雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

King Crimson :"Peace - An End"

1968年に結成されて以来、キング・クリムゾンが過去を振り返ったことはない。ただひたすら前へ前へと進んで来たバンド、まさにプログレッシブであり続けたのが、クリムゾンなのだ。

 

ところが今回の「エレメンツ・ツアー 2015」は、まるで過去に立ち戻ろうとしているかのようではないか。

 

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                                          (2015年12月9日 オーチャードホール 東京)

 

『クリムゾンキングの宮殿』や『ポセイドンのめざめ』など、初期のアルバムからの曲が取り上げられたこともある。メル・コリンズも戻ってきたし、ノスタルジックな「21世紀のスキソイド・バンド」のジャッコ・ジャクスジクも、新しい正式メンバーとなった。

 

しかしロバート・フリップの率いるバンドが、懐古趣味やノスタルジーを儲けのネタにして巡業に出るようなことはない。

 

1st や 2nd アルバムからの曲が演奏されたのは、新解釈の “セルフカバー”だ。トリオ・ドラムという編成であり、重厚なリズムセクションから立ち上がる演奏は、新しい驚きに満ちていた。

 

それにもかかわらず、しかし、今回のクリムゾンがなにか過去を振り返っているように見えるのは、きっと時代がぐるりと一巡したからだと思う。

 

例えば、ジャッコがハイトーンで歌い上げてくれた "Peace - An End" に耳を傾けてみればよい。 2nd アルバム『ポセイドンのめざめ』(1970)からの曲だけど、東京公演の最初の4日間、初日を除いて、オープニングに披露されたもの。

 

それにしても、「平和 - 何かの終わり」というタイトルの曲をコンサートの冒頭に置くというのは、なんとも興味深い。確かにその歌詞を読んでみれば、とても同時代的な響きがある伝わってくる。なるほどそういうことかと思わせてくれる。

 

以下に、ぼくの試訳を置いておく。ぼくはなんだか、自分が今立っている時代に亀裂が入り、キング・クリムゾンの活動が始まる60年代末が生々しい姿をひょいと現したように感じたのだが、どうだろうか。

 

ご笑覧。

  

www.youtube.com

 

"Peace - An End"

平和 - 何かの終わり

 

Peace is a word

Of the sea and the wind.

Peace is a bird who sings

As you smile.

Peace is the love

Of a foe as a friend;

Peace is the love you bring

To a child

 

平和という言葉は

海や風のもの

平和という鳥が歌えば

あなたが笑う

平和という愛は

敵を友のようになし

平和という愛を届ける相手は

未来の子ども

 

Searching for me

You look everywhere,

Except beside you.

Searching for you

You look everywhere,

But not inside you.

 

ぼくを探してあなたは

あらゆる場所を探すのに

あなたの傍を見てはいない

自分を探してあなたは

あらゆる場所を探すのに

自分の中を見てはいない

 

Peace is a stream

From the heart of a man;

Peace is a man, whose breadth

Is the dawn.

Peace is a dawn

On a day without end;

Peace is the end, like death

Of the war.

 

平和という小川は

人の心から流れ出す

平和という人は その広い心に 

夜明けを見る

平和という夜明けは

終わりの日の始まり

平和という終わりは まさにあの

戦争に死んでもらうこと

 

 

In the Court of the Crimson King

In the Court of the Crimson King

 

 

In the Wake of Poseidon: 30th Anniversary Edition

In the Wake of Poseidon: 30th Anniversary Edition

 

 

The Elements Tour Box 2015

The Elements Tour Box 2015

 

 

トリルッサ『戦争の子守唄』(1914年)訳してみた

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/3/3a/Trilussa_15.jpg

 

ここのところご無沙汰しているブログですが、今日はイタリアの詩をひとつ訳しておこうと思います。詩のタイトルは La ninna nanna de la guerra (戦争の子守唄) です。

 

この詩を訳さなければと思ったのには、今月13日の金曜日以来の世界情勢があります。その日、ぼくはちょっとした手術のため入院していました。手術が無事終わり、ベッドで休んでいたときのこと。iPad に次々と不気味なツイートが飛び込んで来ます。パリのスタジアムで爆発/コンサート会場に銃を持った連中が立てこもる/人質が次々と殺されている/複数のレストランで銃が乱射され死傷者が出ている… えっ、なんだこれは?

