雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

『ジャージー・ボーイズ』(1):イタリア系コミュニティーのこと

 

ジャージー・ボーイズ(字幕版)

 

週末、イーストウッドの『ジャージー・ボーイズ』を見た。堅実な演出。キャスティングよし。音楽よし。ちょっと驚いたのは、うちの高校生の娘が、60年代の楽曲や舞台のパフォーマンスを見て、「こういうの好きだわ」とつぶやいていたこと。へえ、以外と60年代のポップスって新しく響くのかもしないな、なんて感心。

 

 さて映画は、そんな60年代にヒットを飛ばしたフォー・シーズンズのサクセスストーリー。彼らの出自が、ニュー・ジャージーのイタリア系社会ということで、イタリア語がポンポン聞こえてくる。どうやらクリント・イーストウッド自身にも、故郷のオークランド(カリフォルニア)でイタリア系住民との接点があったらしい。彼はこの映画についてのインタビューのなかで、こんなふうに答えている。

 

- フォー・シーズンズのメンバーそれぞれについて、あなたがもっとも関心を持ったものは、どんな特徴なのですか?

- わたしは、すべてに関心を持ったのです。私が育った地元で、わたしが通った学校は半数がイタリア系アメリカ人で、それはとても興味深い時代だったのです。オークランドカリフォルニア州)ですね。ですから、わたしにはイタリア系のコミュニティーのことがわかるように思えたのです。コミュニティーには多くの友達がいました。わたしたちはお互いをダーゴっぽい名前(イタリア系の名前)で呼び合っていました。ですから、ダイナ・ワシントンが “What a difference a day makes” (1959) (「1日あると大違い」)をヒットさせたとき、わたしたちは “What a difference a dago makes” (一人のイタリア系がいると大違い)なんてやっていたものです。友好的で楽しい時代でした。

 

英語で dago というのは、イタリア系やヒスパニック系の住民のことを指す蔑称だけれど、その言葉を使うイーストウッドには、差別意識は感じられない。むしろ、イタリア系のコミュニティーに友人を持ち、「友好的で楽しい時代」を送っていたというのだ。おそらくはそれが、後にスパゲッティ・ウエスタンと揶揄されるセルジョ・レオーネの作品に出演することに結びついたのかもしれない。イーストウッドは後に、ヴェネツィア映画祭で功労賞を受賞するのだが、受賞のスピーチは拙いながらもイタリア語で行った。ペーパーを見ながらのスピーチだったが、それでイタリア語で話そうと思ったのは、自分を世に送り出してくれたレオーネとイタリア映画界へのリスペクトだけではなく、彼が育った地元でのイタリア系住民との友情もあったのではないだろうか。

 

イーストウッドがどうしてまた、『ジャージー・ボーイズ』というブロードウェイミュージカルを映画化する気になったのか疑問だったのだが、こういう話を聞いていると、少し納得できた気がする。この映画は、ある意味で、イーストウッドが育ったオークランドでのイタリア系コミュニティーとの「友好的で楽しい時代」の思い出でもあるわけだ。だからなのだろう、ときおり聞こえるイアリア語がとても自然なのだ。へたな英語なまりのセリフではなく、本物のイタリア移民らしく聞こえるあたりに、イーストウッドのこだわりが感じられる。

 

しかしイーストウッドは、そんな「友好的で楽しい時代」に、深く付き合ったからこそ、イタリア系コミュニティーにある問題に気がつき、それを『ジャージー・ボーイズ』に反映したというのだ。インタビューの続きを聞いてみよう。

 

けれども、そのときイタリア系コミュニティーの閉鎖性を大いに理解できたのです。(映画では)そのたりを少し触れたわけです。なにもかもやるわけにはゆきませんから。イタリア系コミュニティーには、ある種の特徴があります。クリシェのようなものかもしれないし、そうではないかもしれない。悪い道に入ると、どこまでも悪い道をすすむことになるのです。今だにそうであるかどうかわかりませんが、そんな歴史的な感覚があるのです。わたしはそこに関心を持ちました。どうしてだかわかりません。関心を持ったのはきっと、オークランドであの頃知り合った人々や、友達のことがあったからでしょう。後にニュー・ジャージーにも行ってみましたが、そこにはトミー・デ・ヴィートの名前をつけた通りがあります。あの4人に関しては、ミュージカルのおかげで、いまだに続く文化的なものがあるのです。だからこそ、人々は通りに名前をつけたのだと思いますよ。わたしの名前をつけた通りなんてありませんからね。

 

