ずっと疑問だったことがひとつ解消した。加藤典洋の『9条入門』を読んでいて、イタリアの憲法の「戦争放棄」という部分に言及した箇所を読んで、ぼくは、ああそういうことだったのかと膝をうった。「同じ敗戦国であるドイツとイタリアの憲法にはあった《相互主義の原則》が、日本の憲法9条には存在しませんでした」という指摘のことだ。加藤はこう書いている。
第2次世界大戦の枢軸国は、イタリア、ドイツ、日本の順番で降伏しています。しかし、敗戦後の憲法公布は、日本、イタリア、ドイツの順番で、日本だけが、異様な短期間のうちに改正案を提出、制定議会での審議をすませ、広布にいたります。(p.159)
イタリアの降伏は1943年の9月8日だった。休戦協定の調印は正式には9月2日だが秘密裏に行われ、その発表が8日だった。すでにムッソリーニは失脚し、新しく首相となったバドッリョがラジオで次ような演説をする。
イタリア政府は、敵の攻勢に対して不利な戦いを続けることは不可能だと判断し、国家国民にこれ以上に深刻な悲惨をもたらすことがないようにするため、米英軍の指揮官たるアイゼンアワー将軍に休戦を申し出た。
申し出は受け入れられた。
したがって、米英軍に対するイタリア軍によるあらゆる敵対的な活動は、いかなる場所にあっても、停止されなければならない。
しかしイタリア軍は、他の方面からの攻撃があった場合には、これに立ち向かうであろう。*1
このラジオ放送は、ほとんどの国民にとって戦争の終結と受け取られる。しかし、その直後に国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世と首相バドッリョは、首都ローマを離れ、連合軍の支配する南イタリアのブリンディシへと逃れる。すべてを察知していたドイツ軍は「灰作戦」を準備しており、ただちにイタリア全土を支配下に収め、逮捕されていたムッソリーニを救出すると、ナチスドイツの傀儡政府として、サロ共和国を設立させる。それはイタリア人にとっては、まさに「天が落ちてくる il cielo cade 」ような出来事だったわけだ(興味のある方は『ふたりのトスカーナ Il cielo cade』という映画をご覧あれ)。
おっと話がそれた。ようするにイタリアは1943年というかなりはやい時期に敗戦国となっており、その後はナチスドイツとファシストに対するレジスタンス闘争という、内戦の時代に入るわけだ。そして、その内戦が終わった区切りを1945年4月25日としている。レジスタンスのリーダーであったサンドロ・ペルティーニがミラノのラジオ局からゼネストを呼びかけた日であり、いまでは4月25日が「解放記念日」としてイタリアの国民の祝日となっているわけだ。
そのイタリアは、戦後、新しい憲法を制定する前に、国民投票を行っている。それは国の政治体制を選択するための投票だった。つまり、いままで通り王政(monarchia)を維持するか、それとも王政を廃止して共和制(repubbulica)にするか、それを問うための国民投票だった。1946年6月2日、この国民投票は、新しい憲法を制定するための制憲議会選挙と同時に行われる。この6月2日は、現在では「共和国の日」と呼ばれ、これもまた国民の祝日だ。
国民投票の結果、イタリアは、僅差ではあったが、共和制を選択する。そしてこの新しい政治体制の骨格となるべき憲法が起草されることになるのだけど、じつはその11条に「戦争放棄」という項目がもりこまれており、いくつかの憲法の変更が行われたとはいえ、その条項は今でも変わらずに維持されている。
少し前に、ぼくはこの「戦争放棄」の条項を読んだことがあるのだけど、そのとき、「あれっ?」と思ったのを覚えている。「戦争放棄」というのは日本憲法だけのものじゃなかったのか、そう思ったのだ。
ではイタリアの11条とはどういうものなのか。以下に訳出してみることにする。まずは原文の最初の文。
L'Italia ripudia la guerra come strumento di offesa alla libertà degli altri popoli e come mezzo di risoluzione delle controversie internazionali;
ぼくが辞書を引いたのは ripudiare という動詞だけど、まあ「放棄する」でよい。ただし、この言葉は「pudore」(恥ずかしさ)という言葉が語源にある。どういうことか。これはもともと、妻が夫と、あるいは夫が妻と離縁するという意味だったらしい。お前みたいな恥ずかしいやつとはやってられないということなのだろう。つまり、「廃棄する(ripudiare)」とは、それまでは仲よかったものと別れること。なるほど、イタリアはそれまで、ファシスト党の独裁のもと侵略戦争を行ってきたわけだけど、そんな戦争とは愛想をつかすというのだ。この部分を訳してみるとこうなるだろう。
イタリアは、他の人民の自由を損なう手段としての戦争も国際紛争の解決手段としての戦争もこれを放棄する。
「 他の人民の自由を損なう(offesa alla libertà degli altri popoli)」というのは、ようするに、植民地獲得のための「侵略戦争」と考えればよいのだと思う。そしてもうひとつは「国際紛争の解決」だけど、たしかに第一次世界大戦のときから、おそらくはそれ以前から、あらゆる戦争は「紛争を解決する」として「平和のために」という名目のもとに戦われてきたわけだから、もうそんなことはやめようというわけだ。このあたりは実にわかりやすい。というか、日本国憲法の「戦争放棄」だって同じようなことを言っていたではないか、ぼくはそう思ったのだ。
しかし、ここに続く部分を、ぼくは理解していなかった。そこがとても重要な箇所なのだけれど、まずはイタリア語から。
(L'Italia) consente, in condizioni di parità con gli altri Stati, alle limitazioni di sovranità necessarie ad un ordinamento che assicuri la pace e la giustizia fra le Nazioni;
(イタリアは)他の諸国との平等(parità)を条件として、諸国間の平和と正義を保証するような秩序形成に必要なものであれば、主権の制限に同意する。
(L'Italia) promuove e favorisce le organizzazioni internazionali rivolte a tale scopo.
イタリアは、こうした目的のための国際的な諸機関を促進し、これを助けるものとする。
国際的な諸機関とは、もちろんこれから生まれるはずの国連のことだろう。したがって、ここにあるのは国連を中心した国際協調主義なのだけれども、ご存知のように、国連を中心とした国際協調主義は、東西の冷戦の時代にあってうまく機能することができなくなる。でもそれはまあ、この時点ではまだわからないことだ。
少なくとも、加藤典洋の『9条入門』のおかげで、これまでずっと読めなかったイタリア憲法の11条の背後にある、国連を中心とした国際協調主義の考え方と、相互主義というものの意味が理解できた。ここでの「戦争放棄」には、相手も放棄すると言わなければこちらも放棄しないという前提がある。だからイタリアもドイツも軍隊を持つことができる。相手が軍事力を持たなくなるまでは、こちらも持つことができる。そういうことなのだ。
これに対して、日本の「戦争放棄」には「相互主義の原則」がない。国際協調主義がない。それはじつに「特別な戦争放棄」だった。それをぼくは今回はじめて教えられたのだ。
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*1:原文はここを参照のこと。
it.wikipedia.org
*2:テキストはここを参照。
www.angolotesti.it