 

そう思ったツイートは、あの「11.13 パリ同時多発テロ事件」を知らせるものでした。その後オランド仏大統領は、緊急事態を宣言して国境を閉ざし、プーチンと歩み寄ってシリア領内での空爆を強化、「イスラム国と戦争状態にある」と宣言しました。一国の元首が「戦争状態にある」と宣言する姿には既視感があります。14年前の「9.11 ニューヨーク同時多発テロ」ですね。あの時も米大統領であったブッシュ・ジュニアが「戦争状態」を口にしましたが、その直後、愛国法が施行され、対外的に軍事力が展開されました。その「テロリズムに屈しない」という言葉とともに始まったものこそ、「対テロ戦争 War on Terror 」と呼ばれるものでした。

 

今回、オランド大統領が宣言したのも明らかに「対テロ戦争」です。これは、「テロリズムに対するグローバルな戦争 Global War on Terrorism 」とも呼ばれるように、グローバル経済の時代の戦争です。それはつまり、地球規模で影響のある戦争だということです。

 

実際、一連の出来事は、遠い日本のぼくの仕事にも影響しました。来年3月に予定されていた某学校のイタリア研修旅行が中止になったのです。ぼくはイタリア語研修授業を担当するはずだったのですが、「今年もまた中止になって残念です」というメールを受け取り、「仕方ないですね」と返事をするほかありませんでした。

 

研修旅行の中止は今年3月のものに続いて2年連続となります。中止の原因は、今年1月7日にパリで起こったシャルリー・エブド襲撃事件と、その後すぐに騒ぎにとなったISによる後藤健二さんたちの誘拐拘束事件でした。この時は、何も中止にしなくても良いのにと納得の行かないものを感じたのですが、さすがに今回のパリのテロ事件では「仕方ない」と思ったのです。

 

今朝のニュースを見ても、ロシアの戦闘機がトルコに撃墜されたと報じられました。トルコは領空侵犯機を撃墜しただけだとしていますがロシアは裏切り者に背後から刺されたとトルコを非難しています。実にキナ臭い事態なのですが、パリのテロ事件からの展開の早さは、明らかに空気が変わってきたことを感じさせて、不気味です。

飛び込んでくるニュースは、どれもビックリするものばかり。あまりに深刻な内容であるために、どうやらぼくらの感覚は次第に麻痺してきているようです。キナ臭くなっている時代の空気に慣れてしまうのは危険です。必要なのはなんとか距離を取ること。

 

ぼくにその距離を取らせてくれたのが、今、イタリアの SNS で話題になっている La ninna nanna de la guerra (戦争の子守唄) という詩だったのです。作者はトリルッサとして知られる詩人カルロ=アルベルト・サルストリ。この子守唄という体裁をとった詩を書いたのは、今から101年前の1914年。ヨーロッパで世界大戦が始まり、イタリアはまだ中立を保っている頃のことです。そんな中、このローマの詩人は、世界で起こっていることを子守唄に歌って子供に語って聞かせようとしたわけなのです。

 

まずは俳優ジージ・プロイエッティによる見事な朗読をご覧ください。朗読の前に、彼はこんな注意をしています。自分はこの詩を笑顔で読むけれど、それはこの詩が子供に受けられた子守唄だから。けれどもその内容は、とても笑顔で読めるものではない、と。

 

www.youtube.com

 

では訳詞をどうぞ。

 

(この朗読では、トリルッサの詩の最初の10行が飛ばされています。1914年という時代を感じさせる部分で、ドイツ皇帝とオーストリア皇帝に対する辛辣な政治的なあてつけになっているものですが、以下の翻訳にはそこも訳しておきました)。

 

 

戦争の子守唄(トリルッサ作、1914年)

 

Ninna nanna, nanna ninna,

er pupetto vò la zinna:

dormi, dormi, cocco bello,

sennò chiamo Farfarello

 

ねんねこ ねんねこ

赤児のほしがるおっぱい

ねんねこなさい かわいい子

さもなきゃ呼ぶぞ、小さな悪魔 *1 

 

Farfarello e Gujermone

che se mette a pecorone,

Gujermone e Ceccopeppe

che se regge co le zeppe,

co le zeppe dun impero

mezzo giallo e mezzo nero.