ここでイーストウッドは、イタリア移民たちのコミュニティーにふたつの面を見ている。一方では、それが閉塞的であり、悪い側に入るなかなか抜け出せないこと。しかし、同時にそこに文化的な連続性があること。この連続性によって、このコミュニティーの外に出て成功をつかんだ者がその後も記憶されてゆく。その意味で、映画の冒頭、フランキー・ヴァッリの家に入ったカメラが、壁に飾られた2枚一組の写真を映し出すことに注意しなければならない。その豪華な額縁に入れられた写真の左側はローマ教皇ピウス12世(在位1939-1958) であり、右側は、同じニュージャージー出身のフランク・シナトラ(1915-1998)なのである。プロテスタントの国アメリカで、遠くローマの教皇を想いながら、閉鎖的なコミュニティーを抜け出しての成功を夢見るイタリア系住民の心情をみごとに表したカットではないか。

 

f:id:hgkmsn:20150517112636j:plain

 

ではイタリア系の若者たちは、どうやって自分のコミュニティーを抜け出すことができるのだろうか。主人公のひとりトミー・デ・ヴィートは「当時は地元から抜け出すのに3つの道があった(There were three ways out of the neighborhood.)」と言うと、こう続ける。

 

You join the Army and maybe get killed. 

You get mobbed up, you might get killed that way.

Or you get famous.

 

字幕はこうだ。

 

軍隊に入る、でも殺される

マフィアに入る、それも殺される

有名になる

 

たしかに、軍隊に入れば文字通り「地元を抜け出せる」だけではなく、給料だって支給される。しかし、当時はちょうど朝鮮戦争(1950- 1953)の真っ只中。当然、戦地に送られる危険は覚悟しなければならない。

 

もうひとつの道は「マフィアに入る」こと。ここで使われている英語は mobbed up 。 mob は名詞では「群衆」だが、動詞では「群れて襲う」の意になり、さらに be mobbed up となると「犯罪組織に入る」となる。イタリア系住民にとっての犯罪組織とはマフィアだが、マフィアになれば地元を離れられるわけではなく、金が入っていくるということ。そうすれば少なくとも「近隣地区neighborhood」からは離れた場所で、少しは贅沢な暮らしができるかもしれないが、当然、殺されてしまうかもしれない。

 

残されたのが「有名になる」道だ。まさに地元出身のフランク・シナトラが、その前例なのだが、その有名なシナトラにしても、実は地元を抜け出すのは簡単ではない。よく知られているように、芸能界は常にマフィアとつながりが噂されるところ。シナトラにもそんな闇社会との噂が絶えなかった。しかし、この関係は、少しでもイタリア系社会のような閉鎖的なコミュニティーを知るものには、当たり前のことなのだ。なにしろマフィアは酒場や劇場の自警団であり、もちろん財力もある。ミュニティーのなかで芸能界を目指す才能ある若者にとって、そんな裏の権力者との関係を持たずに有名になることは、ほとんど考えられないのではないだろうか。

 

だからこそ、デ・ヴィートは「俺たちには3つの道のうち2つがあった For us, it was two out of three.」という。音楽を志しながらも、マフィアのボス(クリストファー・ウォーケン)の庇護のもと、泥棒に入り、盗品を売りさばく。たしかに、イーストウッドの言うように、「悪い道」を選んだものは永遠に「悪い道」を行くことになるのかもしれない。しかし同時に、その道をまったく通らずにして、後にフォー・シーズンズとして成功する若者たちが地元を抜け出すことはなかったのだろう。

 

イーストウッドは、そのあたりの事情を十分に意識している。マカロニ・ウエスタンのように、「いい奴」と「悪い奴」と「醜い奴」という図式では割りれないものがあるのだ。『ジャージー・ボーイズ』という映画は、イタリア系のコミュニティーをなんとか抜け出そうとする若者たちが、きれいごとだけで生きてきたわけではないことを、しっかりと見据えようとする。「悪い道」からどうしても抜け出せないデ・ヴィートの借金を、「悪い道」には進もうとはしなかったフランキー・ヴァッリが背負うのは、そういうことだ。それを彼は「ジャージー流」の解決方法だと言う。いくら自分が「悪い道」に進むことがなかったといえ、ヴァッリには、デ・ヴィートの「悪い道」もまた、自分たちの成功のために欠かすことのできない道のひとつであったことがわかっていたのだ。たとえそれが、過ぎたものであれ、今の自分を作ってくれたものへの敬意を忘れないこと。それは、イタリア系のコミュニティーに綿々と続き、デ・ヴィートの名前を通りに刻んだ文化的な伝統と同じものなのではないのだろうか。

 

(続く)

 

 

 

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック