雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ダッカ・テロ事件についてイタリア大統領のコメント(日本語訳)

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ダッカのテロ事件を受けて、メキシコシティを訪れていたイタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領の緊急コメントです。こういうときのコメントは大変難しいのですが、大統領は落ち着いた話しぶりで、言葉を選んでいると思います。イタリア語の勉強もかねて、以下にコメントを書き出し、全文を翻訳しておきます。 30分ぐらいで訳したので、誤訳、誤字脱字などあるかもしれません。みつけたら教えてくださいね。

 

では、どうぞ。

 

www.youtube.com

 

La preoccupazione e l'angoscia di questa notte si sono trasformate in dolore per la morte violenta dei nove nostri concittadini ed in orrore per l'efferatezza degli assassini.

 

不安と苦悩のなかに過ごした昨晩は、9名の同胞市民が暴力的な死を迎えるという悲しみと、殺人者の非道さに戦慄する結果を迎えることになりました。

 

Tutta Italia si stringe intorno ai familiari delle vittime con grande solidarietà. Anche per esprimere questo dolore ho deciso [...] di interrompere questo viaggio per rientrare a Roma e rendere omaggio alle salme dei nostri concittadini.

 

イタリアすべてが犠牲者の家族に寄り添い、なんとか心の支えになろうとしています。この悲しみを表明するためにも、わたしは〔...〕旅程を中断してローマに帰り、わたしたちの同胞市民の亡骸に弔意を表するつもりです。

 

La barbarie del terrorismo è davvero senza confini, il terrorismo con la sua barbarie rappresenta oggi il principale pericolo per il mondo. Occorre un impegno comune, di tutti, con molta determinazione per sconfiggerlo e riaffermare la prevalenza del valore del rispetto per la vita umana, e della libertà, e della convivenza pacifica nel mondo. 

 

テロリズムの野蛮に国境などはまったく関係ありません。その野蛮さによってテロリズムは、今日の世界にとって最大の危機となっているのです。必要なのは、すべての人々が一丸となって、テロを打ち負すための責務に邁進することです。そしてその責務を果たすことを通して、人命を尊ぶこと、自由に生きること、世界の誰もが平和に共生することの価値を、あらためて強く訴えなければならないのです。

まだ読んでいないメルロ=ポンティと映画についての覚書

http://img.xooimage.com/files97/a/8/4/maurice-merleau-ponty-43aae0a.jpg

 

メルロ=ポンティはちゃんと読んでないのに気になる人です。その『知覚の哲学』は気になっているですが、まだちゃんと読んでません。このツイートをリツイートしたのは、そのうち読むための備忘ツイートです。

 

この知覚の哲学者が亡くなったのは1961年で、ぼくの生まれ年というのも、個人的には気になるところ。ポンティの生まれ年は1908年ということですが、だとすると、彼はヴィスコンティロッセリーニの2歳年下ということです。

 

ヴィスコンティロッセリーニのふたりは、イタリアネオレアリズモの代表的監督ですが、このふたりは映画がまだまだ見世物にすぎなかった時代に生まれ、やがて第7の芸術として認知されるころに映画を撮るようになり、その黄金時代に活躍しました。ロッセリーニは最後には映画に見切りつけ、あたらしい技術としてのテレビの世界に向かい、ヴィスコンティは最後まで映画にこだわり続け、失われた世界と時代を見つようとします。

 

このふたりの人生が、ある意味で映画史のドラマチックな世紀に対応しているのだとすれば、とうぜんながらメルロ=ポンティもその時代を生きて、知覚の哲学を考えていたわけです。そしてそこに、映画への言及があるというのは、当然のことように思えるのですが、それが上のツイートような内容だと、少々とまどってしまうわけです。

 

たとえば映画における「人気俳優に対する熱狂」とは、スターシステムのことなのでしょうが、これは今も続いていますよね。「ショットの変化によるセンセーショナルな効果、あるいは筋の急転、美しいシーンの挿入または気の利いた対話の挿入」なんて、今の映画ではあたりまえのように使われる技法ですが、それが「映画を惑わす」というのはどういうことなのか。さらに、これらの要素に惑わされた結果、映画は未だに完全な芸術作品を生み出せていないというのは、どういうことなのか。

 

ここで考えることはふたつ。ひとつは映画の技法の特質とは何か。もうひとつは、そもそも芸術とは何か。

 

ここは当然『知覚の現象学』を読むべきなのですが、手元にないので、一本補助線を引いておきます。

 

むかし少しかじったことのあるR.G.コリングウッドの芸術論です。

 

コリングウッドは『芸術の原理』において、芸術の歴史を魔術的芸術と擬似芸術の拮抗として構想しました。魔術的芸術とは、たとえば宗教のため、政治のために、感情を刺戟して、人々を動員するような働きを持つもの。擬似芸術とは、本格的な芸術を装いながらも、じつは人々を楽しませる娯楽として機能するものです。