 

小さな悪魔と大きなグリエルモ*2

頭を下げてへこへこと

大きなグリエルモとチェッコペッペ*3

その身を支えてれるのは継ぎ接ぎの木片

その木片がつなぐ帝国は

はんぶん黄色ではんぶん黒*4

 

Ninna nanna, pija sonno

ché se dormi nun vedrai

tante infamie e tanti guai

che succedeno ner monno

fra le spade e li fucili

de li popoli civili

 

 

ねんねこなさい 眠るがよい

眠ればお前は見ずにすむ

世界に溢れる

多くの非道と災難を

剣や銃を持つのはなんと

文明的な諸国民

 

Ninna nanna, tu nun senti

li sospiri e li lamenti

de la gente che se scanna

per un matto che commanna;

che se scanna e che s'ammazza

a vantaggio de la razza

o a vantaggio d'una fede

per un Dio che nun se vede,

ma che serve da riparo

ar Sovrano macellaro.

 

ねんねこすれば聞こえない

あの吐息も あの嘆き声も

人々が首を掻きあうのは

どこかの狂人が命令するから

首を掻きあい 殺しあうのは

民族の利益のため

あるいは何かの信仰のため

姿の見えないどこかの神様は

うまい隠れ蓑として

屠殺屋の元首が利用するのさ

 

Ché quer covo dassassini

che c'insanguina la terra

sa benone che la guerra

è un gran giro de quatrini

che prepara le risorse

pe li ladri de le Borse.

 

人殺したちの隠れる巣窟

われらの大地を血で汚し

よくわかっているのだ戦争で

大きくお金の動くこと

お金が動いて儲かるは

国庫をあずかる泥棒たち

 

Fa la ninna, cocco bello,

finché dura sto macello:

fa la ninna, ché domani

rivedremo li sovrani

che se scambieno la stima

boni amichi come prima.

 

おやすみなさい かわいい子

大騒ぎの続く間だけでも

眠っているのだ 明日になれば

また元首たちが集まって

互いに敬意を表しあい

以前のように仲直り

 

So' cuggini e fra parenti

nun se fanno comprimenti:

torneranno più cordiali

li rapporti personali.

 

いとこ同士も同然で 親戚だから

遠慮することもない

これまでよりも親密な

人間関係にまた戻るのだろう

 

E riuniti fra de loro

senza l'ombra d'un rimorso,

ce faranno un ber discorso

su la Pace e sul Lavoro

pe quer popolo cojone

risparmiato dar cannone!

 

再び手を取り合うとき

良心の呵責を微塵も感じることなく

あの人たちはみごとな演説で

「平和」や「労働」を訴えるのだろう

そのとき人民はコケにされているのさ

せっかく砲弾を生き延びたというのにね 

 

参考にしたのはこのサイトです。

www.antiwarsongs.org

 

*1:ファルファレッロ:ダンテの神曲に登場する悪魔のこと

*2:ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世

*3:オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世

*4:オーストリア帝国の2色旗のこと

《ファンキー・トマト》、イタリアからの新しい風

前回の「ブドウ畑の階級闘争」では、イタリアの農業における暗い側面を紹介したけれど、今回は明るい話題を伝える記事を紹介したい。

www.huffingtonpost.it

 このハフィントン・ポスト(イタリア)の記事なのだが、さっと訳してみたので、いったいどこが明るい話題なのか、読んで確認してみてほしい。

では日本語訳をどうぞ。

 

ファンキイ・トマト社:
消費者参加型でトマトの一貫性産を行うこの会社*1は、不法な搾取システムであるカポララートにノーを突きつけ、移民たちを雇用している

 

カポララート*2 に変わるシステムが存在する。そういえば、言葉だけではないかと思われるかもしれないが、プーリアとバジリカータの間に広がる半ヘクタールの土地では、すでに現実のものとなっている。可能性のある鍵を握っているのはファンキー・トマト社だ。トマト畑を耕し、収穫し、ビン詰めする、一貫生産の共同経営事業だ。出来高制で労働者を雇うのではなく、正式な契約を結ぶ。そして、じぶんっちの顧客から融資を受ける。同社のプロジェクトに賛同する人が、製品を事前に購入してくれるのだ。トマトソース、むきトマト、ダイストマトなど2万ボトルである。

