あと1ヶ月ほどとなった「あまちゃん」だが、今日はその劇中映画「潮騒のメモリー」のラストシーンの撮影の場面だった。
思い出してみよう。瀕死の母を演じる鈴鹿ひろ美(薬師丸)が、予定外の演技で布団から起きだし、タンスの引き出しを開けると、この動きに、モニターを見つめていた助監督が思わず口走る。
「まさか開けると思ってないから美術部の備品しか入ってないです、刷毛とかペンキとか」
ところが鈴鹿ひろ美は、おかまいなしで開けた引き出しからペンキだらけのぞうきんを取り出すと、それをアキに手渡して言う。
「この先、辛れえことがあったら、これで涙ふけ!」
夏ばっぱを思い出したアキは、おもわず流した涙をそのぞうきんで拭こうとする…。笑えるシーンなのだが、おもわず涙してしまうシーンでもある。お見事!
それにしても、である。撮影の小道具を準備するにあたって、読むことない手紙の中味を用意させたり、開けることのないタンスやカバンにも中味を仕込ませておいたというのは、黒澤や小津や溝口など名前とともに伝えられてきた日本映画の撮影現場ではなかっただろうか。そう考えれば合点がゆく。なるほどこのシーンは、小道具の見えない部分にまでこだわったかつての日本映画へのオマージュだったのだ。やるな、クドカン。
ここまででも充分にお腹いっぱいなのだけど、さらにクドカンは、続くシーンでみごとな俳優論を展開している。
見てみよう。『潮騒のメモリー』の撮影が終わり、いつもの無頼鮨。いつもの座敷席で向きあうのは、もちろん鈴鹿ひろ美と天野アキ。そこでアキがたずねる。
「で、どうですか。女優として、天野アキは?」
アキは今、かつて42回のNGを出したときのことを思い出している。「女優はだめ、向いてない」という鈴鹿の厳しい言葉が忘れられないでいるのだ。ところが、答えはこうだ。
「だめね、やっぱり向いてない」
そう言われるのをなかば予想していのだろう。「やっぱりだめか」と素直にうなずくアキに、それでも『潮騒のメモリー』の演技はよかったという鈴鹿は、こう続ける。
「ただ、あれは鈴鹿アキじゃなくて、天野アキだったのよ」
「鈴鹿アキ」は『潮騒のメモリー』での役名だ。その「アキ」ではなく「天野アキだった」というのは、彼女に役を演じることが出来なかったという批判に聞こえる。ところが鈴鹿の言葉は、ここからアクロバットさながらの跳躍をする。聞いてみよう。
「今、日本で天野アキを演じさせれば右に出るものはいないわ」
もちろんドラマを見ている視聴者にとって、この言葉がアキを褒めるものだということは明らかだ。しかし、それにしてもである。天野アキがみごとに天野アキを演じているということが、どうして褒め言葉になるのだろうか?
ここでちょっと少し回り道をしてみようと思う。
かつてルキノ・ヴィスコンティは、そのデビュー作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1943年)を発表したころ、“Cinema antropomorfico” と題された映画論を書いている。そこにおいて未来の巨匠は「壁が一枚あれば映画は撮れる」と豪語しているのだが、その部分にはこんな続きがある。
[...] potrei fare un film davanti a un muro, se sapessi ritrovare i dati della vera umanità degli uomini posti davanti al nudo elemento scenografico: ritrovarli e raccontarli.
(http://www.luchinovisconti.net/visconti_al/cinema_antropomorfico.htm)
わたしなら壁一枚の背景だけで映画を撮ってみせます。必要なのは、その剥き出しの舞台装置の前に立たせた人間に、真の人間性の姿を見出すこと。その姿を見出し物語ることができれば、それで映画になるのです。
どうだろう。ヴィスコンティは舞台装置や小道具に徹底的にこだわる監督として知られているが、その関心はあくまで「真の人間性の姿 i dati della vara umanità 」を語ることにあったのだ。そもそもミラノの貴族として育ち、パリで共産主義に惹かれると、ついには映画を撮るようになるのだが、そこには人間への強い関心が働いていたのだ。彼の言葉を聞いてみよう。
Al cinema mi ha portato soprattutto l'impegno di raccontare storie di uomini vivi: di uomini vivi nelle cose, non le cose per se stesse.
(ivid.)
わたしが映画を撮るようになったのは、なによりも生きた人間の物語を語る責務からなのです。それは事象のなかに生きた人間の物語であり、事象そのものではありません。
「事象 le cose 」ではなく、あくまでも「生きた人間の物語 le storie di uomini vivi 」を語るような映画のことを、ヴィスコンティは「人間の姿をした映画 il cinema antropomorfico 」と呼ぶ。だから、彼にとっての理想的な役者とは、特に演技のうまい役者である必要はなく、ただ「生きた人間」でありさえすればよいということになる。だからヴィスコンティは、あの『揺れる大地』において、シチリアの漁民たちに自分たちの言葉であるシチリア語で、自分たち自身をみごとに演じさせたのである。
そういえば、日本のさる巨匠も(溝口健二か?あるいは小津安二郎だったか?)、カメラの前で俳優に何度も何度も同じ演技を繰り返させたという。そして、疲れ果てた彼や彼女が、おもわず自分をさらけ出した瞬間にOKを出したというのだ。そんな日本の名匠たちもまた、ヴィスコンティのように「生きている人間」を求めて、役者たちに(ある意味で)自分自身を演じさせようとしたとは言えないだろうか。
そういえば、マストロヤンニも笠智衆も三船敏郎もみんな不器用な俳優だった。そしてどんな映画に出てきても、そこにはいつも控えめなマストロヤンニや、朴訥とした笠智衆や、不器用な三船敏郎だけがいたのである。映画のスターとは、そういうものではなかったのだろうか。彼らがあきもせず自分自身を演じ続けてくれたおかげで、その生きた姿を収めたフィルムを通して、ぼくたちの手元には数々の名作が残されたのである。
目指すべき映画が人間の姿をした映画なのなら、目指すべきドラマは人間の姿をしたドラマになるはずだ。 おそらくそういうことなのだろう。だからクドカンは、かつての自分自身が不器用なアイドルであった鈴鹿ひろ美に、おなじく不器用で自分が「女優としてはどうなのか」と悩むアキに対して、こんなふうに言わせたのである。
「向いてないけど…、向いてないけど続けるっていうのも…、才能よ」
胸を打つセリフではないか。ここには、かつての名優たちへの万感のオマージュがあるだけではない。役者に向いてはいなくても、自分を演じられる人間であり続けることができれば、それだけで立派なものだという力強いメッセージが込められているのである。
そんな生の人間の姿によって映画やドラマが生まれるのだとすれば、そこに生まれた作品はどこまでも人間の姿をしたものになってゆく。そしてそれは「人間の姿をした作品 (l'opera antropomorfica) 」として、ぼくたちの人生にかぎりなく近づいてゆくのだと思う。