 

このふたつの芸術の区分は、ルネッサンスの芸術を考えるとわかりやすいですね。カトリック教会をパトロンとして制作された芸術は、宗教に奉仕するかぎりで「魔術的芸術」にほかなりません。そして、ここで教会のために使えた同じ作家が、メディチ家のような世俗的なパトロンのために、ギリシャの神々を描いてみせるわけですが、これはたしかに「擬似芸術」となりますね。(あ、コリングウッドがこんなことを言っているのかどうか、確認してません。でも、たぶんそんなことを言っているのだと思います)。

 

この区分は、そのまま映画に当てはめることができます。魔術的芸術としての映画は、ロシア革命以降にソ連で発達した映画理論がそのまま当てはまりそうですし、ナチスドイツのリナ・リーフェンシュタールなんて、この系譜で考えられますよね。さらには、イタリアのネオネアリズモなんていうのも、実のところ魔術的芸術だったのかもしれません。なぜなら、明らかにそれは社会的な改革をめざす政治的理想のための芸術だったわけですから。

 

もちろん、ミケランジェロやレオナルドがそうであったように、エイゼンシュタインリーフェンシュタールも、たんなるプロパガンダ映画監督という枠組みを超える魅力があることはわすれてはなりません。同じことは、ヴィスコンティロッセリーニについても言えるでしょう。そのフィルモグラフィーは、とてもネオレアリズモ映画というレッテルがカバーできるものではないからです。

 

それでは擬似芸術としての映画はどうか。たんなる娯楽のための映画というのなら、これはもうハリウッド映画からはじまって星の数ほど上げらえるわけですが、イタリアではたとえばヴィットリオ・デ・シーカを考えてみればわかりやすいかもしれません。そもそも舞台の喜劇役者だったデ・シーカですから、2枚目半の映画俳優から映画監督に転身しても、基本的には娯楽映画を撮っていると自覚していたはずですが、その『自転車泥棒』や『ウンベルトD』などの作品は、あきらかに娯楽の枠をはみ出しているところがありますよね。

 

娯楽の枠をはみ出してしまうような映画は、もはや「擬似芸術」ではありません。あるいは、ロッセリーニの『十字架を持つ男 L’uomo dalla croce』(1943)やヴィスコンティの『妄執(郵便配達は2度ベルを鳴らす)』(1943)など、単なるプロパガンダ映画をはみ出してしまうような映画もまた「魔術芸術」ではありません。ここに姿をみせつつあるものは、ほかならぬ映画のための映画ですね。

 

そんな、映画のための映画をなんと呼べば良いのでしょうか。

 

そういえば、映画音楽で有名なエンニオ・モリコーネは、自分の作っている音楽はサントラではない。映画のための音楽と呼んでくれと言っていましたね。この「映画のための音楽」という表現でモリコーネが言いたかったのは、自分が書いているのはあくまでも音楽であり、それがたまたま、映画のためのもであったということなのです。さらに、音楽家としての彼が当初から目指しきたものが、ほかの何のためでもない音楽、つまりただ音楽のための音楽であるという自負もあるのです。

 

モリコーネは、この音楽のための音楽のことを「純粋音楽」と呼んでいます。それは、音楽という表現手段を極限まで極めてゆくような音楽です。どうでしょう。この「純粋音楽」とはまさに芸術としての音楽のことですね。

 

だとすれば、映画のための映画もまた「純粋映画」と呼ぶことができるのかもしれません。それは芸術としての映画ということです。

 

この芸術としての映画、あるいは「純粋映画」とは、映画という表現手段を極限まで極めてゆくような映画のことです。

 

R.G.コリングウッドもまた、魔術芸術でも擬似芸術でもない「芸術」を、やはり言語のような表現だと考えているわけです。コリングウッドの限界は、ある種の心的状況の「表出 expression」と捉えてしまったことなのかもしれません。

 

きっとこのあたりを B.クローチェは批判したのでしょうね。「表出、表現  espressione」とは、クローチェにとって、表出されたモノそれ自体であり、それ以前にあるものは無記のもの、あるいは未だ表現にならないものと考えるわけです。

 

クローチェにとって重要なのは、具体的な形をもった表現なのであって、それ以前にある心的状態は問題になりません。というか、問題にしてはならないと考えるわけです。考えるべきは、人間の精神的活動であり、その現れとしての表現になる。クローチェはそれをポエジア(制作、あるいは詩的活動)と呼ぶのですね。それは表出のための表出ですから、「純粋表出」ということになります。

 

話を戻しましょう。

 