 チームは起業の当初から、地に足のついた農業を行っている。パオロとジェルヴァスィオは農業が仕事だし、ジュリアは肉体労働者の健康状態を調査している。ミンモは社会学者、エンリコは学識ある農業技術者、ジョヴァンニはエンジニア、ママドウは文化仲介者*3 、ジョルダーノは広報を担当している。

 彼らが働くことに決めた地域もそうだが、南イタリアにおいて、トマトの一貫生産には何千人もの農業従事者と、何百もの加工工場が参加し、年間の生産量が150万から200万ユーロとなっている。郊外にあったバラックや廃屋は、何百人もの外国からの肉体労働者の家となり、彼らはカポララート(手配師による搾取)、出来高による賃金(300キロのトマトの箱にひとつにつき3.5ユーロ)、非合法契約という掟に縛られているのだ。

 「わたしたちの目的は、手配師による搾取のシステム(カポララート)に代わるシステムを作り出して、仕事を求めてわたしたちの国にやってくる移民たちを助けることにあります」。ハフィントン・ポストに、そう説明してくれたのはパオロ・ルッソ、プロジェクトを立ち上げたチームのメンバーのひとりだ。「ですから、わたしたちは彼らに、かなり高い労働日数を保証してやる必要がありました。(政府から)農業失業保険を得るための最低労働日数は52日です。わたしたちが提案したのは、この日数と正規の肉体労働の季節契約です。週に39時間、6時間40分に対して47ユーロとなりますね」

 こうした労働条件を基準にすることで、ファンキー・トマト社は4人の従業員を雇うことができた。セネガル人のママドゥ、ブルキナ共和国人のヤクーバとワリム、そしてイタリア人の非正規労働者で若い母親のアニータだ。「これがファンキーという形容詞の意味なのです。それはジャンルの異なる音楽が混じりあってできた音楽を表すものですね。同じことが移民にも言えます。彼らはわたしたちの文化と混じり合い、それを豊かにしてくれるのです。彼らは膨大なリソースであり、ただ通り過ぎてゆく人々ではないです」

 ママドウのストーリーは典型的だ。「わたしたちが知り合ったとき、彼はロサルノのアパートにいて、何時間もラディオ・ラディカーレ*4のラジオ放送を聞いていました」。そう語るのは彼の旅の仲間だ。ママドゥはセネガルで漁師をしていた。イタリアに着いたとき、彼はディスコで用心棒の仕事を始めたが、やがて失業、それでもカポララートに屈しようとはしなかった。「ぼくは自由人だからね」。その彼は今、プロジェクトの中心メンバーとなっている。

 ママドゥと同様に、移民労働者だったヤクーバとワリムのふたりもまた、不法労働を拒絶している。そんな労働をしてまみたものの、その後、彼らはファンキー・トマト社が人を探しているという話を耳にし、挑戦してみることにしたのだ。「わたしたちを選んだのは彼らなのです。わたしたちではありません」。そうルッソは語る。「それでもうれしいのは、彼らに工業的で集約的な生産形態とは違う生産モデルを知ってもらうことができ、また、農業が搾取だけで成り立っているのではなく、職人的な作業と、品質を大切にするものだということを理解してもらえたということなのです。ここではそんな能力を身につけることができます。ここで習得した仕事は、他の仕事をするときにも役立つはずです。わたしたちは、さらに S.P.R.A.R.(難民救済保護対策機構)*5とも協力を始めたいと考えています。移民のことを、単純な肉体労働力と考えてはなりません。そうではなく、彼らを助け、専門的な能力を持った技術者になれるようにすることが必要なのです」

