雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

デビィッド・ボウイのイタリア語:Ragazzo solo, ragazza sola (1970) 訳してみた

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11月2日に朝カル横浜で「ベルナルド・ベルトルッチとは誰だったのか」というお話をしてきました。

この日は奇しくも、ルキノ・ヴィスコンティの誕生日なのですが、本人はこの日付を不吉なものと感じていたらしい。というのも、11月2日はイタリアで「死者の日」と呼ばれているからです。そんな不吉な日に亡くなったのがピエル=パオロ・パゾリーニヴィスコンティはともかく、パゾリーニのほうはベルトルッチと大いに関係のある人物。この「呪われた詩人」の導きでベルトルッチは映画の道に進んでゆくのですから。

そんなセミナーのために、今回、ほぼ同時代で追いかけていたベルトルッチという人の作品を、もういちど初めから見直してみました。いろいろな発見があったのですが、そのなかのひとつが、ボウイがイタリア語で歌った「Ragazzo solo, ragazza sola 」という曲なのです。

この曲は、実は1969年の「スペース・オディティ」のイタリア語版です。イタリアでの販売が思わしくないので、テコ入れのためにイタリア語の歌詞をボウイ本人が歌ったようです。しかし、オリジナルが「Ground Control to Major Tom」という有名な出だしとともに、宇宙に飛び出したトム少佐と管制塔とのシュールなやりとりを歌ったものだとすれば、イタリア語版の「Ragazzo solo, ragazza sola 」の歌詞は宇宙を歌ったものには聞こえません。なにしろ管制塔とトム少佐の代わりは「孤独な少年、孤独な少女」であり、宇宙に関するものといえば「天使」が登場するくらいでしょうか。

ところが、この曲はイタリアでずいぶんヒットしたようです。当然、ベルナルド・ベルトルッチも聞いていたのでしょう。そして遺作となった『孤独な天使たち』(2012年)のなかで、日に印象的に使って見せてくれた。ぼくは、その曲が聞こえてきた場面で、おもわず思いました。知っている曲なのに、はじめて聞くようだと。

ぼくはエンドクレジットで、これがボウイの有名な曲のイタリア語版だと知り、本人が歌っていたことを確認したのですが、同時に、日本語のタイトルが「孤独な天使たち」となっていることにも合点がゆきました。なにしろ原題は「Io e te (ぼくとあなた)」。「天使」は、ボウイのこのイタリア語版の歌詞から来ているのでしょう。

ベルトルッチの映画では、「Io e te」は15歳のロレンツォと、20代なかばのオリヴィアの話です。ふたりは母親の違う弟と姉。事情があって、ずっと会っていなかったのに、地下の密室に隠れて数日間をともに過ごすことになります。弟が、スキーにゆくと嘘をついて友人や家族から離れてひとりで引き籠るために見つけた地下室に、事情があって姉がやってきてしまうのです。

 

最初は対立していた弟と姉ですが、やがて少しずつ、お互いを発見してゆきます。そして互いに抱えている苦しみを知ってゆき、それを乗り越えてゆくことになるのですが、まさにその瞬間に流れる曲が、デヴィッド・ボウイの「Ragazzo solo, ragazza sola 」なのです。

ぼくはこのシーンに鳥肌が立ちました。ベルトルッチの最初デビュー作『殺し』のラストのタンゴのシーンから始まり、『暗殺のオペラ』の村祭りのダンス、『暗殺の森』のドミニク・サンダステファニア・サンドレッリのダンス、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の泥酔したマーロン・ブランドマリア・シュナイダーのダンスなどが、走馬灯のように蘇ってたからです。

そうなのです。ダンスはベルトルッチの紋章のようなもの。だとしたら、この遺作における若いふたりのダンスは、残念ながらこの監督の最後のダンスシーンとなりましたが、じつのところそれは、終わりのダンスのようでいて、終わったところから始めるためのダンスなのではなかったでしょうか。

だとするならば、ボウイとベルトルッチのそれぞれが、ある時期、チベット仏教にひかれたことを思い出しておくべきなのでしょう。とりわけ、輪廻転生で知られるチベット仏教にとって、死は不吉なものではなく、ただ別の生への始まりにほかなりません。

ボウイの歌で、宇宙に飛び出したトム少佐が見つめているのは、虚無なのですが、その虚無こそが、仏教的な始まりだと考えられるのかもしれません。じっさい、ボウイにとってこの宇宙の虚無を歌う奇妙な歌は、そのキャリアの始まりとなるわけです。

いっぽう、イタリア語の歌詞もまた、そんな虚無を歌っているように思えます。恋人に振られた少年が、その目の中で、天使が飛ばないことを繰り返すとき、飛ばないことそのものから、何かが生まれてくるようには感じられないでしょうか。

実際、この映画のロレンツォとオリヴィアは、この曲を抱き合って踊ったあとで、それぞれの人生に踏み出してゆきます。そのダンスはエロス・ダンスではありません。暗い地下室のタナトスとの、すなわち死とのダンスなのですが、それはその向こう側へと歩き出すためのものにほかならないのではないでしょうか。

追記 2022/4/23 

その部分の映像があったので貼っておきますね。

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そんなボウイの歌う "Ragazzo solo, ragazza sola" 、映画では日本語字幕がきちんと訳してくれているのですが、ぼくなりに訳してみることにしました。ご笑覧。

www.youtube.com

ひとりぼっちくん ひとりぼっちさん

Ragazzo solo ragazza sola 

ぼくの頭が飛び立った
ただひとつだけの思い
残されたぼくは眠る街を歩いてる

La mia mente ha preso il volo*1
Un pensiero uno solo
Io cammino mentre dorme la città

夜にその瞳は
夜の白い灯火
ふと声がかけられる 誰だろう? 

