぬ人たちには

わたしの苦しみはわからないわよね

あなたを探しているよ、夢見てるのは、もういない人を

Ogni viso guardo, non sei tu
ogni voce ascolto, non sei tu.
Dove sei perduto amore?
Ti rivedrò, ti troverò, ti seguirò.

来る人の顔をのぞきこむけど、あなたじゃない

聞こえるこ声に耳をかたむけるけど、あなたじゃない

失われた愛しい人、いまどこにいるの?

いつきっとあえる、みつけるつもりよ、あなたのあとを追うのよ

Io tento invano
di dimenticar,
il primo amore
non si può scordar.

忘れようとしても

それはむり

初恋の人を

忘れるなんてできない

È scritto un nome,
un nome solo in fondo al cuor,
ti ho conosciuto ed ora so che sei l'amor,
il vero amor, il grande amor.

名前が刻み込まれているの

心の奥底にあなたの名前が

あなたと出会って、いまやあなたは愛しの人

ほんとうに愛している たまらないほど愛しているわ

この映画は、だから誰がなんとってもハッピーエンド。ポケットのなかに拳を握りしめながらの、そんなハッピーエンドなんだとぼくは思うのだ。

  


Nella Colombo - In cerca di te (Sola me ne vo per la città)

 


Mariangela Melato - Sola me ne vo per la città (In cerca di te)

 

ベロッキオの関連記事はこちら。

 

hgkmsn.hatenablog.com

  

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*1:この記述はこの日記から:

新潟教区における新求道共同体の道について: 司教の日記 。また、イタリア版ウィキーの記事はこちら:https://it.wikipedia.org/wiki/Cammino_neocatecumenale 

*2: Monatto - Wikipedia 

ベロッキオのリアルをめぐって

1435271119926

 

このところ、ベロッキオについて考えている。3週間後には、少しまとまった話をしなければならないからだ。

 

www.aigtokyo.or.jp

 

ここでは備忘のために、Filmarks のメモを再掲しておくことにしよう。

 

1)『母の微笑』

背景には、当時の時代設定(大聖年)と、個人的な母の思い出が認められる。だからベロッキオの商業監督としての価値が下がるわけではない。むしろ、自伝的な要素や社会的な要素を織り込みながら、みごとな娯楽作品を作っていると考えることもできるのではないだろうか。少なくとも僕は、「宗教の時間」のマエストラとの「かくれんぼ」のシーンには、背筋がぞっとするような感動を覚えた。

filmarks.com

 

2)『眠れる美女

じつにベロッキオらしい作品。ベルルスコーニが登場する映画として、フェリーニの『ジンジャーとフレッド』やモレッティの『エイプリル』『夫婦の危機』とならんで、記憶されてもよいかもしれない。そういえば、ソッレンティーノなんて、ベルルスコーニその人を主人公にした映画『Loro』を公開したばかりだな。

filmarks.com

 

3)『甘き人生』

この日本語タイトルって、もしかしたらフェリーニの『甘い生活』へのオマージュなのかな。少なくとも内容的にはズレっているよね。すごくよい映画なんだけど、それは「甘さ」ではない。むしろ「苦い」ものなのだけど…

ともかくもこの映画、少なくともぼくにとっては、ベロッキオのリアルを考える絶好の作品だ。下のフィルマークスのメモでは、映画と「にもかからわず(nonostant)」というイタリア語について、思いついたことを記しておいた。

filmarks.com

 

4)短編『議論しよう、議論しよう』(Discutiamo, discutiamo)(1969)
ベッロッキオは1939年生まれだから、このときちょうど30歳。映画のなかでは20代に見えた。

filmarks.com

 

5) これも追加。

filmarks.com

6) ついでにこの2本も。

filmarks.com

 

filmarks.com




ベロッキオのリアルについては前記事を参照。

hgkmsn.hatenablog.com

 

また、最近のベロッキオのインタビューでは、これもなかなか参考になる。

www.minimaetmoralia.it