 もちろん、この仕事は多くの苦労がともなう。小さくて、職人的で、有機の商品を生産する企業が、市場で生き残るのは簡単なことではないのだ。最終的な商品が1キロ 1.70ユーロというのは、工業製品に比べると値段が高いが、それでも、同じような理念で運営している他の企業のものと比べると安価だ。彼らの製品の購入者は、おもに、レストラン関係者(彼らのほうでも、小規模な流通を行ってくれます)であったり、搾取のない商品に関心を持つ卸売業社であったり、小さな商店であったり、個人であったりする。「こうした人々は、なにか価値のある経済 un’economia virtuosa のために役に立ちたいと考えています」。そうルッソは説明する。「長く存続し、地域に連続性を生み出せるようななにかを、創造したいと考えているのです。それにわたしたちは、なんとか成功しつつあります。すばらしい仲間にめぐまれたからです。ですから今は、この仕事を継続しながら大きくしてゆき、できればオリーブ製品にも同じようなプロジェクトを展開させられたらよいと考えています。ともかく、来年の春にはふたたびトマトから再スタートですね」 

 

このハフィントンポスト(イタリア)の記事は、ぼくにはとても新鮮で、将来への可能性のようなものを伝える話題に思えたのだ。

ちょっと調べてみると、ファンキー・トマト社のような生産形態に似たものとして、アメリカに CSA(Community Supported Agreculture「地域支援型農業」)というものがあるらしい。これは、消費者が地域の農家と直接契約し、代金を前払いして農産物を購入するシステムだというから、まさにファンキー・トマト社の「消費者参加型の一貫生産 filiera partecipata 」と重なるところがある。そこでは、消費者が前払いによる購入をすることで、不作のリスクが分散され、農家は一定の収入とともに販売先を確保できるというわけだ。

 しかし、ファンキー・トマト社がやろうとしていることはそれだけではない。 ご存知のように、 イタリアのトマトソースの生産量は世界的にも高く、アメリカに次いで2位。しかし、そのイタリアでのトマトの収穫には、多くの移民労働者や外国からの季節労働者非正規労働者として駆り出され、その背後では、カポラーレと呼ばれる手配師による搾取が横行していた。けれども、そんな状況に逆らい、新風を吹き込もうとする人々が、この「ファンキー・トマト」という新しい生産形態を立ち上げたのだ。つまり、新しい農業システムの強みに、搾取のない製品という倫理的な価値を付与したというわけだ。

 この正しいことをしたいという強い思いとともに、さらにもうひとつ強調しておきたいのは、ファンキー・トマト社のセンスのよさだ。もちろん、トマトソースを生産する会社だから、トマト農家が中心になるのだが、参加しているのは農家だけではない。芸術家、音楽家、農業技術者や、文化コーディネーターなど、多様な人々が自分の個性を生かして、経営に関わっている点は、今一度、強調しておいてもよいだろう。

 それはどこか、今日本で学生たちが立ち上げた SEALDs のセンスのよさに通じている。ファンキー・トマトにもまた、言葉、ヴィジュアル、そして当然のように音楽的な若々しさが感じられるのだ。

ファンキー・トマトのサイトには、たとえばこんなビデオが紹介されている。

www.youtube.com

 パッと見て目を引く映像ではないかもしれない。バックに流れる音楽も、洗練されたものではないかもしれない。しかし、ここには手作りながらの味がある。その背後には、自分たちのことを伝えようとする思いが感じられる。だからこそ、素朴さのなかに伝わってくるものがある。

関心のある方は、彼らのサイトを覗いてみてほしい。イタリア語のサイトだけど、なかなかいかした作り方をしている。少なくともぼくは、そう思う。 

www.funkytomato.it

 

*1:l'azienda di pomodori a filiera partecipata: "filiera" は、瓶詰めトマトソースなどを、原料を育てるところから始め、収穫から製品への加工などを一貫して行うシステムのこと。"partecipata" は「部分的な子会社」という意味だが、ここで資本金を出資している親会社がいるという意味ではなく、消費者から直接に出資を集い、消費者の参加 partecipazione によって経営する会社という意味なのだろう

*2:caporalato: 「手配師 caporale 」と呼ばれる斡旋業者が高額の手数料を取って不法労働者を安く斡旋するシステムのこと

*3:mediatore culturale: 文化的な仲介者の意味だが、2ヶ国語が話せる代理人として、母語しか話せない者同士を仲介し、言語の異なる2つのコミュニティーの構成員が、相互にコニュニケーションがとれるように計らう仕事のこと

*4:RADIO RADICALE: イタリア急進党によるラジオ放送局のこと

*5:Il Sistema di protezione per richiedenti asilo e rifugiati (SPRAR): http://www.sprar.it