メルロ=ポンティが「映画を惑わすもの」として批判しているのは、「人気俳優に対する熱狂や、ショットの変化によるセンセーショナルな効果、あるいは筋の急転、美しいシーンの挿入または気の利いた対話の挿入」ということでしたが、これは娯楽映画に特徴的なものであり、すると彼の批判の矛先は「擬似芸術」(あるいは場合によっては「魔術芸術」)に向けられているとことになるのではないでしょうか。そして、芸術としての映画を待望するメルロ=ポンティは、いったいどんな映画を「純粋映画」と考えているのか。彼の言う芸術としての映画とは、具体的にはどの作品なのでしょうか。

 

さあ、少しばかりドキドキしてきたかもしれないですね。

 

ともかくも、まずは、『知覚の哲学』を買わないと。

 

知覚の哲学: ラジオ講演1948年 (ちくま学芸文庫)

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芸術の原理 (1973年)

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英国のEU離脱をめぐる R. Saviano の記事を訳してみた

http://www.robertosaviano.com/wp-content/uploads/2016/06/brexit_615x340.jpg

 

英国のEU離脱をめぐって、いろいろな人がいろいろなことを言っている。ぼくの周りでも、、悲しんだり怒ったりする人がいるし、なんとか結果を受け止めようと考えている人もいる。かとおもえば、中東の事情を考えれば、国境線が変わるなんてあたりまえで、そんなのは特殊ヨーロッパ的事情にすぎないじゃないか、なんて他人事を装う人もいるみたいだ。

ぼくは正直驚いたし動揺もしている。考えざるえないし考える手がかりを探して、つい、キョロキョロとしていたところに、ロベルト・サヴィアーノの投稿が飛び込んできた。一読して、とても勉強になったし、手がかりもいくつかみつかった。

なにしろこういうご時世だ。ともかく多くの人に参考にしていただきたいので、勝手ながら以下に訳出させていただいた。

では、どぞ!

 

www.robertosaviano.com

 

 

 

自由で統一されたヨーロッパをめざして

政治宣言の草案

 

ロベルト・サヴィアーノ

 

ブリクジット:人民が勝利した

 

わたしが思い出す人民は、1938年、ヴェネツィア広場にそろって顔をだしたヒトラームッソリーニを賞賛していたあの人民だ。陶酔と興奮のうちに宣戦布告を求めた人民。ヨーロッパを破滅の淵に追い込むことになる悪人を前にして、ほとんどヒステリックなまで従順にしていた人民だ。 

 

わたしが思い出す人民は、1941年にアルティエーロ・スピネッリが反ファシストとして流刑されるとき拍手していた人民だ。スピネッリは、流刑地であるヴェントテーネ島で、監禁されていたエルネスト・ロッシとエウジェニオ・コロルニらとともに、『自由で統一されたヨーロッパをめざして。政治宣言の草案』(ヴェントテーネ宣言)を書いた。その草案をよく見てみるとき、わたしたちは今日、ほんとうに人民が勝利したと言えるのだろうか?

 

わたしはヨーロッパ主義者、ほんもののヨーロッパ主義者だ。

 

ヨーロッパ共同体はまず第一に、新たな政治的な構想として、紛争を回避するために生まれたものであり、次に文化的な構想である。それからさらに、由々しき問題に関する法律を共有し、組織犯罪、移民、安全保障などに対処するに欠かせない構想である。経済的統合は、最後に来る。

 

EU懐疑派の批判は、ヨーロッパがただの経済的統合であり、恵まれた階級と裕福な国の特権を守るばかりであることに向けられている。これは部分的には単純化された議論なのだが、一方で、ヨーロッパ共同体当局は明らかに、EU懐疑主義のもっとも強力でポピュリスト的な主張が根拠を失うような措置をほとんど打ち出せていない。

 

ブリクジットに関する投票の結果には、ヨーロッパが移民流入の対処に失敗したことが大きな影響を与えた。失敗したのは国境が「ザル状態」であったからでもなければ、移民が「生きる場所を選択できる解放奴隷」であったからでもない。ヨーロッパの理念そのものが基礎を置く基軸原理、すなわち文化的統合と歓待の精神を裏切ったことが失敗だったのだ。

 

ヨーロッパは失敗し、英国は感情と毒を含んだ心に屈し、現実的な利害を考慮できなかった。ヨーロッパ当局には矜持をもった対応が望まれるのだが、そのヨーロッパを成り立たせているのもまた同じ人間、それも、それぞれの苦しみと、ごくごく私的な関心を抱えている人間なのだ。したがって、ヨーロッパの価値を高める矜持などはない。たとえそれが、ただひとつの平和の保証であってもだ。あるのは恐れ。英国のように、ほかの国もまた船を投げ出してしまうかもしれないという恐れなのだ。たしかにそれは不完全な船だが、いままで守ってもらった船だ。改善すべきところはあるが、この船のおかげで、わたしたちは今までよりも意識の高い市民となれたのだ。

 

わたしは1941年のヴェントテーネ宣言を信じ続ける。良き意思がありさえすれば、なおも実現できるはずのヨーロッパの理念を信じ続けるつもりである。

 

2016年6月24日