I suoi occhi nella notte
Fanali bianchi nella notte
Una voce che mi parla chi sarà?

ひとりぼっちくん どこにゆくの
どうしてそんなに苦しいの?
愛する人を失くしたのだね
でもね 街は愛に溢れてる

Dimmi ragazzo solo dove vai
Perché tanto dolore?
Hai perduto senza dubbio un grande amore
Ma di amori è tutta piena la città

ひとりぼっちさん ちがうよ
今回はそっちが間違えてる
愛する人を失くしただけじゃない
昨夜は 一緒に 全て失ったんだ

No ragazza sola, no no no*2
Stavolta sei in errore
Non ho perso solamente un grande amore
Ieri sera ho perso tutto con lei

でもあの人の
色は生命の色
そして青い空の色
あんなひとには もうめぐりあえない けっして

Ma lei
I colori della vita
Dei cieli blu
Una come lei non la troverò mai più

ひとりぼっちくん これからどこにゆくの
夜の広い海を泳ぐなら
わたしが手を貸してあげてもいい
ありがとう でも今夜のぼくは死にたい気持ち

Ora ragazzo solo dove andrai
La notte è un grande mare
Se ti serve la mia mano per nuotare
Grazie ma stasera io vorrei morire

だってほら ぼくの目の中で
天使が 天使がいるのに
もう飛ばない もう飛ばない
もう飛ばない

Perché sai negli occhi miei
C'è un angelo, un angelo
Che ormai non vola più che ormai non vola più
Che ormai non vola più

それはあの人
その色は生命の色
青い空の色
あんなひとには もうめぐりあえない けっして

C'è lei
I colori della vita
Dei cieli blu
Una come lei non la troverò mai più

 

追記:

イタリアの同僚たちはこの歌のことを知らなかった。興味深かったのは、ボウイのイタリア語がすごく耳障りだという反応。英語のオリジナルは素敵なのに、イタリア語は全然だめだというのがおもしろい。ぼくまあ、オリジナル方がよいと思うけれど、ボウイのイタリア語は、それなりに味があると思ったけどね。
でも、そういえば、映画のなかでボウイの歌声には、オリヴィア/テアが言葉を重ねながら歌っているんだよね。彼女がボウイと合唱しているようでもある。だから、映画ではぜんぜん違和感がなかったのかもしれない。

実は同じ曲が映画のラストでも流れるのだけれど、こちらはオリジナルの Space Oddity で、はっきりとボウイの歌声が聞こえてくる。知っているから、ああ、オリジナルだと思うのだけど、この曲を初めて聞いたイタリア人の同僚たちは、イタリア語版とオリジナルが、同じ曲とは思えないと言っていた。
うん、そういうものかもしれないな。言語が変わると、同じ曲をうたっても、すっかり違う曲に聞こえてしまうんだ。

 

孤独な天使たち (字幕版)

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Ragazzo Solo, Ragazza Sola (2015 Remaster)

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*1: "la mia mente" の訳が難しい。「ぼくの心」とやれば簡単なのだけど、mente は「心」ではなくてむしろ「頭」のなかの知的な活動のことを言う。prendere il volo はふつう飛行機に乗って飛び立つこと。もちろん抽象的に「飛び立つ」の意味でもよいのだけれど、具体的に「飛び立ったのは」、おそらく、「ぼく」が別れた彼女のことなのではないだろうか。この部分、最初は「頭の中の僕が飛行機に乗って飛び立った」とやたのだけど、見直して、少し直訳調に「ぼくの頭」とすることにした。mente とは結局の人が考えるときの頭のことなのだし、その「頭」が飛び立つというのは、なんだかクスリでもやっているような感じになる。そのようがボウイの歌詞らしいかもしれない。いずれにせよ、ここで「ぼく」は、別れた彼女のことですっかり「頭」がどうにかなってしまっているというわけ。もちろん、ここはボウイのトム少佐のことが連想されているのかもしれない。ロケットにのって宇宙に飛び出したトム少佐は、自分を振って飛行機に乗って飛び去った彼女に対応するのではないだろうか。

*2: この ragazza sola とは誰のことなのか?初めて会った相手ではない。おそらくはこの孤独な少年の知り合いで、彼女もまた孤独な少女なのだろう。けれども、ふたりの関係がこの歌だけではわからない。そこでベルトルッチが持ち出してきたのが、ロレンツォとオリヴィアという腹違いの姉弟なのだ。ふたりの間にはエロス的な関係はない。それでも、強い絆が生まれることになる。それはきっと、地球の管制官と宇宙のトム少佐のような、生命に関わる強い関係なのだ。そしてこの束の間の会話にどこか死の匂いが漂うところを、というのも、ここで話しかけてくる「ragazza sola」は、どうしても「死に神」のように思えるからだ。ところが、ベルトルッチは、この「死に神」を、もうひとりの孤独な少女として描き出す。そうすることで、死を追い払い、生への道を開こうとしたのだ。それこそが、このベルトルッチの遺作が文字通り残してくれたメッセージにほかならない。曰く、扉を開けて、現実の世界に出よ、そして生きよ、と。